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1 ウェイクミーアップ その@

 おっ、あのタイトスカートの女、いい尻と足してるなァ。
 グイード・ミスタは、昨日、通りすがりの女に同じようなことを言って頬を引っ叩かれたのに、また懲りずに声をかけようとしていた。

 満月の夜のことだった。
 あてもなく夜の街をふらついていたミスタは、バールから出てきたタイトスカートの女に視線を奪われた。ブルネットの背の高い女だ。肉付きのいい下半身が、声をかけなければ失礼にあたると思わされるような魅惑的な曲線を描いていた。
 しかしミスタが彼女に声をかけるより、同じくバールから出てきた二人の男たちの方が早かった。一人は背の低い小太りで、もう一人は背の高い痩せ型だった。見事な凸凹コンビの二人は、二人とも足取りがおぼつかないほどの酔っ払いで、女に向かって卑猥な単語をあれやこれやと投げつけていた。女はおそらく観光客で、イタリア語ではなく汚い英語で男たちを罵ってから立ち去ろうとした。
 聞こえなかったのかわからなかったのか、男たちはそれに激昂するでもなく、彼女の腕を掴んで暗がりに引き込んだ。一人が後ろから女を羽交い締めにし、もう一人は、まるでカレンダーでもめくるかのように女のスカートをたくし上げた。ミスタは、考えるより先に体が動いていた。

 殴り合いの喧嘩になった。
 相手がいくら大人の二人組とはいえ、めちゃくちゃに腕を振り回す酔っ払いに負けるほど喧嘩の素人でもなかったので、二人を伸すのはそう難しいことではなかった。誤算があったとすれば、男の一人がナイフを持っていて腕に怪我を負わせられたことと、いい格好をしようと思っていたのに女が乱闘騒ぎの間にお礼もなしに逃げ去っていたことだった。
 別にお礼が欲しくてやったことじゃあないけどよォ、な〜んか気が抜けるよなァ。
 そう思いながら傷の具合を見ようと地面に座り込んだ時、薄暗闇から人影が現れた。

「見てたよ。結構やるね、おにーさん」

 十代になったばかりといった年頃のこどもだった。
 白い肌がぼんやりと闇に浮かび上がり、黒い髪は逆に闇に溶け込んで、そのせいで二つの赤い瞳がひときわ目立っていた。人ではない何か──例えば亡霊や吸血鬼のような──に、見紛うようなこどもだった。二次性徴真っ只中な年齢と均衡のとれた顔つきが少年なのか少女なのかわかり辛くしていて、それが一層人間離れして見えた。
 ミスタは、こんな時間にほっつき歩けるなら男だろうと踏んだ。女なら親が外出を許さないだろう。幽霊でもない限り。

「子供がこんな時間にうろつくなよ。迷子か?」
「まさか。バイトの帰りだよ。今日はちょっと仕事が長引いたってだけさ。家に帰るとこだったんだけど、あんたが怪我するかと思ってわざわざ家まで取りに行って戻ってきたんだぜ? ほら、救急箱」

 そう言うと、少年はテキパキと傷の手当をしだした。ミスタの腕をひっ掴み、ペットボトルの水で傷口を洗い、消毒をして、包帯を巻いた。痛みはあったがそれほど深い傷でもなかったので、そこまでしなくていい、と言ったが、「絆創膏がないから代わりに使うだけだ。包帯は使い終わったら捨ててくれていい」と言った。
 なかなか奉仕精神に溢れた見上げたやつだ。手慣れているのを見て、よく怪我をする弟でもいるのかと聞くと、周りに怪我をするやつが多いからな、と返ってきた。確かに子供のうちは喧嘩でなくとも遊んで怪我をすることも多いだろうと納得した。

「グラッチェ、坊主。本当ならジェラートでも驕ってやりたいところなんだが、もうとっくに店なんか閉まってるからな。チップでいいか?」
「いいよ。金はあっちから取るから」

 後ろで伸びている酔っ払いの二人組を指差して、楽に儲けさせてもらえるお礼、と少年はニヤリと笑った。少年が何を言ったのか理解するのに少しだけ時間を要した。

「お前、本当はそっちが目的なんじゃあねぇかッ!」
「ハハハ、お兄さんからは盗らないんだから硬いことナシな! おれだって無償でこんなことしねーよ」

 言いたいことはよくわかるが、俺の感心を返せ。
 納得できないような顔をしているミスタの胸を、少年は笑いながらトンと小突いた。するとなぜか、ちりちりと痛んでいた腕の痛みが和らいだ。まるで「痛いの痛いの飛んでいけ」と言われて本当に飛んで行ったかのように、すっと痛みが消えていったのだ。不思議に思っていると、少年は「最後に忠告しておくけど、」と言ってミスタの顔をまっすぐに見た。
 幼い顔つきに似つかわしくない真剣さだった。うす闇に赤い瞳が光って見えた。

「こういうことはもうしない方がいい。変なところに首をつっこむと戻ってこれなくなるぜ」

 チャオ、と言ってひらひらと手を振ったきり、少年は伸びた二人のポケットを漁るのに夢中になっていた。妙な引っ掛かりを覚えて、少年に何か聞きたいことが──聞かなければならないことがある気がしたが、質問は何一つ形にならなかった。結局、ミスタは彼に背を向けて歩き出した。

 きっと今はその時ではないのだ。
 それに、もう一度会える気がする、と確信めいた予感もあった。まるで引力に惹かれるように、こういう人間とはもう一度出会うのだ。

「しかし、今になって引っ叩かれたように頬っぺたが痛み出したような気がするが、なんでだ?」