01


ひたすら逃げた。履きなれないハイヒールが踵を刺激する。煩わしくなって途中で脱いで、それを手にして走った。闇の中をただまっすぐと、どこに行くでもなく、ゾンビのようなものから逃げる為に。人々が逃げ惑う方向にはいかなかった。絶対そっちに行ったら巻き込まれると思ったからだ。木々に囲まれる所に大学があってよかったと心の底から思った。森の中を葉っぱを踏みしめながら走る。ちくりと走る痛みは靴擦れと枝を踏んだことによる擦り傷だろうか?だとしても関係ない。今はただ、逃げるのみだ。



アメリカに来たのは、学会に参加するためだった。研究を続けたくて、同じ大学の院にそのまま進んだ。功を成してか、無事に結果を出した時に研究室のボスである担当教員から、アメリカの学会に参加しないかと声をかけられた。
就職活動も終わって、あとは修士論文を提出するだけだったし、英語は堪能ではないけれど何か良い経験になればいいと思って、先生と共に渡米した。

学会を行う大学の周りには木々がたくさんあった。緑に包まれるいい所だなと思った。自分の発表も無事に終わって、なんとなく夜はそこらへんをゆっくり歩いてホテルに戻りたかった。本当は早めに戻りなさいと先生に言われていたのだけど、緊張から解放された私は、スーツを着崩しながらゆっくりゆっくりとアメリカの空気に触れて見たかったのだ。

そんな時、急に辺りが騒がしくなった。昼でさえ静かな所だったのに、急にだ。なんだろうかと思って立ち止まり振り返れば、大学の正門からたくさんの人が逃げ出していた。なにかの祭りかと最初は思った。それでも、その考えはすぐに払拭せざるを得なかった。なぜなら。



ふらつきながら歩いている人間が、人間を食べていたのだ。


心の中ではあり得ないだろう!?という気持ちでいっぱいだった。だけど本能は正しい行動をするもので、気づけば私は森の中をさまよっていたのだ。

「...はっ...はっ...!!」

運動なんてしない。てか大嫌いだ。だから理系に進んだというのに(それだけが理由ではないけれど)。身体中が痛い。もう嫌だと思って木に手をついて足を止めた。下を向けばそこらじゅうから血が出ていて、足の爪が剥がれていることに気づいた。

「...まじか」

リュックを下ろして中身を見る。すぐに靴擦れをするから絆創膏はたんまりとあった。慌てないように冷静に、踵や爪痕にそっとかぶせて、痛みに眉をしかめながら応急処置をした。

もうどのぐらい走ったのだろうのだろうか。先生は無事か?リュックにあるiPhoneを取り出して連絡しようにも、バッテリー切れで八方塞がり。さぁどうしようと頭を抱えていれば、どこからか鼻息の荒い声が聞こえて。慌てて立ち上がり振り返る。さっき大学近くで見たゾンビのようなものが一体私に近づいていた。ゆっくりとふらふらしながらこっちに近づくゾンビの頭をめがけて、自分の手の中にあったものを突きつける。

グチャ。

グロテスクな音が耳に届いた時に、そのゾンビみたいなものはぐたりと倒れた。手の中にあるのは、逃げてる途中で脱いだハイヒール。頭を貫くなんて、ヒールの力はやはり絶大だ。

こんなんでいけるのかとなかば興奮気味に自分の靴とゾンビを見比べて、よし、と意気込み走り出す。リュックの紐をきつくにぎりながら、どうにか街にでようと夜空に浮かぶ月を頼りに走っていれば、ほんのりとひかる赤い灯が見えた。人がいる。

砂漠でみつけるオアシスのように、そっちに歩いていけば、そこにいたのは”いかにも”な様相をしている白人の男性や黒人の男性などの数名がいた。太ってる人もいれば痩せてる人もいる。日本にいたら絶対に話しかけたりしないだろうと思った。だとしても今の私は、"異国の地にに一人ぼっちの孤独な日本人"だったので、とにかく助けが欲しかったのだ。

「...た、たすけてください!!」

舌ったらずな英語でそう言えば、銃を片手にこっちを振り向いた男性達。銃社会じゃない日本の人間からしたら銃を向けられるだけで足がすくむ。私はもう一度、小さい声で「助けてください」と言った。すると、男性の一人がおもむろに立ち上がり、私に近づいて何かを言った。

早い英語でなにを言ってるかは分からなかった。ぽかーんとして聞いていれば、その人は私が英語を喋れないとわかってくれたのだろう、「ok,ok」と何度か言って私のリュックを取り上げようとした。中にはパスポートや全財産とかなんか色々入ってるのだ。嫌だと叫びながらそこからにげようとすれば、傍観していた内の何人がこっちにやってきた。

下衆な笑みを浮かべている。

至る所から手が伸びてて私の身体を押さえつけるため逃げられない。こんなやばい時に何してんだこの人達と心の中で思った。もしかして、大学から結構遠いほうへ来てしまったのか?もしかしてまだ、ここにはゾンビはそんなにいない?なんて思っているのも束の間。走ってる時に枝できっていたのだろう、スーツのタイトスカートの裾が太ももまでがっつりときれている所から、男達の手が入っていく。いつか大きくなるのだと数年思い続けている胸にも手が伸びて、焦らすようににシャツのボタンを一つずつ開けられる。あぁもう最悪だ...!!こんなところでか!?と悪態をついていれば、茂みのむこうからがさりと音が聞こえた。

「shit!!」

私の身体に手を触れていた男が叫ぶ。その言葉につられるように私をそこらへんに放り投げて逃げてく男達の後ろ姿を見て、慌ててシャツを探り寄せて合わせて立ち上がる。ゾンビなら早く逃げないと。すると、茂みの中から男の子が出て来た。

「...!!」

ゾンビだ。小さいゾンビだ。そう思って、足元に転がってるハイヒールをにぎり振り上げれば、その子の隣からもう一人男の人が出て来て、「シーシー!!」といいながら腕を伸ばし、その子をかばう。

よくよく見れば、生きてる人間で。どうやら、襲われそうになっていた私を助けてくれたらしい。

「C'mon!!」

手で呼び寄せられるようにそう呼ぶ二人に、小刻みに首を縦に振りながら、私は彼等の後をついていった。




ALICE+