強く生きろ name
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お登勢さんがタバコを吸わないで椅子に座っているのを初めて見たかもしれない。私はお登勢さんの隣に座り、机の上で両手を組んだ。
未だに鳴り響くテレビの音。気付いたらニュースは終わり、深夜独特のバラエティー番組が流れていた。



「...それで?どうしたんだい」



中々口を開かない私を見兼ねてなのか、お登勢さんが口火を切ってくれた。
私はゴクリと喉を鳴らし、両手をきつく握りしめた。



「...お登勢さん、ずっと黙っていたことがあります。信じてもらえないかもしれませんが、今から言うことは本当のことなんです...」


お登勢さんはゆっくりと足を組み直し、少しだけ体を私の方に向けてくれた。


「あぁ、わかったよ」


決して投げやりではない、しっかりと私の目を見てお登勢さんはそう言ってくれた。
私は意を決して一つ息を吐いてから、体をお登勢さんの方に向けて口を開いた。


「私は、この世界の人間じゃないんです」


お登勢さんの顔を見れば、驚いているわけでもなく、疑っているわけでもなく、私の話を促すかのように真偽を確かめるかのように私を見てくれていた。


「...小さい頃に、お母さんが死んだんです。病気でした。とても優しい人でした。大好きでした」



だけど、自分が10歳の時、お父さんが再婚をした。新しいお母さんは、自分に厳しくて、嫌いだった。

でもそれはただ、私が子供だったからなんだ。

それを自分は、嫌われているとか厳しいとか。あの人なり、母親としての愛情表現だとも知らずに。


「...それで、あんたはどうしてここにいるんだい?」


お登勢さんは静かに、私に聞いた。


「...自殺を、したんです」


今でも忘れない、頭から流れている血、弟の叫ぶ声、親の私の名前を呼ぶ姿。自分の死んだ瞬間を。


「自殺かい...それは随分と罰当たりなことをしたね」

「はい...今ならわかります。...お登勢さんやみなさんと接してきて、愛情表現にはいろんな形があるんだって。あの人は、いや...お母さんは、私をきちんと自分の子供として接してくれていたんだって...」


お母さんと、呼びたかった。
あんなに私に歩み寄ろうとしてくれていたのに、それを全部無視して、大嫌いだと跳ね返していた私が言えた義理ではないけれど。

無くしてから大事なことに気づくとはよく言ったものだ。自分がいなくなってから、大切だったことに気づくなんて。


「あんたが今、ここにいるのは...」


自分でバカなことをしたとわかってる。
言葉が出ない私を横目に、お登勢さんが口を開いてこう言った。



「やり直しを強要されてるのかもしれないね...」

「やり直し...ですか?」


握りしめていた両手に、お登勢さんの手が重なる。しわくちゃの、それでも優しい、温かいお登勢さんの手。
ポトリポトリと涙が落ちた。お登勢さんの手に、じんわりと広がる三つのシミ。


「人生とはわからないものさ。私もこの年になっても、まだわからないものだらけだ。

金に悩んで、人に悩んで、愛に悩んで...それでも生きていくしかない人生か、あんたみたいに、一層のこと死んでしまうっていう方法もあるんだろうね...」


人生とはわからないもの、どれだけ長く生きてもそれは変わらない。

お登勢さんは私の手を両手で握りしめて、しっかりと目を合わせて口を開いた。




「私は別に、自殺を否定するわけじゃないけどね、自分は悪くないと言って、残った者のせいにして死んでいくのだけは、ごめんだ」



私の目を貫くその目に言葉。


あぁ、私は、一番やってはいけないことをしてしまっていたんだ。



「どうしたら...いいんでしょうか...。もう、戻ることはできないんです...」



我慢していた涙が頬を伝って流れた。止まらない、止まらない。お登勢さんの目をしっかりと見ているつもりでも、どんどん揺れていくお登勢さんの姿。

どうして私が泣いているのだろう。

泣きたいのはお母さんだというのに。


そんな涙を流した私の頬を、お登勢さんは両手でそっと包み込み、優しい笑顔を見せて言ってくれた。





「...生きればいいのさ」

「...生きる」

「もう逃げないように、強く」






そのあとは、何度も何度も泣いた私を笑いながら、お登勢さんは何度も私の背中を優しく叩きながら抱きしめてくれた。

泣くな、泣くんじゃない、まるでそう言ってくれているかのように、泣いた赤ん坊をあやすように優しく。





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