夕立


「はー…嫌やなぁ」

ゴロゴロと転がりながら盛大にため息を吐く少
女が隣に座りぼんやり季節の移ろいに合わせ次第に色づき始めた木々を見上げる妖狐の尻尾に触る。少女が最近浮かない顔ばかりしている原因に大方の検討はついているがわざわざ聞いてやる義理もないので二本目の尻尾で手遊びに飽きたのか顔を埋めようとした少女の手を叩けば泣き言をもらしだした。

「あーあ。 このままずっとこうしていられたらええのになぁ・・・何にも変わってほしくなんかあらへんのになんや父上も母上も妙に張り切ってはるか」
「あんさんにも悩みなんて上等なもん持ち合わせとったなんてここ一番の驚きやわぁ。まあ、今日は天気が良くて機嫌もええし話くらいなら聞いたってもええけど」

少女が手土産に持ってきた饅頭に手を伸ばしな
がらそう言えば曇り空から一転晴れ晴れした顔付きに変わる。

「──は優しいなぁ。 そないそのお饅頭気に入ったん?」
「あーたった今気が変わりそうやわ」
「ちょっと感動しとっただけやないの!お饅頭もあげるさかい機嫌治したってよ」

別に饅頭の賄賂なんて渡されなくとも少女の気
が軽くなるなら話くらいいくらでも聞いてやるが本人に言えば青天井で調子に乗ることは目に見えているので一生伝えてなどやらない。 饅頭にかぶりつきながら目で促せば思ったより明るい声で話し始めた。

「またなぁ見合いの話が来とるらしいんよ。 今回はなんやお偉いさんとこから持ちかけられた話らしくてな今までみたいにのらりくらり断れる空気やないし私もそろそろ年貢の納め時が来てしまったみたいやねぇ」
「親が子の番を決めるなんて人間はけったいな事しなはるなぁ」
「……まあ、あんたからしたらそう見えるやろな。お相手の家こっからえらい遠いみたいでな、なったらもうここには来られへんようになってまうさかいこんな風に気軽にとも会われへんようなってまうな。 見合いの話は嫌やけど父上のお力になれるって思うたらそない悪い話やないなって思えてくるし別にええんよ。私と歳の近い子はみんな嫁いでいきはったしな。 私だけいつまでも我儘言えるとは思ってへんし。でもなぁ私が嫁いでったら───がひとりぼっちになってしまうやろ。 ただそれだけが心残りやねん」

そう言って寂しそうに目を細める少女の柔らかな黒髪が風に靡き、二人の間に僅かの沈黙が流れる。静寂を壊したのはつまらなさそうな顔をした妖狐だった。

「アホやなぁ。はなから僕は人間なんか好きやないし人間と馴れ合う気なんか毛頭ないわ。 あんさんと出逢う前は一人で気楽に生きとったんやさかいただ元の形に戻るだけやわ。僕の心配よりこないええ話断って行き遅れにでもなった後にあの時逃した魚は大きかったって後悔してもしらへんで」
「もう、なんやのそれ。───は山に引きこもってばっかやから知らへんのかもしれんけど私これでも町一番の美人やって言われてるんよ。その気になったらいつでも祝言挙げられるよって」

小鼻を膨らませ肩をぼこぼこ叩いてくる少女を適当にあしらいながら妖狐は薄目を開けもう時期遠くに嫁に行ってしまう女を盗み見る。夜空を映したような艶のある黒髪に熟れた白桃のように瑞々しい白い柔肌。 野山を駆け回り泥だらけになっても損なわれることのない生まれ持っ
た気品があの日臆することなく自分を助けた気高さが遂に花開く時が来てしまったのだ。ああ、なんと忌々しいことか。 妖狐は彼女に聞こえないよう口の中で小さく舌を打った。彼女が自分と同じ妖狐やったら良かったのに。そしたらなんも変わらずなんも気にせず自由気ままに二人で暮らせるんに────。

「アホ言っとらんでだいぶ風が冷たなってきたし風邪引く前にはよ帰り」
「はいはい言われなくても帰りますー!」

饅頭を包んでいた藍染の風呂敷を畳んで手早く
袖口にしまうと機嫌が傾いたままの少女は後ろを振り返らずさっさっと山道を下っていく。 鈍臭い彼女がきちんと里まで辿り着けるようこっそり見送るようになったのはいつからだったかもう覚えていない。妖狐は西日に照らされゆっくり小さくなっていく背中を見つめながらぽつりとひとりごつ。まだ何者でもなかった蓄を大事に大事に護ってきたのは自分だというのに。 人と妖、一時交わることはあっても瞬きする間に朽ちていく人の身と一生を共にすることはない。

「ほんまあんさんが僕と同じ妖怪やったら嫁にもらったったんに……」

そして妖狐は愛し子を無理にでも手元に繋ぎ止
めなかったことを後悔することになる美しい花を手折るのは妖ではなくいつも人間の方なのだから。