わたしのかみさま。


※ブラック本丸ネタ



私は望まれた子ではなかった。『私』という意思が確定した時から、私は母に蔑まれ罵倒され育った。『お前なんて生まれなければ』『お前なんて生むんじゃなかった』そんな言葉は、幼い私の心を毎日突き刺し、削っていく。軈て私は母の愛なんて諦めるようになった。
勿論、叩かれたり、蹴られたりもした。虐待を疑われない程度に加減されて。食事だってそう。他人からみた私は少し痩せ気味の女の子だと思う。でも、何人かは気づいてそうだったな。だって、転んだとか言い訳出来る範囲なだけで傷がないわけじゃないもの。
父は何も云わなかった。私にも、母にも興味がなかったみたい。だから私を殴ったりはしなかったけど、母を止めることもしなかったし、通報することもなかった。……父は、母と結婚するつもりはなかったんだって。
だから私は、望まれたコじゃなかった。
そんな日々を毎日繰り返して繰り返して。中学卒業間近の事だった。
私が家に帰ると、家の前に人が立っていた。近づくと、母が知らない人と話しているのが見えた。
その知らない人は二人いて、一人が母と会話をしていた。母は段々と顔が嬉しそうに綻ばせていく。
「!先輩……」
何だろう、と私がじっと三人を見ていたら、残りの男性が私に気づいたみたいで隣の男性――母と会話をしている男へと声を掛けた。その男性と、母も気づいた様で私を見てくる。
「お待ちしておりました」
眼鏡を掛けた男はにこやかにそう云った。ちらりと母を見れば、相変わらずにこにこと笑っている。母からこんな顔を向けられるなんて初めてで、私は酷く驚いた。
「実は、貴女にお願いがあってこの度は足を運ばせて頂きました。審神者、というのを御存知でしょうか?」
私が素直に知らない、と答えれば男は審神者とは、審神者の役目とは何かを教えてくれた。
話を聞いても、私は特に何も思わなかった。だけど、真っ先に反対しそうな母はとても喜んでいて、私はとても困惑した。
時間がないので今すぐお返事を、と男は云う。同意してくれたら今すぐ本丸?という所に行くらしい。余程切羽詰まっているみたい。
どうしようかと悩む私が母を見れば、あの人はやるわよね?と無言で訴えていた。……どうして、どうしてだろう。
でも、仕方ない。私は審神者になることを了承した。だってそれ以外道はないんだもの。此処で私が断っても母が考え直せというに違いないから。
男の反応はそれぞれだった。眼鏡の男は喜んで、その男を先輩と呼んだ若い男は何故か同情の視線を向けてきた。

その視線の理由は、直ぐに解った。

先に車に乗ってくれと云われ、私は若い男と一緒に男達の車に乗った。特にやることもないので車内から残された母を見てみれば、母は眼鏡の男から何かを受け取っている所だった。
――金だ。私は直ぐに理解した。
あぁ、なんだ、そんな事、だったんだ。
だから、さっき、
「……御免な」
……私が窓の外を見ているのに気づいて、私がショックを受けたと思ったのか。男がそう謝ってきた。そちらに顔を向ければ、その人の顔は本当に申し訳なさそうな顔をしていて。寧ろ私の方が謝るべきだと思ってしまった。だって、私はショックなんて受けていない、母にとって要らないコだった私はこんな事、予想しようと思えば直ぐに思い描ける。
「……本当は、さ。違うんだよ」
私は何も云えなくて口を閉ざした。そうしたら、再び男は呟いた。
「御免。先輩は何にも思ってないんだろうけど、俺はやっぱ、無理だ。だから君に真実を話そうと思う。俺にはそれしか出来ない。いや、こんなことを話したら君は逃げ出したくなるだろうね。でも、既に君は了承したから逃げ出すなんて無理だ。けど俺はさ、何も知らずに行くのよりは知って覚悟を決めていく方がまだマシだと思う。だから、聞いてほしい」
逃げ出そうなんて思うわけない。何処にも逃げる場所なんてないし、私には居場所なんてないのだから。
だけど男の真剣な表情にそんな事を云えるわけもなく。私はその気迫に押されてしまって、思わず頷いてしまった。
「先輩が云ったことは、嘘じゃないんだ。本来なら本丸や初期刀といって、最初にこちらが提示する刀のどれかを選んで貰うんだけど。君が行くのは、ブラック本丸なんだ……なんて、云っても解んないよな。ブラック本丸ってのは我々が付けたものでね。刀剣男士について説明しただろう?人間、色んな奴がいる。その色んな奴の中で、彼らをぞんざいに扱ったり、無理矢理夜伽をさせたりするのがいるんだよ。そう云った本丸の事さ。無論、見つけ次第その本丸の審神者は捕まえて審神者としての権利を剥奪はするんだけどね。程度によるんだけど、長い間気づかれずに、ようやっと発覚した本丸の場合、そんな事じゃ怒りが収まらない刀剣男士達もいる。君は、其処に行かされる」
「……どうして、ですか?」
「本来は、余程酷くない限りはブラック本丸の刀剣男士は刀解されることになってる。もう人には力を貸したくない、関わりたくないってね。けど、あくまでそれは話し合いが出来るならの話だ。云っただろ。発見が遅れた本丸程、刀剣男士の人間への怒りは、恨みは強いんだ。相手は付喪神。一般的には付喪神ってのは妖なんだけど、こっちでは彼らは神様の定義なんだ。だから、俺らは困るのさ。――呪われるのを」
そこまで聞いて、私は何となく察した。彼らは恨んでいる。ヒトを。だからヒトを差し出す。つまり、それは。
「……私は、生贄、なんですね」
くしゃりと男が顔を歪めた。御免、ともう一度呟く。
私は、何も云わなかった。


***


若い男の云ったことは事実だった。
門の横にあったパネルを操作して門を開くと、眼鏡の男は私を乱暴に中へと押し込んだ。不意だったこともあって、私は油断をしていたから思いっきし地面へ叩きつけられる。門が完全に閉じられる前に私が顔だけを振り向けば、私を突き飛ばした男の顔は今までの好印象とは一変して、醜悪に歪んでいた。あぁ、なんて醜い人。私がぼんやりと閉じられた門を見ていると、邸の方から足音が聞こえた。顔を戻せば、そこにはぼろぼろの衣服をまとった男達がいた。彼らが刀剣男士、なのだろう。私をきつい眼差しで睨んでいる。
「――刀剣男士様!お聞きくださいませ」
彼らの誰かか口を開こうとその前に。眼鏡の男が門の外から声を張り上げた。
「その小娘は煮るなり焼くなりお好きになさって構いません。どう扱おうが、我々は一切関与致しません。ですから、代わりに!代わりに、これ以上呪詛を撒かれるのをお止め頂きたい!貴方方の怒りや憎しみは、全てその小娘が引き受けいたします!ですから、何卒宜しく申し上げる……!」
「……こやつが、か?」
「!ええ、勿論です!審神者としての素質も御座いますので手入部屋等、本丸内の機能も御利用頂けます。ですが、人間であることには変わりは御座いませんので……その点はご注意下さいませ」
刀剣男士の反応に、男は逃がすまいと必死になって言葉を紡ぐ。
そのやり取りを見てもやっぱり私は、何の感情も浮かばなかった。私の日常は変わらない。場所と相手が変わっただけなのだから。その突き刺す視線も、既に私が受けていたモノ。今更何も思わない。……思わない。
男達が帰っていくと、私は邸の日の当たらない様な隅っこの部屋に放り込まれた。淀んだように空気が重い。息が出来ない訳ではないのだけれど、酷く不愉快だった。まぁどうせ、次第にそんな事も思わなくなるんだろうけれど。
気がつけば部屋の襖は開かなくなっていた。彼らは私がうろちょろされるのが嫌らしい、だからこの襖は私では開けれない。この小さな空間が私の新しい居場所。今日から、死ぬまで、ずっと。

そうして私は審神者≠ノなった。



***


私が唯一心配したのは食事だった。今までは最低限とはいえ食事は用意してもらえていたので、此処では出されないとなると餓死してしまう。まぁ生きていても仕方ない人生なんだから、その時はその時なのかもしれないのだけれど。
結果を云えば、私の心配は杞憂に終わった。家に居た頃と違って食事も残飯とかではなく、普通の温かいご飯だった。私の意外そうな反応は表に出てたらしくて、食事を運んできた刀剣男士(この本丸の初期刀だったらしい)があっさり死なれたら困るからと説明してくれた。私の代わりなんて、幾らでもいるんだろうけど。向こうは知らないからかな。
偶に、躯の中から何かが抜け出ていく様な気がする。訊いてみれば私の気≠使ってあの眼鏡の男が云っていた手入部屋?とか起動させているらしい。私がさして反応しないでいると、話を聞いた刀剣男士はつまんなさそうな反応をした。勝手に力を使った事について様子を見てみたかったらしいのに、との事だった。審神者の役目の一つらしく、本来なら信頼関係の上で向こうが手入れを頼むとか。
それは彼が言う通り、私が普通の女の子だったら悲しんでいたと思う。だけど昔から存在否定されて育った私にとっては別に取るに足らないものだ。
勿論、それだけでもなく。当然、暴力も受けた。だけどこっちもある程度傷が酷くなったら完治されるまで放置された。簡単に死なれたら困るってことらしいんだけど、私には意外だった。力の加減が違うとはいえ、母はほぼ毎日、私の傷が癒えなくても振るわれていたのに。
そう思えば、向こうにいた頃よりこちらの方がマシなのかもしれない。私がそう思い始めた頃だった。ある日何時もの様に食事を運んできた刀剣男士が、ぽつりと云った。
「――あんたさ。こんなことしてる俺達が云えたことじゃないんだけど。なんで抵抗とかしないの?普通は何とかしようって足掻くんじゃないの。なのに諦めた様な顔してさ」
「……私が普通なら、そうしてたと思う」
悲鳴を上げる躯を無理矢理起こしつつそう呟くと、普通?と刀剣男士は訝しげに眉を顰めた。
「何、あんたは普通じゃないって?」
「さっき云ったじゃないですか。普通ならどうかしようと抵抗するって」
「……」
「私、慣れてますから。問題ないですよ」
へらりと笑うと、彼に溜め息を吐かれた。
「あんた、本当にそう思ってる?」
「……何がですか」
「なんかさ、あんたを見てるといらいらするんだよね。ね、本当に平気だって、当たり前のことだからなんて思ってんの?」
――彼の視線が、私を貫く。
その顔を、その視線を、その言葉を。私は知っている。
……母さん。
要らない。いらいらする。生まなければ。そう毎日云っていた母さん。その心底不愉快だという目つきで、私を殺す。
似てないのに、自然と私の目には彼と母の姿が重なった。
「…………愛されたかったの。」
母さん。ずっと言えなかった。云ったって仕方ないって解ってた。叶いっこないって思ってたから云わなかったし奥底に沈めていた。けど、でも、本当は。
「……、ならさ、俺が愛してあげようか」
えっ、と顔を上げた私が見たのは、苦悩の色を浮かべた彼の姿だった。
「俺もさ、……愛されたかったんだよね。けど、主は愛してくれなかった。色々頑張ったけど、駄目だった。主のお気に入りは別の刀だった。それでも、それでもさ、愛して欲しかったんだ。あんたはそんな俺に似てる気がしてる。だからさ、今までやって来た人間達みたいに憎めなかった。……要は傷の舐め合いってやつ?」
愛して欲しいんでしょ?だから愛してあげる。だから、あんたも俺を愛して。
私の目線に合わせて、彼がしゃがみ込む。彼のその提案は、奥底に封じ込めていた感情を剥き出しにした私にとってとても蠱惑的だった。
「…………いいの?もう、苦しまなくても」
生きててもいいって、何で生きているのかって。もう、悩まなくてもいいの?私の存在を、私を認めてくれるの。
「――いいよ。」
耳を打つその言葉に、私の眼から涙が溢れ出る。その言葉は、わたしにとって天啓だった。私は赦されたんだ、私は生きててもいいんだ。あぁ、やっと。やっとは私は。
祈りを捧げるように私は彼へと手を伸ばした。


「――わたしの神さま。どうか、貴方の名前を教えて下さい」