※膝モブ♀あり




――この想いは、秘めておかねば。


「あ、あの!好きなんです!」
「……俺が、か?兄者ではなく?」
立ち寄った万屋の店で己を見るなり娘は頭を下げた。急な出来事に状況が飲み込めず、混乱した頭ではここにはいない兄について口にしていた。
娘の顔は見覚えがある、ここの看板娘だ。この店は兄刀も気に入っており、何度か通っているので顔を見たことがある。何か言いたそうな視線を感じた事はあったが一度も会話を交わしておらず、膝丸は彼女について何も知らない。
「すっ、済みません……!急にこんな事云われても困りますよね……」
でも、その、と彼女は盆を胸に抱えて俯いてしまい膝丸は困り果てた。娘を観察してみると、その躯は微かに震えている。……恐らく、今まで心に秘めていたのだろう。それに気づいてしまえば後は簡単だ。拒絶される可能性もあるというのにそれを口にした彼女は凄いなと自嘲しながら目を伏せる。誰かじぶんと大違いだ。
「……だが、俺は君について何も知らない。先ずは、その、友人という所から始めてもらっても構わないだろうか」
「……!は、はい!宜しくお願いします……!」
今にも涙ぐみそうだった娘の顔が一瞬にしてぱぁっと明るくなる。その笑顔を見て、胸が痛んだ気がした。
己は、彼女を利用しようとしている。
審神者から聞いたのだ、人間とは思い込みで出来ているのだと。この娘が好きだと思い続けていれば、例えそれが偽りだったとしてもその内それが本心になる。だから膝丸は彼女を利用しようと思うのだ。
兄への懸想を、忘れる為に。


***


「随分と遅かったねぇ」
「嗚呼兄者、帰ってきていたのか」
娘と別れて本丸に戻り部屋に向かうと既に兄は遠征から帰ってきていた。こちらに背を向けて昨日のお八つの残りをのんびりと食べていた髭切が顔だけ振り返る。
「万屋に行っていてな、そこで少々話をしていたのだ。……兄者はまた遠征か?」
髭切と机越しに向き合う様にして座ると、買ってきた品物を箱から取り出し幾つか菓子籠に置いた。それから傍に置いてある急須に手を伸ばし、湯呑に茶を注ぐ。
練度が上限に達した髭切は遠征要員として本丸には余り居ない。必然的に共に過ごす時間が減ってしまった。寂しいが、これでいいのだ。これで。
「ううん、暫くはお休みだよ」
然し返ってきたのは想定外の言葉で、菓子籠に伸ばしかけていた手が思わず止まった。だが兄はこちらの様子など気にもせず、だから当分お前と過ごせるねぇ、と菓子籠に手を伸ばした。幾つか手に取った菓子の封を切り、口に運んでいく。思わず本当か!と喜びそうになって、膝丸は慌ててぐっと拳を握り締めた。駄目だ、落ち着け。普段通りに振る舞わなければ。
幸い、兄はこちらの様子に気づいていないらしい。良かった、と安堵しつつそれでもと誤魔化すように湯呑に口を付けた。
「そ、そうなのか。然し、急にどうしたというんだ?」
「んー、主に現世で用事が出来たらしくてねぇ。それで暫く本丸を空けるそうだよ。だから僕たち遠征組もお休み」
「そうだったのか。……所で兄者。そろそろそのぐらいにしないと夕餉が入らなくなるのでは……」
膝丸の言葉に大丈夫大丈夫、と髭切はにこにこと笑いながら口を動かす。何時から食べ始めたのか知らないが、この様子だとまだまだ間食を続けるつもりの様だ。このままではまずい。
「兄者よ、そう云って毎回毎回食べきれないものを俺に押し付けているではないか」
「え〜そうだっけ?」
兄者ァ!と声を上げるが、それでも髭切の手と口は止まらない。膝丸は兄を止めるのを諦めた。


***


計画は順調に進んでいる、と思う。
兄からの誘いを断るのは心が痛んだが、その甲斐あって兄が自分以外の刀と喋っているのを見掛けるとあれ程胸の中を黒い感情に支配されていたというのに、今は嘘の様に穏やかに静まり返っている。昔と比べて大違いだ。今だって偶然兄が別の刀達と縁側で茶を飲んでいる所を見つけたが、大して気にはならない。
……だが、結局のところは、
「――君達喧嘩でもしたのかい?」
「!……鶴丸か」
離れた場所でぼんやりと彼らを眺めていると、唐突に声が投げ掛けられる。驚いて背後を振り向くとそこには鶴丸国永が立っていた。何時もの装束ではなく内番服を着ていることからして畑か馬当番だったのだろう。
「おっと済まない、驚かせるつもりはなかったんだが」
笑いながら鶴丸はこちらの傍に来ると、で?と不思議そうに呟く。
「実際のところ如何なんだ?あれ程何時も居たというのに最近君、よく出掛けてるじゃないか。折角君の兄が本丸にいるというのに」
「……」
「もしかして兄離れかい?それは髭切が悲しむだろうなあ」
「君に兄者の何が解るというんだ」
知ったような口ぶりに咄嗟にぎろりと睨みつけると、おっと、と鶴丸は両手を上げた。事実を云ったまでなんだがなあ、と呟きつつちらりと髭切達が居る方を見遣った。
「……ま、何でもいいさ。ただ君達の、」
「――嗚呼、ここに居たのか。膝丸、ちょっといいかな」
鶴丸が何か言おうとしたその時。それを遮る様に声がした。振り向くと近侍がゆったりとした足取りでこちらに向かってくる。続きを云おうとして、隣の鶴丸に今気づいたらしく、ちらりと目を向けた。
「あー、部外者は居ない方がいいか?」
「いや……彼がいいというなら俺は問題ないかな。取り敢えず確認しに来ただけだからね」
「……別に構わないが……俺に何か用なのか?」
縁側に視線を向け、まぁこの位置からでは声迄は届かないだろうと判断する。いざとなれば鶴丸にも口止めを頼めばいい。1振ぐらいならそんな労力は掛かるまい。近侍に向かってそう告げるとそうか、と彼は返答した。
「君、××の所の茶屋の娘さんとは知り合いかな」
「嗚呼、そうだが」
「……そうか」
近侍が目を伏せた。どうかしたか、と膝丸が声を掛ける前に、なら、と近侍は残念そうな表情を浮かべてこちらに視線を向けた。
「――その娘さんが失踪したらしい」
え、と声が零れ落ちた。そんな、まさか。先週逢った時は特に何も変わりはなく、今日だってこれから彼女と逢う約束をしていたというのに。何故、
「それは穏やかじゃないな。書き置きとかもなかったのかい?」
「みたいだな。何時まで経っても帰って来ない娘に店主が疑問に思って捜索していたようだが、娘さんの履物の片方が橋の近くで見つかったらしい。店主は娘がどの男士と交流していたかまでは知っていたが、どの本丸所属の男士かまでは解らなかったらしくてね。今日うちに連絡が回ってきた」
「成程な。誰かに襲われたのか、もしくは……」
言葉に詰まる膝丸の代わりに鶴丸が尋ねる。近侍の説明に相槌を打ち、会話を繰り広る彼らの輪に入れなかった。それよりも予想外の出来事に動揺が激しい。なんて情けない。これぐらいの事で取り乱すなど、『膝丸』として有り得ない。――いや、それは。兄刀に親愛以上の情を抱いた時点で解り切っていた事か。
愛する者が居なくなってしまった。娘に他に好きな人が出来るか、天寿を全うするまで別れることなどないと思っていたのに。好きだと云っていた言葉は嘘だったのか。あの日別れた時も次に逢うのを楽しそうにしていたというのに。拳を握り締めて、彼らに背を向けた。背中から聞こえる驚いた声に、何もかも投げ出して。


***


「あ、居た居た。こんな所に居たの」
「……兄者、」
背後から声がする。振り向かずにぽつりと返事をすると、ねぇ、と髭切が不思議そうに問い掛けてくる。
「あの白い刀達から色々聞いたよ。お前、そんなにあの子が好きだったの?泣くほどに?」
「な、泣いてなどいない……!」
投げ掛けられた言葉に振り向いて反論する。童ではないのだから悲しみこそすれど、泣きはしない。
「まあまあ。元気出してよ、弟。僕が居るじゃない」
「それでは駄目なのだ、兄者では……」
そうだ、それでは駄目だ。
想いを断ち切るために彼女を好きになったのに。それでは意味がないではないか。
「ありゃ、どうして?」
「そ、それは……」
不思議そうに首を傾げる髭切を見て、思わず口籠もる。云えるわけがない。云ってしまったら、今まで兄を避けていた意味がなくなってしまう。どうすればいい。何と返事をすれば、
「――、」
「……っ」
口を閉じ、沈黙が部屋を支配する。暫くして髭切が溜め息を吐く気配がした。思わずびくりと躯が震え、咄嗟に顔を上げると間近に兄の顔があった。突然の事に驚いていると唇に何か柔らかいものが触れる。それが髭切の口だと気づいた頃には既に兄は離れてじっとこちらを見つめていた。
「こういう意味で、お前が好きなのだけれど」
「……へ?」
解った?とこてんと首を傾げる髭切を見ても、脳の情報処理が追いつかない。……兄者が、好き?俺を?
「お前は僕の事嫌いかい?お前はあの子が好きだったんだろうけど、」
「――ち、違うのだ、兄者!」
その先の言葉が聞きたくなくて、膝丸は遮る様に声を上げた。きょとんと驚いた表情を見せる髭切に、膝丸は今まで秘めていたそれを口にした。
「……ずっと、兄者が好きだったのだ」
顕現したあの時から。でもそれは普通ではない。だから、口にしてはいけないのだ。いけなかったのだ。滲む視界では髭切の表情が窺えないのは、不幸中の幸いだろうか。
「――うんうん、知ってたよ。だから泣かないの」
「な、泣いてなどいないと云っただろう……!」
いいこいいこ、と髭切が頭を撫でてくる。その手を振り払える訳がない。止めてくれ、と小さく呟くのが今の膝丸には精一杯だった。
「どうせお前の事だから、兄弟だとか男同士だからって思っていたんだろうけど」
「それは……だが、そう、だろう」
「何を云ってるの。僕達は刀なのだから、そんなヒトの常識にとらわれなくていいの」
「そ、そうなのか……?」
そんなので本当にいいのだろうか。確かに肉の器を与えられてヒトと過ごしているが、ヒトではない。本性は刀だ。だが、ヒトとして存在するのならヒトの枠にはまるべきなのではないのだろうか。
だが、こうもそうだよと言い切られるとそうなのかもしれないと思い始める。ならばもう、この想いを隠さなくても良いのだ。それだけで気が軽くなった気がして、兄の肩に頭を預けた。
「そう、か。兄者がそう云うのなら、そうなのだろうな」
「うんうん。だからね、弟。」
ふんわりと髭切が笑う気配がした。兄の声が耳元で聞こえる。


「――もう、僕以外のヒトを好きになったら駄目だよ」