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別にどこかに出たかったわけでもなんでもない。教室からすこし歩いた所。この曲がり角を曲がれば職員室につづくその廊下の、窓際に立って寺坂君が来るのを待っていれば、ペタリぺたりと上履きの鳴る音が聞こえた。

窓から目を離して振り返りそっちを向けば、無表情でこっちに向かって歩いている寺坂君が見えた。ゆっくりこっちに近づいて来て、すこし手を伸ばせば触れられるぐらい近い所まで、寺坂君は立っていた。


「テスト勉強捗ってる?」
「...そこそこな」
「嘘。全然手動いてなかった」


30分ぐらい、ぼーっと彼のことを見てたけど、寺坂君は微動だにせずに教科書を睨みつけてた。分からないとかじゃなくて、なんか違うことを考えている感じ。

学祭が終わってからというもの、寺坂君とは全くといっていいほどに話してなかったから。すこし新鮮な気分だ。


「ひさしぶりに話すね」
「...そうだな」
「寺坂君が私の事、無視してたから」
「んなことしてねぇ」
「また嘘ついた」


なんで避けられているのかは分からなかった。嫌われたわけでもないだろうし、嫌われるようなことをした覚えもなかった。だから少しは確かに傷ついたけど、それでも寺坂君を責める気にはなれなくて。


「寺坂君、ありがとう。寺坂君のおかげで、お父さんとまた普通に話せるようになった」
「俺は何もしてねーよ」
「ううん、寺坂君のおかげ。本当に」


お礼をずっと言えなくて。ずっと言いたくて。
寺坂君が大丈夫だと、頭を撫でて安心させてくれたから。

だから私は今、お父さんと昔みたいに楽しく過ごせている。そのお礼を、言わせてもくれない寺坂君に、一瞬腹が立ったけど、今はそんなことを思ってる場合ではない。


「お父さんと仲直りできたと思ったら、次は寺坂君と喧嘩なんて嫌だよ、私」


嫌いなら嫌いだと言って欲しい。むかつく所があるならここがむかつくと言って欲しい。直せる所は直したいし、もう無理だと思うなら話しかけないから。

好きな人に避けられるのは、むかつくし傷つくし、そしてどこまでも悲しいのだ。


「喧嘩なんて、してねーだろ」


寺坂君は、何も表情をのせていなかったその顔を少しだけ歪ませて、小さくそう言った。


「...でも、寺坂君私を避けてる」
「避けてるわけじゃねー」


避けてるわけじゃないのなら、なんなのか。国語の苦手な私にもわかりやすく言って欲しい。寺坂君のYシャツの袖部分をぎゅっとにぎる。一瞬、寺坂君がびくっと揺れた。


「...俺が、どうしたらいいのか分からなくなった」
「...どうしたら...って?どういうこと?」
「...あー...なんて言えばいいんだ...」


私が握っていない方の腕で頭をがしがしと掻き(こういう所も優しいなと思う)、寺坂君は諦めたように息を大きく吐くと、やっと私の目を見た。眉をひそめていて、どこか苦しそうだ。


「もう、俺は、いらないかと...」
「...いらないって...?」
「父親と仲直りしただろ。だから俺はもう、必要ないんじゃねーのかって...」
「なんでそう思うの?」
「わかんねーよ...俺は、お前みたいに頭なんてよくねーし」


頭なんてよくないし。そもそも私は数学しかできないのだからそのくくりにいれられるのは気がひける。
でも寺坂君は、なんて言えばいいのか考えているのか、何回か言い澱みながら口を開いたり閉じたりを繰り返した。

そんな彼の姿をみて、私はゆっくりと口を開いた。


「寺坂君に避けられるのは、嫌だ」



素直にいうのが一番だ。こういう時、何も考えられないのだから数学者の娘とは名ばかりだなと自嘲する。



「寺坂君が好き」



よし、言ってやったぞ。言い切った後、思わずドキドキと波打つ心臓の鼓動に息を震わせて下を向いた。寺坂君を見ることができない。彼は少しだけ身じろぎをした後、「俺は」と言葉を紡いだ。


「俺は、お前に釣り合わない...と、思う」
「...なんで?」
「新稲みたいに数学ができるわけじゃねーし」
「そんなの、私が教えてあげる」
「...新稲みたいに、誰とでも仲良くなれるわけじゃない」
「私も寺坂君みたいに、素直に動けるわけじゃない」


寺坂君のいい所はいっぱいある。それこそ言い表せられないぐらいにいっぱい。優しい所。引っ張っていってくれる所。庇ってくれる所。不器用なりにも、彼なりの気持ちで言葉で、私に接してくれる所。


「私は確かに、寺坂君が持ってない事を持ってるかもしれない。それでも、寺坂君だって私が持ってない事をたくさん持ってる」


全部持ってる人なんて、いるわけないじゃないか。だからこうやって皆で力を合わせているんだ。


「私は、一回集中するとそれしか見えなくなる所がある。でも、寺坂君はいつも、私が転ばないように引っ張ってくれた。もしも寺坂君が分からない問題にぶち当たったら、私が教えてあげるよ」


わかって欲しくて。どうか私の気持ちを彼にわかって欲しくて、気づけば寺坂君の両手を握りしめながら、彼の顔を見上げていた。




「君のたりない部分は私が補う。だから、私のたりない部分は、寺坂君が補ってよ」




受験だって待ってる。高校も違う所を受ける。でも、例えどんな関係だとしたって、このまま終わりを迎えるなんて絶対に嫌だ。静かに溢れ出る涙を無視して。ツンと熱くなる鼻の奥なんてもっと無視だ。


「私が嫌いなら嫌いって言って。迷惑なら、迷惑って...」


言おうと思った言葉を途中でやめたのは、手をきつく握り返されたから。男の子に強く握られて痛くないわけがない。それに寺坂君は、男子の中でも体格が大きいんだから、余計だ。


「好きだ。迷惑なんて、思ってない。嫌いだなんて、思ってるわけ、ねーだろ」


心なしか、寺坂君の言葉が震えてる気がする。歪んでる視界で、彼の表情を確認なんてできないけれど、寺坂君は私の手を握っていた力を少しだけ緩めた。


「...好きだ。新稲が、好きだよ」


寺坂君はそう言うと手を離して、私の頭を優しく撫でた。小さい声で「先に言わせて悪い」と言うと、寺坂君は私の側からそっと離れる。なんだろうと自分の制服の袖を伸ばして目元を拭えば、寺坂君が口を開いた。




「俺と、付き合ってほしい」




なんて唐突な。

でもそれが、どこか寺坂君らしくて思わず笑ってしまった。「なんで笑うんだ」少しだけ慌てながらそう言った寺坂君に、さらに笑ってしまったけれど、思わず顔は笑顔を浮かべた。


「もちろん」


手をのばして、寺坂君の手を握る。少しだけ顔を染めてる寺坂君が、私から目を離して頬をボリボリと掻いていた。その寺坂君の後ろに、よく見た黄色の触手とか赤い髪の毛とか制服の裾とかが見えて。思わず寺坂君の名前を呼び、うしろに指を指して教えた。

後ろを振り返ってその存在に気づいた寺坂君が一瞬固まり、そしてぶるぶると握った拳を震わせると急に走り出す。まるでF1のようだ。それに気づいた殺せんせー筆頭に悲鳴を上げて逃げ惑うE組皆に、思わず苦笑を浮かべて。


「寺坂君!!」
「なんだ!!」
「曲がり角を曲がって3秒止まった後に振り返って!!」
「了解!!」


指示をすれば、まずは木村君を捕まえた寺坂君。その姿はまるで鬼のようだった。
ぶらんぶらんと揺れながら、両手首を締め上げられてる木村君を見て、本格的に逃げ始めた皆。次は誰を捕まえようかと、寺坂君がじろりと睨んでいるのを見て、私も計算を巡らせる。

彼にたりないものは私が。私にたりないものは寺坂君が。



片方しかない腕は二人が合わされば2つになる。このことに気づけたのはE組で殺せんせーが教えてくれたからだ。
前を走る寺坂君の大きな背中を見つめて。

不意に溢れる笑顔に、目を伏せた。





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