ピチチ――と聞こえてきたさえずり声。夫婦だろうか、仲睦まじく空を羽ばたく名前はわからない二羽の鳥を眺めていると。
「香夏子ちゃーん、お客さんにお茶出してあげてー?」
少し離れたところから呼ばれた声に「はーい!」と返事をして名前のわからない鳥の夫婦から目を離す。
「……――お待たせしました。お茶どうぞ」
はじめまして。香夏子です。花の16歳、甘味処で住み込みのアルバイトしてます。
なぜ甘味処で住み込みのアルバイトをしているかというと、それは遡ることひと月くらい前。
高校生活初めての学園祭、クラスの出し物として甘味処をすることになったのだけど、歴史が大好きだという女子が「室町時代の甘味処にしたい!」と言うので全員で室町時代にしていたであろう恰好をすることになった。(どうせなら執事喫茶が良かった……!)
そして迎えた学園祭当日。小袖と呼ばれる着物を着て手ぬぐいを頭に巻き付けて室町時代の町娘になりきって仕事をしていたとき。
思っていたよりも室町時代(風)甘味処が繁盛していたらしく甘味用の材料が足らなくなってしまったとかでジャンケンに負けた私が近所のスーパーに買い出しに行くことに。
まだシフトもあるから着替えるのは面倒だな、と小袖を着たまま近所のスーパーに向かっていたのだけど――、
「…………ここどこ!?」
気づけばまったく身に覚えのない森の中にいた。
歩けど歩けど目に入るのは緑の木々ばっかり。どれくらい歩いたかもわからない、見上げれば水色だったはずの空が夕焼けの色に変わっていた。
「(これは、まずい)」
暗くなる前に森から出なければ――、と踏み出したのと同時に足に痛みが走った。しゃがみこんで見てみると、尖った石でも踏んでしまったのだろうか足の裏が傷ついて血が流れている。
どうしてかはわからないけど、森の中にいると気づいたときには履いていたスニーカーが消えて裸足の状態だった。
「(裸足で歩いてたら、そりゃ怪我もするよね)」
地味に痛いけど、傷は深くなさそうだし歩くのには問題ないと判断して頭に巻いていた手ぬぐいを足に巻いて再び歩いてみる。が、
「(い、痛い……)」
どうやら手ぬぐいを巻いたくらいの応急処置では痛みを紛らわすことはできないらしい。
「(どうしよう……)」
早く森から出て行きたいのに傷ついた足が痛くてこれ以上は歩けない。履いていたスニーカーはもちろん、携帯電話も手元からなくなっていて助けも呼べない。
大声を出したら誰か気づいて助けてくれるだろうか。……いや、まだ暖かいし冬眠してない野生の熊に気づかれたら大変だからやめておこう。
「なんでこんなことに……」
抱えた膝に顔を埋めて「帰りたいよう」と呟いたとき、すぐそばの茂みからガサゴソと音を立てた。驚きで肩が大きく跳ねる。……まさか熊じゃないよね?
もし熊が現れるのだとしたら逃げきれる気がしないので私の人生これで終わりだ。イヤだな、熊に襲われて死ぬとか。
「(最期にイケメンに出会ってから死にたかった――!)」
ガサゴソという茂みをかきわける音がどんどん近くなってくる。せめてもの自己防衛として頭を抱えて身を縮こませていたのだけども。
「こんなところで何してるの?」
「……へ?」
聞こえてきたのは熊の声ではなく人の声。恐る恐る顔を上げれば女の人――私と同じように、小袖を着てる――が見下ろしていた。
「えっと、迷子に、なりました」
「それは大変!もうじき暗くなるから早く森から出た方がいいわ」
「案内するから一緒に行きましょう?」そう言って立ち上がるように促された。着いて行くべく足に力を入れた途端、忘れていた足の裏の痛みに襲われてしゃがみこんでしまう。
「あらやだ。怪我してるじゃない。草履はどうしたの?」
「草履は?」という問いに「草履って履物のことだよね」と解釈してから「なくなりました」と答えておいた。嘘はついてない。だって履いてたスニーカー消えてなくなってたし。
「じゃぁ、おぶってあげる」
「え!?い、いいです!自分で歩け――」
「足痛くて動けなかったんでしょう?それに、裸足のままで余計に怪我しちゃうかもしれないし」
「大人しくお姉さんの言うこと聞きなさい」「ほら、ますます暗くなっちゃうでしょ」と背中におぶさるように促してくる女の人。
申し訳ない気持ちになりながら女の人の肩にしがみつく。
これが、山の麓で甘味処を営む女性――春子さんとの出会いだった。
住宅地の明かりも、街灯さえも立っていない真っ暗な世界。唯一の明かりといえばやたらと大きく見えるお月様の光だけ。
春子、という女性に招かれた木造造りの平屋建ての中は殺風景で、大きな囲炉裏が存在感を主張している。時代劇や歴史博物館でしか見たことがない、昔の日本の家を目の前にして背中にイヤな汗が流れたのを覚えてる。
「(所謂タイムスリップというやつでは?)」
仮にタイムスリップじゃなかったとしても、元いた場所でないこと、今すぐ帰れる状態ではないことは確かなわけで。「これからどうしよう……!」と頭を抱えていると。
「……帰る場所がないならうちにいてもいいよ?」
「1人でさみしかったし」とにっこり笑っている春子さん。なんでも数年前に旦那さんを亡くして今は1人で甘味処を営んでいるのだとか。
自分で言うのもアレだけど見ず知らずの小娘を何の事情も聞かないで匿うって、ちょっとどころか物凄く不用心ではなかろうか……。なんて思うものの春子さんの好意に甘える以外に私が取れる選択肢はないので微力ながら甘味処のお手伝いをすることを条件に春子さんのもとでお世話になった次第だ。
お茶を淹れるお湯を沸かすにも井戸から水を汲んで薪をくべて火を起こして――。ライフラインのありがたみを痛感しながら今日も今日とて甘味処へ足を運んでくるお客さんの相手をしていると。
「香夏子ちゃん、ちょっといいー?」
「はーい」
「これなんだけど、」
風呂敷に包まれた大きな荷物を持ちながら「さっきまでいたお客さんが忘れていったみたいなの」と言う春子さん。
「中身が何かはわからないけど、大事なものだったらいけないし届けに行こうと思うの。だから香夏子ちゃん、店番しててくれる?」
「それなら私届けに行きます」
「香夏子ちゃん1人でお使いしたことないでしょう?」
春子さんに「大丈夫?」と言葉には出されないけど表情でそう言われてる。
たしかにまだ1人で出かけたことはないから不安だけど、井戸から水さえ汲めない私1人をお店に置いていかれるよりよっぽどいい。
「……じゃぁ、お願いするわね?」
「はい!できるだけ急いで戻ってきますね!」
お客さんの特徴を聞いて風呂敷包みを抱えて意気揚々にお店を出たまでは良かった。なんなら目的のお客さんも思ったほど遠くには行ってなかったから忘れものも無事に届けられたし。……それなのに。
「君、山の麓の甘味処でアルバイトしてる子だよね?一目見たときから気になっててさあ」
「…………――、」
「(私みたいなのに声をかけるくらいだから相当女の人に飢えてるんだろうな……)」
「ていうかこの人お客さんで来てたっけ」なんて思いながら目の前で気持ちの悪い笑い顔を浮かべてるオジサンに「ソーナンデスカァ」と適当に相槌を打ってみるけど退いてくれる気はないようで。
悲シキ哉、ナンパなんか人生で1回もされたことがないもんでどうやって切り抜ければいいのかわからずとりあえずオジサンから地味に地味に距離を取ってみる。
「俺の家すぐ近くだからさ、これから来ない?お茶出すからさ!」
「いい!いいです!すぐにお店戻らなきゃいけないんで!」
「それじゃ!」って言ってダッシュで逃げようとしたけど「そう言わずにさあ!」と言いながら手首を捕まえられてしまった。しかも力強く掴まれててものすごく痛い。
小学生の頃とか「変な人に遭遇もしくは捕まったら大声を出して周りの人に助けを求めなさい」的なことを教わったけどいざそういう状況になったときって咄嗟に大声を出すのって難しいらしい。
力を振り絞ってオジサンを振り払えればいいけど体格差でわかる。私には無理。
「どうしよう……!」とただ焦ることしかできない間にぐいぐいと無理やり引っ張られていく。痛いし怖いしで涙が浮かび始めたときだった。
「――……私のツレに、何か?」
突然、オジサンのものではない声が聞こえたと思えば、気づいたときには見知らぬ男の人に守られるように肩を抱かれていた。
何が起こったのか理解する間もなくただただ呆けていると「なんだよ男がいたのかよ……!」といういかにもな台詞を残してオジサンがどこかへ去って行くのが横目に見えた。
オジサンの姿が見えなくなるのと同時くらいに「ごめんね?」と小さく声をかけられた。見上げた瞬間、あまりにも整っているお顔が傍にあって呼吸するのを忘れた。ものすごいイケメンだ――!
「手っ取り早く退散してもらうにはこの手が一番でね」
「他意はないから」と私にしか聞こえない声量で喋る男の人。物好きなナンパオジサンはいなくなっているはずなのに何故かいまだに肩を抱かれている状態で戸惑いと恥ずかしさとイケメンからハグされているという状況(主に原因はコレ)で気を失いそう。
とは言え「そろそろ離していただけませんか」なんて言える度胸もないので気を紛らわすために円周率の桁でも数えてみようと思う。3.14……――これ以上覚えてないわ。
「次は素数でも数えるか……」などと、とにかくイケメンに肩を抱かれている状況であることを忘れようとしていたけど、イケメンの「まだ近くにいるな」という言葉で意識が現実に引き戻された。
「こちらの様子を伺っているみたいだ」
「(……っていうと?)」
「あなたが本当に私の連れ合いなのか、とかね」
私の心の中の呟きへの返しでようやくイケメンから肩を抱かれているのかを理解できた。どうやら物好きなナンパオジサンは諦めきれずにこの近くにいるらしい。……本当に物好きだな。
連れ合い、がどういう意味かはわかってないけど親しい男女中を指す言葉で間違いなかったと思う。……たしかに呼吸するのも忘れるくらいのイケメンと私みたいなちんちくりんじゃ釣り合い取れてないもんね。そりゃオジサンも怪しがるわ。
「お互いこのままっていうわけにもいかないし、申し訳ないけど少し付き合ってもらっていいかい?」
「あ、はい」
申し訳ないってイケメンは言うけれど、むしろ私の台詞過ぎる。悪いことした覚えはないけど巻き込んだのはコッチなわけだし。
ようやくイケメンへの免疫がついたのか「もうどうにでもなれ」という気持ちで返事をすれば「それじゃ、」と言ったのと同時に肩から手が離された。が、すぐに手のひらを掴まれた。
「行こうか」
淀みなく流れる川のような動作(精一杯の比喩表現)で手を繋いできたイケメン。1人置いてけぼりで間抜け面をしてる私と違って眩しいくらい爽やかな笑顔を浮かべている。目の保養になる。眼福がんぷく……じゃない。
「えっと……?」
「仲睦まじい夫婦の姿を見せれば、さすがに諦めると思うから」
「あなたを目的地に届けるまでの間我慢してもらえると助かる」そう言ったイケメンの視線を追っていく。繋いでいる、というよりも離れないように掴まれているようにも見えなくはない。
仲睦まじく、なんて言っていたけど果たして本当にそう見えているのだろうか。周りを気にすれば不審がられるから前だけを向いていて、とイケメンから言われてそれを忠実に守ること十数分――。
「――……諦めてくれたみたいだね」
「(良かった……)」
目的地――春子さんの甘味処が目視できるところまで着いたあたりでイケメンが言った「もう心配ないだろう」と一言とあっさり離された手に心の底からホッとする。
どうにでもなれ、なんて大口を叩いちゃったけど前言撤回。イケメンと手を繋いで歩くって拷問でしかない。あ、でも一生に一度の素晴らしい体験が出来たってポジティブに考えるのもありかな……。
「せっかくだからこのまま送り届けるけど……」
「いえ!もうすぐそこなので大丈夫――」
「――香夏子ちゃん!!!!」
呼ばれた声の方に顔を向けると、甘味処にいるはずの春子さんが小走りで近づいてきていた。
「え。お店に誰もいなくて大丈夫なんですか?」と聞くよりも早くにガシィッ!と肩を掴まれた。
「戻るのが遅いじゃない!」
「ごめんなさい!すぐ手伝いに戻りますから――」
「そうじゃない!何かあったんじゃないかと心配したって言ってんの!」
「やっぱり私が行けば良かった……!」と言われながら春子さんに抱きしめられる。「え?え!?」と戸惑って視線をウロウロさせてたらイケメンと目が合った。一瞬目を丸くしたけどすぐに柔らかい笑顔を向けられて、頬に熱が集まってくる。イケメンの笑顔の破壊力たるや。
「……でも良かったわ。利吉君が送り届けてくれて」
「彼女が春子さんの知り合いだとは思いませんでした」
再び「え?え?」と戸惑う私を他所に話を続ける春子さんとイケメン。どうやら知り合いだったらしい。
抱きしめる力を緩めながら「紹介するわね」と言って私とイケメンが向き合う形になるように肩を支えられた。
「うちのお店で住み込みのアルバイトしてくれてるの」
「香夏子っていいます。助けてもらって、ありがとうございました」
自己紹介はもちろん、そう言えばまともにお礼を伝えてないことを思い出して改めて「ありがとうございました」と頭を下げるとイケメン――もとい利吉君と呼ばれた人は「いえいえ」と返した。
「春子さんのとこの子ならなおのこと助けて良かったよ。春子さんにはお世話になってるからね」
「改めて、山田利吉っていいます」と名乗られる。……爽やかで整ったお顔に似合う名前だな。
お世話になってる、って言ったけどどういう知り合いなのかな。ただの甘味処の女将とお客さん、っていうよりももっと親しい間柄に見える。知ったところで私には何も関係ないのだけども。なんて思いながら2人の会話に耳を傾けていると。
「――……ところであなたたち。さっきまで手、繋いでたわよね?」
「……へ?」
ふいの問いかけに思わず間の抜けた声を零してしまう。聞き取れなかったと思われたのか「だから、ここまで手を繋いで歩いて来てたでしょう?って」と言われる。
目視できる、とは言え春子さんがいた甘味処と利吉さんと繋いでいた手を離したところでは結構な距離があったと思うのだけど……。
「(え?あの距離で手繋いで歩いてきてたのが見えてたってこと?)」
「……さすが春子さん。まだまだ現役なご様子で」
「やぁねぇ。”目”だけは衰えないのよ」
「春子さんて何者……?」と驚きを隠せない私を他所に春子さんと利吉さんにしかわからない会話をしている。
「話は逸れちゃったけど、どうして手を繋いでいたの?ここまでくる間に恋仲にでもなった?」
「「違います(よ)!!!!」」
利吉さんと思いっきり声が重なったことに驚いて2人で目を合わせてしまう。お互いムキになった顔をしていることに気づいて「ははは」と苦笑いを浮かべた。
……さすがの私でも恋仲という言葉の意味はわかるので誤解を解くために「違うんです」と口を開く。
「私が、その、男の人に絡まれてたところを助けてくれて」
「へぇ……?それってどんな男?うちのお客?」
「え?えっと、お客さんとして来たことあるみたいなことは言ってました」
「そう。歳はどれくらい?背は?わかりやすい特徴とかある?」
「な、なんでそんなこと知りたいんですか……?」
「まぁいいわ。あとで利吉君に聞くから」
「いいわね?」と言って利吉さんに視線を向ける春子さん。心なしか怖い顔をしている気がする。利吉さんも同じことを思っているのか若干視線を春子さんから反らしていたものの「了解です……」と小さい声で返事していた。
「追いかけて来ないように連れ合い……?のフリしてくれてたんです」
そう続けると「まぁ!」と言いながら春子さんは両手の平で口を隠していた。見える表情は目元くらいだけど、なんだか嬉しそうに見える。
「……――そういうことなら利吉君。本当に香夏子ちゃんのこと、お嫁にもらう気はない?」
「「……はい?」」
ニコニコと溢れんばかりの笑顔を浮かべている春子さんを前に、私と利吉さんの間の抜けた声が重なった。
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