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5 幼少期の終わり、大人への躍動

 少女は、受け身も取れずに下水道に落下した。全身の骨が折れたようで、すぐさまスタンドで回復する。地下が冷えているせいか多少はマシにはなったが、体の老化現象は未だ進行していた。あの男はまだ能力の解除をしていないらしい。
 しぶとい奴、とひとりごちて、少女は地下を進んだ。

「しかしこの逃走経路、本当に使うことになるとはな……」

 この下水道は古代ギリシャ人だかローマ人だかが採石場として使っていたとか、第二次大戦時には防空壕として使われただとか言われていたが、本当のところはよく知らなかった。どこを曲がればどこに着く、ということの方が重要で、地下の経路図と現在の地図を照らし合わせたりはしていたが、実際に歩くのは初めての事だった。この道のことを少女に教えた先住者も、結局使うことはなかった道だ。

 下水道は寒く、暗く、カビのような妙な匂いがした。左手で壁を付きながら、足元を確かめるようにノロノロとしか進めなかった。しかし男が追ってきている気配はなく、目が少しずつ暗闇に慣れ、真っ暗とはいえ地下道の輪郭だけは掴めてきた頃になると、老化現象もほとんどなくなっていた。
 少女はポケットの中に入れた歯を取り出した。女の歯だ。捕まえた時に保険として一本抜いていた。スタンドで叩けば歯は昨日の状態に戻ろうと女の元へ飛んでいく。だが、それはさっきの男の元へ単身乗り込んでいくことにつながる。
 先の戦闘は事前準備ありき、長年済み慣れた自宅に誘い込んだからできたことであり、さらには相手に能力を知られていなかったからできた不意打ちであって、今度はそうはいかない。男の前では女はすぐに追えると豪語したが、実際はほとんど手詰まりに等しい。

 だが、ここで引いたところで不利になることはあっても有利になるということはないだろう。一刻も早く女を見つけた方がいい。
 そう決めて、少女は歯をスタンドで殴り、その後を追って一歩踏み出した。その時だった。
 足裏に鈍い痛みが走った。かと思えば、その痛みは蛇のように体の中を這いずって上へ登って、あっという間に腰回りを一周した。糸に巻きつかれている、と思った次の瞬間、少女はまるで吊られた男のように足から上へ引っ張られていた。

「なんっ……!」

 それを取ろうともがく間もなく、ガンッと音がして天井にぶつかった。上はマンホールだ。
 蓋が開けられて、差し込んだ街灯の光に目を細める。暗闇の中を進んできた身にはそれでも十分すぎる明るさだった。その光を背にして、二人の人間の影が見えた。

「良くやったペッシ。スタンドはまだ解除するなよ」
「あ、ああ」

 お下げ髪の男と、いかにも下っ端という気の弱そうな男が彼女を見下ろしていた。ペッシ、と呼ばれた男が釣竿のようなスタンドを握っていて、どうやらそれに釣られたらしかった。お下げ髪の男が少女の足首を掴んで穴から引き上げ、上から下までを観察するように眺める。

「しかし、こいつがボスに気に入られてるって信じられるか? ここんとこ見てた感じじゃあただのガキだぜ、こいつ。どこがボスのお気に召したんだよ。顔か?」
「そりゃあおれの顔が美人だって言ってんのか? お褒めにあずかりどーもッ!」
「あっ、糸は殴らねぇ方が……」
「あぐッ……!」

 足から腹あたりまで神経に直接響いてるような痛みが走った。殴った時の衝撃が釣り糸を伝って自分自身に返ってきた感じだ。少女は引きつる体を抑え、スタンドで怪我を回復させた。

はたで見てるときも思ったが、便利だよなぁ、お前の能力。まあ暗殺には毛ほども向いてないが……ひょっとしてボスはそれ狙いか? 裏社会の人間が発現させるスタンド能力なんて物騒なもんばっかに決まってるからな。回復能力持ちだからって重宝されてんのか?」
「……これ以上ボスの話するなら密告してやるぜ、ボスの正体を探ろうとしてる奴がいるってな」
「けっ、先公にチクる学生かおめーはよォ。やれるならやってみろ。この状況で。お前の生殺与奪権は俺たちが握ってるんだぜ?」
「め、滅多なことは言わないでくれよイルーゾォ。今回は殺しの仕事じゃあねぇんだし……」
「ペッシの言う通りだ。俺たちはこいつを連れてこいと命令されただけだぞ」

 道の先から革靴の音がして、振り返った。
 右腕は骨折しているのかだらりと垂れ、火の粉が飛んだスーツは穴と煤だらけになっていた。それでも背筋をしゃんと伸ばしたまま、不遜な態度を崩さずに男は立っていた。気弱な男が、兄貴、と小さくこぼした。

「少なくとも俺たちは敵じゃあねえんだ。諦めてついて来い」

 一拍置いて、「プロシュート! なんだ、そのザマ! こいつにやられたのかよ!」とおさげの男が笑った。


***


 ここが俺たちのアジトだ、と言って通された部屋には二人の人間がいた。
 一人は見覚えのある顔だった。少し前に会ったばかりだった。

「ああ、あんたが例のボスのお……」
「あんたか。今度はおれに何の用だよ」

 少女は言いかけたアイマスクの男を無視して、正面に座る男を見据えた。体躯が一等でかい銀髪の男。以前会った時からただのチンピラの風ではないと思っていたが、暗殺チームのリーダーだったらしい。少女は、ふと、そういえば名前を聞かなかったな、と思った。
 そんなことを考えていたせいか、横から伸びる手に対応するのが遅れた。

「リーダーの子供、にしちゃあちょっとでかいか? まあでも女と違って男は出すだけだからな。しかし顔もそれほど似てないな……でも母親似ってことも考えられるよな? ん〜? 目尻に黒子、しかも三つ並んで付いてる。目元の黒子は感受性が鋭く、しかも複数なら涙もろくて泣き虫。繊細で純粋な性格。んっん〜、いい母親になるかどうかは今後の成長次第ってとこか……生年月日と星座がわかればもう少し分析はできるが……うん、顔の味から推定すると血液型はABだ。リーダーって血液型なんだっけ?」
「なにっ! すんだ、この!」
「おいおいおいスタンドは無しだぜスタンドは! 俺は接近タイプのスタンドじゃあないんだ!」
「……メローネ、そういうのは本題が終わってからにしろ」

 鑑定士に品定めされる器よろしく顔をぐるぐる振り回され、あげくのはて頬を舐められて少女はスタンドを出しかけた。リーダーにたしなめられ、メローネと呼ばれたアイマスクの男はソファに腰を戻す。少女もしぶしぶスタンドを消し、舐められた頬を手の甲でゴシゴシとこすった。

「っていうかなんだ、リーダーの子供って。おれが? どっから出たんだよそんな話」
「リーダーがやけに君のこと詳しかったからな。生き別れの娘に一票入れてた」
「俺は殺した標的ターゲットの娘」
「おいらも……」
「賭けて遊んでんじゃあねぇ。おたくのリーダーとは何ヶ月か前に初めて会った仲だぞ。葬儀の時あんたらのお仲間が元に戻ってたのは誰のおかげだと思ってんだよ」

 そんなことだろうと思ったぜ、と言ってプロシュートはどかっとソファに腰を下ろした。

「ソルベのやつが葬式やるときにはきれいにくっついてたからな。どこの腕のいい死化粧師しげしょうしかと思ってたが」
「まあ、こいつの能力見れば察しはつくか……」

 各々死んだ人間を思い浮かべているのか、室内には沈黙が降りた。
 確かにあの壮絶な死に様をみると閉口したくなるのはわかる。輪切りにされホルマリン漬けにされた死体が元の人間らしい形に戻るまで数回は能力を使わなければならなかった。彼は最低でも一週間は現代アートの状態だったのだ。
 親しい人間がそんな目に遭ったなら。それも同じ組織の人間の手によって、だ。

「ま、感傷に浸るのは結構だけど。とりあえずおれに事情を説明してからにしてくれないかな」
「……聞いてないのか」
「何も」

 少女の答えが意外だったのか、固そうな表情筋からは読み取れそうにないが、リーダーの男は少し前かがみになると、手を組んで考えるような体勢をした。

「お前の身元を引き受けた」
「は」

 疑問とも、笑い声とも取れるような変な声が出た。

「お前の面倒を見てたバレーナが一ヶ月前に死んだだろう。奴の仕事を引き継げと指令が来た。──つまりお前の世話係だが」
「……あれから何の連絡もないから、てっきり独り立ちを認められたもんだと思ってたけど……」
「君はボスのお気に入りだからな。そう簡単に目を離してもらえないんだろう。かわいそうに」

 本気か冗談かわからないトーンでメローネが言う。

B・フロイドの件も俺たちのチームに合流して、合同で調査することになる。だが俺たちの仕事上、作戦に引き入れるにはそれなりの……信頼、が必要だ。それで、スタンド能力と本人の実力を知るために部下を派遣した」
「ちょっと待て、そんなことの為におれの家は燃やされたのか……?」
「え? 燃やしたのか? 家を? プロシュートが?」
「手こずったらしいぜ、珍しくな。こいつに治されちゃあいるが、怪我と火傷でかなりボロボロだったんだ。笑えるくらいに」
「うるせぇぞ、メローネ、イルーゾォ」

 余計な口挟んでんじゃねぇ。と、茶々を入れる二人をプロシュートが黙らせる。目の前に怪我人がいると気になってしまうたちなのでここに来るまでの間にプロシュートの怪我を治していたが、本人は気に食わなかったらしい。

「……とりあえず、これからはあんたがおれの保護者になるわけだ?」
「そうだ」

 リーダーは簡単に肯定したが、しかし暗殺チームというのは組織の中でも他チームから忌避されることが多いチームの一つだ。何のためにボスはこのチームに自身の面倒を見ろと言ったのか。そして自分に求められていることは何なのか。少女はその意図を測りかねていた。

「暗殺者なんて名前のチームがガキの子守なんてな。見知らぬ人間を引き入れるだけでもリスクが高いってのに、その上ガキで女だ」
「イルーゾォ」

 リーダーは、どっちにしろ命令には逆らえない、と言ってイルーゾォを諌めた。自分にも言い聞かせているような節があった。

 そうだ、命令には逆らえない。何があろうとボスの命令は絶対だ。パッショーネに属する者なら。
 ボスの目的が何であれ、とにかく今はこのチームに馴染むことが重要だろう、と少女は頭を切り替えた。

「……まあ、試験には無事合格ってことでいいのかな」
「お前が自由に口がきける状態でここにいるということはそうだろう」

 拘束されずにここへ来られたのは、お前に対して一定の敬意があるからだ。なければあの家にとんぼ返りして、俺たちの中の誰かに毎日監視されたまま、小銭を稼ぎながらくだらない日々を過ごすことになっただろうな。と言って、リーダーはプロシュートに視線を移した。
 プロシュートは肩をすくめ、ポケットに手をやると、パッショーネのバッヂを投げてよこした。顔は険しいままだったが、「それはお前のだ」と言った。

「とにかく、だ。俺たちはこれから協力し合わなくちゃあならない。いいな、お前たち。それにお前もだ」

 リコリツィア。
 リーダーは部屋にいる全員を見回して言った。
 
「その前に、まだあんたの名前を聞いてないぜ」

 自分は全く知らなかったのに、リーダーの方は自分の名前を知っていたのが何か気に食わなかったのだ。
 リーダーが顔を上げて少女の顔を──目を見た。それまでも何度か顔を合わせているはずなのに、視線が合ったのは初めてな気がした。白目の部分が黒いという不思議な目。その中央の赤が、少女の、同じような赤い目を捕らえた。

「……リゾットだ。リゾット・ネエロ」