箒というのは魔女だけが乗れる乗り物。掃除の時に使う物と少しだけ違うのは、形状がほこりや塵を取り除くのに適した形ではなく、飛ぶのに適した形になっているところだ。魔女の箒は特別だ。箒専門の職人が居るほど、魔女の箒というものは彼らにとって欠かせないアイテムで、重要な商売道具、移動手段であった。勿論、魔女達の昼間の箒仕様は未だに禁じられているのだけれども。
速く飛ぶのが好きな魔女は、軽いくて短い箒に乗る。反対に、荷物を運搬したり、長距離を箒で移動する魔女は長くしっぽの大きい箒を使う。
箒に乗るのは、自転車に乗るよりもはるかに難しい。集中力が切れれば真っ逆さまに落ちてしまうし、心が定まっていなければ箒は言うことを聞かない。魔女―――正式な魔女になるまでの「まじょ」という見習い期間。その一番最初にこなす試練が、この「箒乗り」だ。ちなみに、運動神経が良い方のキルでさえも、最初は何度も箒から落ちて恐い思いをした。今になっては彼にとって箒に乗ることなど造作も無いことだったけれど。
「まじょ」の期間はよっぽどのことで無い限り一人で自分の家の敷地の外に出ることは禁じられている。子どもの頃は力の制御が難しいのと、庭から一歩出れば亡霊だらけであるためだ。誤って庭のそとに転がり出たら最後、死を覚悟しなければいけない。
見習いの「まじょ」が庭の外で箒に乗るときは、18歳を越えた「大人の魔女」の同行が必須。
これは魔女界では当然のルールだった。
―――まあ、そんなこと目の前の少女は知らないのだろう。
キルはそう思いながら、「乗りたい」と騒いでいるミチに「嫌」とだけ言って歩き始める。すぐに後ろからミチがついてきて、どうしてだめなのかを聞き始めたけれど、無視した。
「ねえどうしてだめなの?もしかして幽霊が外に出るから子どもだけでは敷地の外に出てはいけないとか?」
キルはすたすたと動く足の速度を少しだけ落として、ミチの顔を見た。なかなか鋭い、と少しだけ見直す。目を丸くすると、僅かな仕草だけで察したのか「そうなのね」とミチが考え込むような仕草をする。分かったなら、諦めてよ。そうキルが口にする前に、ミチは「じゃあ良い考えがあるわ」とキルに笑顔を向けた。その瞳にはあきらめたような色は少しも浮かんでいない。
キルの箒は真っ黒で、短めだった。6歳の誕生日に父親に買って貰った物で、オーダーメイド品。世界に一つしかないキルのためだけにつくられた箒。キルはこの箒がお気に入りだったし、この箒を人に使わせることはおろか、自分以外の人間を乗せるつもりなどないと思っていた。
それなのに、とキルはまた呆れた溜息をついたけれど、これが自分のする最後の抵抗なのだろうと言うことは薄々気付いていた。正直に言えば、キルは彼女のこの…押しの強いところに弱いのだった。
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「なんでこんなことに」
「あら、仲良いお友達を家に招くのは普通の事じゃ無い?」
「なんで僕が」
「キルがわたしのお友達だからよ」
キルは不機嫌にベットにもぐりこんでねむってしまおうとしたけれど、ミチがそれをさせなかった。キルはねかせてほしいと言うが、ミチは笑顔で首を振る。ねむいのか、ときかれたらねむくない。なぜなら昼間にミチに引き摺られて無理矢理に昼寝をさせられたからだ。庭の薬草をみたり、野菜のにおいがする土をいじるのは(不本意だけれど)楽しかった。キルのみたことのない植物がたくさん植えられているミチの家の庭は図書館でよんだ秘密の花園を思い起こさせる。
けれど、いくら楽しくても知らない屋敷をあちこち歩き回るのはどうしてもつかれてしまう。特に、ミチの家は病院を経営している。ミチ以外のミチの家族と話すことでさえ全神経を研ぎ澄ませなくてはいけないのに、病院に訪ねてくる人をみると、どうしても自分が落ち着かない気分になるのだった。しかし、キルがそう言う気持ちになったときは、すぐにミチが手を引いて違う場所に引き摺っていたから、長続きはしなかったのだけれど。
あちこち歩き回った後は、ミチはキルを寝かしつけた。そして自分もさっさと寝てしまった。キルは相変わらず無防備なミチを見て溜息をついて、ミチの本棚に入っている知らない本を手にとって読んでいたけれど、キルもいつのまにか寝てしまったのだった。
起きたときにはすでに外は暗くなっていて、食卓にはいろんな料理が並べられた。食卓に並ぶ料理のほとんどはキルの知らない物だった。東に位置するルイナテリーゼの伝統料理はほとんど無く、かといってどこ、と指定できないようないろんな料理が並べられている。キルの驚きが伝わったのか、ミチの祖父だというフレディという男は「我が家の食卓は北も西も東も南も、レシピがごちゃごちゃとしているでしょう」と笑った。
「私たちはいろんな国へいって診療所を開いているから、必然的に食卓はこうなってしまうのですよ」
キルは警戒しながらも「初めて見た料理がほとんどです」と答えた。
「キルリエイズくんは他の国には行ったことはないのかね」
「僕の家は、魔女の家ですから」
理由になっていないようで、これがまっとうな理由だった。魔女はどこへいっても肩が狭い。魔女を歓迎してくれる場所へしかいけないし、もしそこにいったとしても慣れるのは難しい。キルは思ったままの、感じたままの事実を正直に答えたけれど、棘のある言い方になってしまったかも知れない、と思いなおした。顔をあげる。けれども、キルの心配は杞憂だった。
「では今度出かけるときは、是非一緒に行きましょう」
きっとたのしいし、ミチも喜びます。そして私も、と言った。フレディは笑っていた。キルは目を丸くして、フレディを見た。ミチのあの性格は、この人に似たのだろうか、と思う。ミチとの血のつながりを、強く感じる。考え方が、似ている。魔女も人間も、隔てる物は何も無いかのような言葉の使い方。屈託のない笑顔。
一瞬眩しい物を見るように目を細めて、キルは小さく頷いた。はい、と返事をしたかったけれど、それはまだ出来なかった。けれどもやはりフレディは気分を害すること無く「楽しみですね」とほほえむだけだった。
「なあに、おじいさま。キルとないしょばなし?」
「ミチ」
ミチが料理ののった皿を危なげなくもって来る。キルはミチが机の上にお皿を置くのを手伝おうと手を伸ばしたけれど、「キルはなにもしないですわっててってば!」と笑った。本来はキルも料理を運んだり、食器を並べたりしたかったのだけれど、フレディにもミチにも座っていてと言われてしまい、仕方なく座っていた。代わりに手伝おうといったフレディも、ミチによって椅子に座らせられる。どうやらフレディは医者としての腕はすばらしいものだけれど、他の細かいことに関しては苦手らしいのだった。
すべての料理を並べ終えたミチが、座っているキルのとなりの椅子によじのぼる(ミチには椅子は少しだけ高かった)。ミチは不満そうに、そして好奇心の色をひとみのおくにのぞかせて、二人を見た。ないしょばなしなんてずるいわ、という彼女にフレディが「すこしくらい内緒のことがあってもいいでしょう」と言う。その言葉でミチが納得するとはキルは思えなかったが、案外簡単にミチは「そうね」といって納得した。
「聞き分けが良いね」
キルが小声でいう。嫌味では無く、本音だった。いつものミチならあと三回くらいは食いついていただろう。
ミチは「だってひみつがあったほうがすてきなときもあるじゃない」と笑った。ふふふ、と唇から心地よい笑い声が漏れる。キルは「あ、そう」とだけ答えて膝にナプキンをしきなおした。
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つきのひかりがひたすらにまぶしい。夜の庭は昼間とは打って変わって神秘的な色合いをしている。キルは夜が好きだった。夜は恐ろしい、夜はまがまがしい、とひとはいうけれど、夜は余計な物が削ぎ落とされているとキルはおもう。そう、冬のような洗練とされた雰囲気。こわいとおもうのは、うつくしいからだとキルは思う。うつくしく、むだなものがないから、自分の居る場所が分からなくなってしまう。自分とこの場所の境界が、どこなのかあやうくなってしまう。迷宮の中に取り残されたように、それはとてもおそろしく甘美だ。
キルは箒をミチに差し出した。ミチは触って良い物か少し迷う仕草をしながら、動かないキルを見て、両手でしっかりと箒を持った。
「軽い」
「そりゃ木でできているからね。鉄でできてるとでもおもった?」
キルが不機嫌に言葉を吐いても、ミチは気にしていなかった。興味津々というように箒を見て、撫でてみたり握ったりしている。流石にニオイを嗅ごうとしたときにはキルもとめた。
「とりあえず、見ての通り短いし、ふたりで乗ったことは無いから下手したら落っこちるかも知れないよ」
「大丈夫よ。心配ないわ」
どこからくるんだその自信は。
キルはもう諦めて、箒にまたがった。後ろに乗って、というとミチも箒にまたがる。しっかりつかまってなよ、と言うと、ミチがキルの身体に腕を回した。キルは驚いて身体を強ばらせる。
「ちょ、な、は?」
「?つかまったわよ。もう大丈夫、絶対落ちないから」
「いやそういうことじゃなくて…」
はなれてくれといいたかったけれども、安全を考えたらこれが正しい気がする。キルは深呼吸して「なんでもない」と言った。ミチが「そう?」とわらったのが背中をむけていても、なんとなく、わかる。
体育倉庫でキルの身体を抱きしめた温度と、おんなじ温度が毛布のように身体を包み込んでいる。その感覚は嫌では無かった。少し前の自分だったら、人間にさわられるなんてきもちがわるい、と突っぱねていただろう。だけれども、ミチの手はあたたかいのだ。そして、絶対にキルを傷つけない。何度振り払っても、何度でも手をのばしてくれる。大丈夫よ、と言う。
それがわかっているから、キルは振り払うことが出来なくなったのだ。それは喜ばしいことで有り、同時に何かを失うことでもあった。けれどもいまの自分の事は、嫌いじゃ無かった。
もう一度深呼吸する。上を見上げる。満天の星空。うつくしい月。キルの大好きな夜。夜間飛行は尊い。魔女にとって、聖なる瞬間だと、キルは思う。
「―――飛ぶよ」
ミチがうん、と返事をする。その声がすこしだけ緊張しているように聞こえて、面白かった。この子でも緊張なんてすることがあるのか、と思うと面白かった。
ゆっくり。ゆっくりと、リズムを刻んでいく。カエルがとぶように、とん、と地面をノックしていく。とん、とん、とん。そして三度目のノックの瞬間に、おもいきり膝をまげて、跳ねた。足がのびる。つま先がのびる。地面から離れる。身体が自由になる。重力に反するふたりのからだを、夜の風がつつみこむ。
浮かび上がったとたん、ミチがキルの背中につかまる手を強めた。キルはゆっくりと上に向かって上昇していく。
「すごい、すごいわキル!―――わたしたち、浮いてる!浮かんでるのよ!」
「飛んでるんだよ、空を。ばかだな」
すごい、すごい、となんどもミチは声をあげた。足をばたつかせてさわぐものだから、キルは「あぶないからおちついてよ」と何度も注意することになったけれど、正直うれしかった。自分も初めて空を飛んだとき、こんなふうに反応した物だった。空を飛ぶと言うことは、誰にとっても夢だろう。空を飛び回ることは、魔女の特権。キルははじめて空を飛んだとき、心から魔女で良かったとおもったものだ。この空を泳げる権利を与えられることが、ほこらしかった。
キルはゆっくりと進んで行った。家の周りをぐるりと一周する。ミチはきょろきょろと首を動かして、すべての景色を焼き付けるように見ていた。
「すごいわキル、あなたってほんとうに、―――素敵だわ、最高よ、すてき」
「…別に、まじょだったら誰だって飛べる」
「でもわたしには永遠に無理よ。わたし、あなたにあわなかったらこの夜の空の色も、夜の庭のにおいも、風の温度も、月や星に近づくこともできなかったわ」
ほんとうにありがとう、とミチが顔を背中に寄せた。キルはなんていったらいいかわからず、とりあえず上に飛んでいく。たかい、たかい、たかいばしょまで。
「つきがきれいね。地上で見るとあんなにちいさいのに、ここでみるとわたしたちなんてちっぽけなものだわ」
「このそらをもっと高いところまで飛んでいけばあそこにいけるのかな」
ぽつりともらして、ミチが黙っていることに気付いてはっとした。キルらしくも無いことを口にした。
けれどもミチはきにしていなかった。むしろ考え込んでいた。そして、良いことを思いついたというように口を開く。
「いつかいってみましょうよ。ふたりで。どこまでも飛んで、いろんな場所をみにいって、月にもいきましょう」
「どこまでもって…君を運ぶのは僕ってわけ?」
「もちろん。夜はこうやって箒の後ろに乗らせてね。昼間はわたしがキルの手を引くわ」
「一人で歩ける」
「うそばっかり」
うっとりと月をみながら「アルカ、オルバ」と小さくミチがつぶやく。
アルカ、オルバ。むかしばなし。
「月のふたご?」
「そう、月にすむふたりのふたご。よくしってるわね、キル」
「有名な童話だからね」
アルカ、オルバ。記憶の鳥を探して旅に出る男女の双子。
「きおくのとり きおくのとり。 かぜにゆられるみたいに そらをとんでいくみたいに―――でしょ」
キルがいうと、そのとおり、とミチが笑う。「むかし、すごくすきで、毎日読んでいたわ」それこそ、記憶してしまうくらいに。ミチはそう言って、小さく口ずさんだ。
きおくのとり きおくのとり
かぜにゆられるみたいに そらをとんでいくみたいに
あおいろのうみのなかも あかいろのそらのなかも
とうめいのとり きおくのとり
かぜにゆられるみたいに まどべによりそうように
みどりいろのじめんのなかも ちゃいろにそまるきぎのなかにも
きおくのとり きおくのとり
かぜにゆられるみたいに そらをとんでいくみたいに
ねむるこどものゆめのなかに えいえんをたゆたう きおくのとり
きおくのとり きおくのとり
かぜにゆられるみたいに そらをとんでいくみたいに
つないでおくれ つないでおくれ あのとびらが ひらくときまで
そのつばさが おれるまで
「…あのあと、双子はどうなるんだっけ」
記憶の鳥をさがしにいった双子。ふたごは最後、月にたどりつく。そうしてそこでなかよくくらす。そこまでしか、キルは覚えていない。記憶の鳥と最後は出会えたのだったか。出会えないのだったか。
「記憶の鳥にあのふたごはであえたのかな」
「わからない。くわしくはなにもかいてないの。…でも、わたしはなんとなく、記憶の鳥がどういうものなのか、わかるきがする。そしてあのふたりは、きっと出会えたわ。わたしのかんがえだけれどね」
それはなにか、と聞こうとするキルにミチが「きっとキルもわかるわ。いつか」と言う。
「わたしも、はっきりと掴むために、記憶の鳥をさがすから。キルもきっと、探してね」
「ふたりで探すんじゃ無かったの」
いってしまってから、これじゃ自分が行きたいみたいだと思ったけれど、実際言ってみたかったから、仕方が無かった。キルはいきたかった。どこまでも飛んで。いろんな場所を見てみたかった。月にまで飛んで、記憶の鳥を探したかった。
ミチは「そうね」といって、「いつかかならず、いこうね」と言った。
「…ふたりで。どこまでも飛んで、いろんな場所をみにいって。そして、記憶の鳥をさがして、月にたどり着くから」
きっといけるわ。どこまでも。
ミチは、しずかにめをつぶった。
繋ぐことが出来るはず。あの扉が開く場所まで。
夢でも見たら
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