秋雨



ほどなくして少女の祝言の日取りが決まった。何かとする事があるのか少女が山に来る頻度も目に見えて減っていき、あちらこちらに色付き出した木々を退屈そうに眺めながら妖狐は苦々しく深くため息を吐く。鳥の囀り、葉が風に揺れる音、自然が息ずく音がするというのに、少女の明るい声がひとつ聞こえないだけで山がひどく静かに感じる。少女に付けている狐火に揺らぎが見られないので彼女は健やかに過ごしていることはわかっている。それさえわかっていれば以前の自分なら満足していた。それなのにもう一度、彼女の顔が見たいと思うのはだいぶあたたかい陽だまりに毒されてしまったらしい。かといって、人里に下りれば喧しい人間の目に触れることになる────ああ、忌々しい。嫁入りが決まってからそこら辺に転がっている女人と同じ様にしおらしくなるなどお転婆な彼女らしくない。

「はあ、会いに来いや……馬鹿」

一人の人間の女のことでこうも頭を悩ませるのも自分らしくない。彼女が馬鹿なら妖狐はそれをさらに上をいく大馬鹿者だ。ふと、どこからか飛んできた小鳥が妖狐の肩にとまる。小鳥の前に指を差し出せばぴょんとそれに飛び乗り妖狐の白い頬に嘴を寄せ、お喋りでもするように美しい鳴き声で囀りはじめた。

「なんや、あんさん僕のこと慰めてくれとるん」

金の瞳がゆるりと弧を描き、小鳥を可愛がりながら妖狐はまたひとつため息を吐く。深い黄緑色の小さな体、この小鳥の名前は確か、メジロといったか。今までいちいち小鳥の名前など気にしたことなどなかったから少女に教えてもらうまで知らなかった。その時、少女は妖狐の方がずっと長く山に住んでいるのに知らないなんておかしな話だと薄い肩を震わせて笑っていた。

「あの子も君みたいに僕のとこまで飛んで来てくれたらええのにね」

チー、チー、と小さく鳴きながらメジロは妖狐の肩と頭を行き来しながら呑気に遊んでいる。木の実を摘んで差し出してやれば先程まで妖狐の頭の上で髪をつついていたメジロが指の上で美味しそうに木の実を頬張って、時折妖狐の指や赤く長い爪をつついてきてくすぐったい。早々に木の実を食べ終えると今度は甘えるように指に頭をこすりつけてくる。

「なんやの、強請ったってそれ以上出てこぉへんよ」

まだお腹が空いているのか餌をくれとアピールしているメジロを妖狐は微笑ましそうに見つめる。しょうがない、ともうひとつ木の実を取ってやればすぐさまメジロはそれを頬張りはじめ、妖狐は思わず笑ってしまう。しばらくしてメジロは満足したのか木の実を食べ終えるとひとつ鳴き声を上げどこかへ飛び去っていく。

「───どないした」

木の影から現れた狐が妖狐の元へ駆け寄ると静かに差し出された彼の指先に鼻を寄せ、狐の記憶を読み取ると妖狐は鬱陶しそうに眉を顰める。山中の至る所に散った狐が山に異変があるとこうして妖狐に報せに来るのだ。

「また人が入り込んだんか…」

格好からして山菜を採りに来た村人のようだ。ただ山菜を採るだけならこのまま放置しておいて平気だろう。彼らの縄張りに悪さをするなら話は別だが────。一応、村人のいる方に狐火を飛ばしておくか。

「報せてくれてありがとさん。いってええで」


狐の頭をひと撫でしてそう言えばくるる、と喉を鳴らして木々の奥へと消えていった。
一瞬、少女ではないかと期待してしまった自分が憎らしい。そんなはずはないのに阿呆らしいといったらない。妖狐は本日何度目かわからないため息を吐いてゆっくりと雲が流れゆく空を見上げた。

「……今度、紅葉狩りにでも誘うてみようかね」

きっと彼女なら美しく色付いた山々を綺麗だと褒めてくれるだろう。そしてこの景色が遠い地へと嫁入りしていく彼女への良い選別になってくれるだろう、と考え妖狐は彼女に飛ばしている狐火に揺らぎがないか確認した。


「来年は一緒に見られへんのか…」

秋の終わりには彼女はもうこの地にはいない。一緒に過ごした時は悠久にもなりえる妖狐の時間のほんの僅かな間でしかないのに、彼女が居なくなってしまう事実が堪らなく寂しい。
今、胸に巣食う感情のままに人の子である少女を歩みの違う己に縛り付けてしまえばいずれ不幸にしてしまうのは目に見えている。人の身である彼女の人としての幸せを想えばこそ手放してやれるうちに自由に飛び立たせてやるのがきっと最善なのだ。
それはそうと、近いうちに彼女を娶る男はきちんと最期まで少女を護ってやれるような男なのだろうか。真っ当に幸せにしてやれるのだろうか。もし、彼女に見合う男でなければその時は────。

「……阿呆らし。所詮は妖と人の子、考えても詮無きことや」

どうせ共に歩んでいけないのならばもしも、など考えたところで何の肥やしにだってなりはしない。

「おーい!───!」

日が暮れた山に聞き覚えのある涼やかなの声が響き、妖狐は驚いてすぐさまそちらへと駆けていけばここにいるはずのない少女が妖狐に気付くとふわりと微笑んだ。

「なぁに、バケモンでも見たような顔しはって失礼やなぁ」
「な……あんさん、なんでここに、」
「なんでって───に会いに来たに決まってるやないの。ほんまは昼間に来れるんが一番ええんやけど祝言の日取り決まってから家の者の目が厳しゅうてな」

せやからこっそり抜け出してきたんや、と悪戯に笑って見せる少女が驚いて上手く言葉が紡げない妖狐の頬にそっと触れる。いつもより低い体温で我に返った妖狐がキツく少女を睨む。

「自分阿呆なんか。こんな夜更けにふらふら出歩いて野犬にでも襲われたらどないするつもりや」
「あーあーいま小言は聞きとうない。それにちゃんと山に入ってからは松明焚いてるから平気やって、それに───がおるこの山で何かなんて起こりようないやろ」

そう言って笑う少女から視線を外して妖狐は俯きながら手で顔を覆う。彼女が自分に全幅の信頼を寄せてくれているのがこんなにも嬉しいなんて、我ながら幼子のようだ。

「───?どないしたん?どっか痛むん?」
「何でもあらへん。そんで、今日は何盛ってきたん」
「あっそうそう!これなぁ、」

わかり易く話を逸らした妖狐に問われた少女は嬉しそうに包みを見せてくる。匂いからして、この前持ってきてくれた饅頭だろうか。慌てて持ってきたからあんまり数はないんやけどな、と話しながら風呂敷を解いている少女を愛おしそうに見つめながら妖狐は頬を緩ませる。
それから狐火に照らされた森の中で妖狐と少女は会えなかった時間を埋めるように他愛もない話をしながら馴染みの饅頭を食べた。

「なあ、今度紅葉狩りにでもいかへん?」
「紅葉狩り…?ふふっ、───が誘ってくれるなんて珍しなぁ。槍でも降るんとちゃうの」
「今すぐその減らず口縫い付けたろか」
「ごめんごめん。うん、ええよ。せっかくやからおむすびでも作って行こか」

少女はひときわ嬉しそうに微笑む。家路までの静かな道をこうして少女と並んで歩いているのはなんだか妙な気分だ。

「あと半月もすれば見頃になるやろ」
「楽しみやなぁ、絶対迎えに来てな」

ああ、愛しき子────ただ彼女が健やかに幸せであるならばそれだけで自分も幸せなのだ。

そう、願っていたのに────


「……これは、どういうことや」

とある満月の下、夜の静寂に満ちた畦道に広がる血の海の中心に横たわる無惨にも変わり果てた少女を見下ろしながら妖狐はぼつりと震える声で呟いた。