02

「モーガンだ。こっちは息子のデュエイン」
「デュエインだよ」

助けてくれた黒人の親子は、さっき出会った人達と比べるのもおこがましいほどにとても優しい人だった。アジア系だろうと分かってくれたのか、モーガンさんとデュエイン君はゆっくりとした英語で自己紹介をしてくれた。

「アオといいます。日本人です。さっきは助けてくれてありがとうございました」

まるで教科書のような文法でそう挨拶をし、お礼を言えば、笑顔で握手をしてくれた。
二人は、自分達の家を飛び出して逃げてきたらしい。ここはまだ被害が少ないけど、いずれ大量のウォーカーが襲ってくると、丁寧に説明してくれた。

「ウォーカー?」
「あいつらのことだ。心臓を貫いても歩くから、俺達はウォーカーと呼んでる」

静かに歩きながら、近くにある街を目指す。二人にもらった水を少しずつ飲みながら、私は首を縦に振って相槌をうった。道中聞かされたのはそのウォーカー達の特徴。大きい音に反応をしてやってくるとか。脳みそを狙えば動かなくなる、とか。

「噛まれたら、あの仲間入りだ」

とか。

私の頭の中はバイオハザードが浮かんでいた。確かに、ゲーム中でも頭を狙えばクリティカルヒット!!とか出てくるしな、なんて考えて。あの時ハイヒールで狙った場所は的確だったようだ。

森から見下ろす誰もいない静かな街は、なんだか不気味に見えた。街に降りて、ウォーカーのいなさそうな家を見つけて、私達はそこを寝床にすることにした。
1日半以上歩いたせいで私の足はパンパンだった。夜も更けるから休むためにも横になるといいと言われて、リビングに入りお言葉に甘えて床に座ってみる。

「ねぇアオ」
「ん?」

勝手に人の家のものを触るのは抵抗があったけれど、ソファにあった柔らかいクッションを抱きしめている時、デュエインくんが私の近くに寄って来た。小さいデュエイン君が、きらきらとした笑みで私を見上げる。なんだか可愛くて、私も少しだけ癒された。

モーガンさんは、食料を見てくるといって台所の方へ行った。その後ろ姿を二人で見送って、私は彼の脇に腕を入れて抱き上げて、膝の上に座らせた。

「日本ってどんなところ?僕アメリカから出たことないんだ」

ニコニコと本当に可愛らしい笑みで、ゆっくりとそう聞いて来た彼の頭をなでる。モーガンさんが近づいてくる音が聞こえて視線をそっちに向ければ、やっぱりモーガンさんが、手にお皿を持って近くに立っていた。

「ごめんなさい、モーガンさん。お手伝い...」
「大丈夫だ。今はきちんと休みをとるんだ」

モーガンさんはにこやかに笑いながら、手の中にあるお皿を私に差し出した。

「缶詰のものだが、何も食べないよりはマシだ」
「ありがとうございます」

もらったフォークで食べ物をつついて口に入れる。デュエイン君も、モーガンさんからもらったお皿をにこにこと「ありがとうパパ」といいながら受け取って、食べていた。

「日本は、とても平和な国だよ。アニメとかが有名かな」
「アニメ!!僕知ってるよ!!」
「デュエイン、もう少し静かに」

人差し指を口元にもっていきながら、モーガンさんが言う。
彼は私をちらりと見て、ゆっくり咀嚼をした後に口を開いた。

「アオは、どうしてアメリカに?」
「あー...」

学会って英語でなんて言うんだ?

足下に置いていたリュックを取り出し、徐に中に手を入れて電子辞書を探している私を、二人は不思議そうな目で見ていた。
慌てて日本語で"学会"と調べて、音声を流せば、モーガンさんは少し目を見開いて私の顔をまじまじと見つめていた。

「前は何をしていたんだ?」
「学生です。大学院生。ウイルスについて研究してました」
「アオすごい!!」

膝の上に座っているデュエイン君がきゃっきゃっと叫ぶせいで身体がゆれる。あわあわと私も同じように揺れて入れば、モーガンさんは笑い声を堪えながら、「デュエイン、食べ物が溢れる」となだめていた。

「優秀だったんだな」
「いいえ。ラッキーだっただけです」

優秀だったわけでは決してないけれど、それでもそう言われると嬉しいもので。私はニコニコと笑いながら、お皿にある食べ物をゆっくりと食べた。味付けは好ましいものではなかったけれど、数日ずっと食べていなかった私のお腹は満たされていった。








「アオ、シャワーを浴びたかったら行ってきていいぞ。残念だがお湯はでないと思うが」

食べ終えた後、私のお皿を受け取ったモーガンさんがそう言った。どうしてこんなに優しくしてくれるのかわからなくて、でもそれを言葉にする事が難しくて、私は困ったような顔をしてしまった。

「...君は女の子だ。それに、男に襲われていた君を放ってはおけないだろう?」

まるで子供をあやすように頭をポンポンと叩かれる。優しいそれに、うっすらと涙が出そうだったけど、小さい男の子の前だったから、なんとか我慢した。

「デュエイン君、一緒に入る?」
「うん!!」

一人は少し心細くてデュエイン君を誘ってみれば、彼はとても嬉しそうにそう答えた。モーガンさんに大丈夫かと聞いてみれば、モーガンさんは笑顔を浮かべながら「行ってらっしゃい」と言ってくれた。

デュエイン君の小さい手が私を引っ張って、お風呂場へと着く。ここだね、と言いながら彼は服を脱ぎ捨てて湯船の上に立ち、水を出す。私も彼と同じように服をぬぎすてて真っ裸になった。
水がでてきたシャワーを受け取って、まずはデュエイン君の頭を濡らして、つぎに自分の髪も濡らした。

「んんー!!冷たいね...!!」
「うん...!!」

ぶるぶると震えるデュエイン君と同じように、身体中をふるわせながら、どうにか体の汚れを落としていく。泥だらけの黒い水が排水溝に吸い込まれていくのを見ながら、私は少しだけ思考を巡らせた。


先生は、大丈夫だろうか。


私が逃げ出したのは大学のほうからゾンビ、モーガンさんの言葉を借りるなら、"ウォーカー"がたくさんでてきたからだ。大学にいる人達は?学会で一緒に話した他の国の人達は?それに日本にいる家族は?友達は?きっと世界中でニュースになってるはずなのに、持ってきた携帯も、Wi-Fiが通じないために連絡のしようもない。

「...アオ?」

自分の体に水をかけて固まっていた私に、デュエイン君の心配そうな声が掛かった。私の顔を見上げているデュエイン君の目に、自分の目が合うようにしゃがみ込んで、ぎゅっと抱きしめる。

小さい男の子も、お父さんと一緒に我慢してるんだ。
先生はきっと、政府や大学のどこかしらの機関が匿ってくれてるはずだ。なんて楽観的な想像だと思われても仕方ないけれど、今はそう信じよう。

「出ようか」
「うん」

シャワーヘッドを壁にかけて、水を止める。
このタオル使っていいよ( ニュアンス的に)と、浴室の近くにあったタオルを差し出してくれたデュエイン君の手からタオルを貰い、それを体に巻きつけて、もう一つのタオルでデュエイン君の頭を拭く。

「うわ...!!僕一人でできるよ、アオ!!」

といってる(多分)彼の言葉を無視して、「わしゃわしゃー!!」と馬鹿らしく言いながら、彼の頭を乱暴に拭いた。デュエインくんは「きゃー!!」と笑いながら、私のタオルの中で体をよじっている。なんだかそれが可愛くて、末っ子だった私の母性というものがでてくる感覚がした。












「おはようございますモーガンさん」
「あぁ、おはようアオ。ぐっすり眠れたかい?」
「はい。デュエイン君を...枕?にしました」
「枕?」
「ぎゅーって抱きしめられてたよ」
「抱き枕か」
「あ、はい、それです!!」

台所に立つモーガンさんに挨拶をする。
枕だったらデュエイン君の上に頭を置くというひどい行為になってしまう。デュエイン君の助け船にありがとうと、彼の頭を撫でてあげれば、モーガンさんは優しい瞳で、私たち二人を見ていた。

「モーガンさん、本当に助けてくれてありがとうございました。私、先生を探さないといけないんです」

つたない英語でゆっくりと彼に伝える。デュエイン君はリビングにあるソファで座りながら、こっちを伺っていた。
モーガンさんは、彼をちらりと見ながら、私の目に視線が合うように少しだけ腰をかがめて、ゆっくりと話してくれた。

「この事態を、感染だと考えてワクチンを考えている機関がある。CDCだ。そして、大規模な避難場所だと言われてるアトランタという街がある。君の先生は、大学にいたのなら、その二つのどちらかに向かってるはずだ。それか...」

その先は考えたくなかったため、私はゆっくり首を横に振る。
アトランタ、もしくはCDC。この二つを頭に入れて、地図が欲しいといえば、モーガンさんは慌てたように私の両肩に手を置いた。

「落ち着け、アオ。君は1人で向かうつもりか?」
「でも...」
「俺たちも、時期が来たら避難をする。一緒に行動をしよう。1人でいるよりも、集団で行動した方がいい」

英語の苦手な私にも分かるように、そして諭すようにそういったモーガンさん。

「それに、デュエインにとっても、君はもう姉のようなものだ。君がいなくなれば悲しむ」

モーガンさんの肩越しに見えるデュエイン君が、少し寂しそうな表情で私を見ていて。その瞳に薄い膜が張っているのか、きらきらと輝いて見えた。

モーガンさんは、まるで父親の様に私をじっと見て、そして、少しだけ口角をあげた。

今は、彼の言う通りにしよう。優しい親子の2人について、この事態で自分が何をするべきなのか、そして一体何が起きているのかを、私はきちんと把握する必要があると思ったのだ。


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