2

最終段階までいった。今回のこの画像解析を進めることができれば、ずっと作っていた多機能式ツールも最終盤まで行けると思う。私は自分の部屋で、たくさんの専門書とにらめっこしながら、律と二人(一人と1個)でウンウンと唸りながらプログラミングを進めていた。

まだまだ、自分の頭に自信なんて持てない。
まだまだ、自分自身に自信なんて持てない。

だけど、殺せんせーに言われた『あなたの頭なら』という言葉を裏切るわけにはいかない。
私はきっと、今、試されているんだ。殺せんせーの課外授業を受けているんだ。自分の意志を正直に。自分自身に素直に。何がしたいのか。何がやりたいのか。それにまっすぐとぶつかるべきだ、と。

わからない部分に直面して。これは一体どんな計算をしたらいいのかわからなくて専門書をそっと閉じる。律の「マスター、どうしましたか?」の声に、少し休憩しようと答えれば、律はわかりましたといって静かにシャットダウンした。律も疲れていたのだろう。私は椅子から立ち上がり、部屋を出る。そっと階段を降りて行けば、珍しくリビングが明るくて。


お父さんの1年にわたる努力を全否定したあの日から、私とお父さんは口を聞いていなかった。というのも、お父さんがなかなか家に戻ってこないからなんだけれど。
私はそっと、リビングの扉に近づく。中にいるだろうお父さんは、私に背中を向けてソファーに座って前を向いていた。


「...俺は...どうしたらいいんだろうか...」


テレビの横に置いてある、お母さんの写真に向かってなのかそう独り言を言うお父さん。
写真の中のお母さんの隣には、私とお父さん二人がいて。ニコニコと笑っているお母さんが今にでも写真の中から飛び出してきそうだった。

お母さんとお父さんは、幼馴染だったそうだ。ずっと小さい頃から一緒にいたらしい。数学の大好きなお父さんと理科が大好きなお母さんは大恋愛の末に、結婚して。そして、二人の好きなものを受け継いだ私が生まれた。


『サチ、いいか?このサイコロを今お父さんが3回ランダムに投げるぞ?6が出る確率を一緒に求めようか』
『こんな小さい子に何教えようとしてるのよ。サチーママと、この水飲み鳥使って振り幅を求めようか』


小学生にも満たない私に、ことあるごとに数学や物理の問題を絡ませた遊びを提案する人たちだったけれど、私はそのおかげか、数学と理科が大好きになった。たとえクラスの人たちに変な目で見られたって。家に帰れば私以上に数学と理科を愛してる人がいたし、何よりも二人は私の最大の味方だった。


『大丈夫、あなたのその知識が必ず役に立つ時がやってくるから。今はまだ、小さいから実感はないかもしれないけれど、将来貴方がお母さんやお父さんと同じような道に進もうって決めた時、きっと、貴方を過去の答えが助けてくれる』


お母さんはそれが口癖だった。



「...俺は...お前がいないとダメなんだよ...戻ってきてくれ...サチと、俺のところに戻ってきてくれ...」


お父さんが背中を震わせながらうずくまっている。腰をかがめて膝を抱え込むようにそう泣くお父さん。男の人は弱い生き物だから、私たちが守ってあげないと。そうやっていたずらっ子のような笑みを浮かべてウインクをしていたお母さんを思い出す。

あぁ、お父さんはお母さんが本当に大好きだったんだ。
本当に、大好きだったんだ。


嬉々とした顔で数学について語るお父さん。
お母さんに怒られてしょんぼりとしてたお父さん。
満点の数学の解答用紙を見せれば自分のことのように喜んだお父さん。
自慢の娘だと、頭を撫でてくれたお父さん。

今のお父さんは、私の知ってるどのお父さんとも違くて、そしてきっと、これが本当のお父さんなんだと思った。
お父さんも、一人の男で、一人の人間なんだ。変になったんじゃない。お父さんも、寂しかったんだ。


嗚咽の聞こえるリビングに、音を立てずに私は入る。気配を感じさせない歩き方は、授業ですでに習ってる。私はばれないように、お父さんの背中に手を触れる。ピクリと揺れて、声を止めたお父さんは、振り返らずに私の名前を一つ呟いた。


「ねぇお父さん...」


寂しいね。お母さんがいなくなっちゃって寂しいね。

私はお父さんの背中をつかんで、顔を寄せる。大きい背中だ。小さい頃からずっと夢見てた、憧れの背中。追いかけてきた、背中。
じんわりと濡れるお父さんの背中。私はぎゅっと強く目を瞑り、お父さんに声をかけた。


「わからないところがあるの。数学、教えて?」


弱いところを見せられたって、お父さんはお父さん。
お母さんを誰よりも愛して、私のことを誰よりも心配してくれている、世界で一番のお父さんだ。




prev next


ALICE+