君が幸福ならば





ずきずきと頭の痛みに目を開けた。見慣れた天井が私の視界に映る。薄暗い部屋の中に陽射しが差し込んでいて、もう朝なのかと欠伸を零しながら躯を起こした。それから寝間着から着替えて、布団を畳む。和室だから仕方がないのだけれど、一々畳まなければならないのはめんどくさい。
よし終わった、と思った所で私は違和感を覚えた。――何時もこんなに静かだっただろうか?
私の部屋は男士達の部屋より離れた位置にある。けれど離れという訳ではないのだから、普段誰かしらの声は聞こえるのだ。なのに今は鳥の鳴き声ぐらいしか聞こえない。これは一体どう云う事なのだろうか。
「――主?」
「っ、……、おはよう。山姥切ちゃん」
襖越しに聞こえた声に私はびくりと躯を震わせた。どことなくぎこちなく立ち上がって、戸を開ける。そこには予想通り私の近侍が立っていた。近侍――山姥切長義は私の姿を確認すると、ふっと表情を緩ませる。
「気分でも悪いのかなと思っていたが、どうやら違うみたいだね」
「……何処も悪くないよ、ちょっと考え事してたんだ。御免ねぇ」
……そんなに私は考え込んでいたんだろうか、気づかなかった。
けれど、彼がいるなら。私は一人取り残された訳ではない。それが解っただけでも、いい。山姥切から話を聞けばいいのだから。
「ねぇ、山姥切ちゃん」
私の目の前を歩く彼のその背中に問い掛ける。
「今日は随分と静かだねぇ、他の皆はもう起きてるの?」
私の疑問に山姥切が足を止めた。振り向いたその顔は困惑に彩られていて、予想外の反応に思わずえ、と声が出る。
「……主、この本丸には俺しかいないじゃないか」
「――え?」
予想外の言葉に私は目を見開く。嘘だ、そんな筈。だって、……?
「……うーん、まだちょっと寝ぼけてるみたい」
落ち着け、ここで取り乱しても無意味。今ならまだ誤魔化せる。私は何時もの笑みを浮かべて、何でもないと振る舞った。
……山姥切が私に嘘を吐いている?それとも、私が今まで過ごしていた本丸は夢だったというのか。でも、それなら何故彼が。だって彼は特命調査の報酬。それに、彼が私に嘘を吐く理由が解らない。
私は山姥切が気に入っていた。彼に親近感を抱いていたから。尤も、事情は全く違うのだけれど。今まで命じたことの無かった近侍を彼に指名した理由はそれだ。だから、私は、彼を疑いたくはない。
そもそも彼が私に嘘を吐くメリットは何なのだろう。山姥切が私をどう思っているのかは知らないけれど、少なくとも嫌われてはいない、と思っていたのだ。……もしかして、私は恨まれている?彼を受け入れられないという審神者が一定数いるという事は知っていた。私は違うけれど。でも、山姥切の性格からして同情されるのは不愉快に違いない。だから、嘘を?
ぐるぐると思考が巡る間に食堂に辿り着く。中からは食欲を誘う匂いが漂っていた。二人分の食事。けれど矢張り、どことなく違和感を覚える。ここ、こんなに広く感じていたかしら。
「嗚呼、大分冷めてしまったね。温め直そうか」
「……御免ねー?」
容器の中に満たされた味噌汁を鍋に戻して火にかける。その後ろ姿を私はぼんやりと眺めていた。
山姥切が正しいのか、私が正しいのか。それを確かめる方法は私の中で既に解っていた。刀帳を見ればいい。本丸に顕現された刀が自動的に登録されるそれは、誰が来て誰が居ないのかよく解る。
でも、それを見るという事は。
――私は、どうすればいい?
「?何か云ったかな」
口に出したつもりのなかったそれは、実際には声に出していたらしい。再び味噌汁を注いだ容器を手にした山姥切がこちらを見ている。私は慌てて横に振って、何でもないと答えた。
「それで、主。鍛刀部屋の事だけれど。政府に連絡は入れたが、未だ返信がない。当分使えそうにないな」
「……ふぅん、そっかぁ。じゃあまだ山姥切ちゃんと二人っきりだねぇ」
彼に調子を合わせて、私は朝食に手を伸ばす。鍛刀が出来ないと出陣は厳しいか。新しい戦場など単騎で向かわせられる訳がない。彼の練度は上限まで上がり切っているし、それなら遠征に向かわせて資材を集める方が効率化だろう。
「……まるで、神隠しみたいね」
「……、へぇ?」
ぽつりと呟いたその言葉に、目の前に座る彼が反応する。すぅ、と細めた目が、私を貫いた。え、と思わず躯が強張る。そんな反応されるなんて思ってなかった。先程の言葉に深い意味なんてないのに。
「……別に特に意味なんてないよ?だって出陣も出来ないし、山姥切ちゃんと本丸に引き籠ってるみたいでしょ?まぁ出陣出来なくても遠征があるし、何なら万屋にも行けるから全然違うんだけど」
「……そう、だね。なら、もし、俺が君を本当に神隠ししたとしたら。どうするのかな」
彼の口からそれが出るのは意外だった。貴方もそんな事しなさそうじゃない、主に執着だなんて似合わない。……けど、まぁ。
「……どうもしないよ?」
「……、へえ。それはつまり、抵抗しない、という事かな?」
「そうだね」
山姥切にならいいかな、と思ってはいるのよ。されたいって訳ではないけれど。だって実際、山姥切はそんな事しないって解ってるから。
「…………はは。もう少し早く、それを聞きたかったな」
「……?山姥切ちゃん?」
呟かれた言葉が聞きとれなくて、私は聞き返した。何でもないよ、と返されて何も解らなかったけれど。
でも、彼の背後でひらひらと舞う花弁が見えたので。まぁいいかと私は口を閉ざした。
――だから、私は、


***


見慣れた天井が私の視界に映る。薄暗い部屋の中に陽射しが差し込んでいて、もう朝なのかと欠伸を零しながら躯を起こした。それから寝間着から着替えて、布団を畳む。和室だから仕方がないのだけれど、一々畳まなければならないのはめんどくさい。
「あ、山姥切ちゃん。おはよー」
襖を開けると丁度私を呼びに来た彼が目の前にいたので他愛のない会話を広げながら食堂へと向かう。
そうして今日も、私は山姥切と二人きりの本丸を過ごすのだ。