「アルバイトが、なくなってる……?」
コンビニエンスストア――。
年中無休の24時間営業で弁当酒タバコはもちろん文房具や日用消費物、最近では工具なんかも買えるようになった通称コンビニと呼ばれるそれはことはたち現代人にとって欠かせない存在だ。
何人もの店員がローテーションを組むことによって休むことなく営業している店舗のほとんどがアルバイトのおかげで成り立っていると言っても過言ではないだろう。
しかし目の前の男の人――狡噛は何と言っていた?
「そ、そんなわけないじゃないですか!コンビニなんてアルバイトがいなくちゃお店回せないんですよ!?」
「いないなんてあり得ません!」とことはが必死に伝えるものの狡噛は「嘘じゃない」と淡々と言い返されてしまう。
――何故自分の言うことを信じてもらえないのだろう。唇をギュッと噛みしめ俯くことはの姿を見つめる狡噛が、ふと口を開いた。
「初霜――と言ったな。あんた身分証明書は持っているか?」
「え、」
ことはを除いたこの場にいる全員が、狡噛に対し「何を言っているんだ?」と首を傾げる。
狙った相手のPSYCHO-PASSを読み取りさらには犯罪係数を計測する役割を持つシビュラシステムの目であるといわれているドミネーターがことはのPSYCHO-PASSは存在しないと言った。つまり、”身分証明書が存在しない”と言っているのと同じだ。
「PSYCHO-PASSが存在しないという時点で今すぐ公安局に連れて行き取り調べする必要がある!」と噛みついてきそうな勢いの宜野座を征陸が制してくれてる間に狡噛はもう一度「何かないか?身分の証明できるもの」と問う。
「持っているなら見せてくれ」狡噛からそう言われ、ことはが身分証明書として真っ先に思いついたのは免許証だ。それであれば常に財布に入っているし、飲み物を買おうとしてユニフォームのポケットに財布を入れっぱなしにしていたことを思い出し素直に狡噛に渡す。
これでようやくこの意味のわからない状況から解放してもらえるのだと安堵する。しかし――、
「――……やっぱりな」
ことはが渡した免許証を見ていた狡噛が言葉を零す。
「どういうことだ狡噛」と説明するよう促す宜野座だったが狡噛は免許証を敢えて黙って差し出した。
「初霜ことは。生年月日、平成――年生まれ。……平成?」
宜野座の手にある免許証には少し幼くはあるが紛れもなくことはの写真がはめ込まれていた。隣には現住所と生年月日が書かれている。
「平成……って、西暦何年で言うと何年?」
「たしか、平成が始まったのは1989年だったはずよ」
縢と六合塚の会話が耳に入り「なんでわざわざ西暦で数えるんだろう」と疑問に思ったことはが理由を知ろうと何か確信を得たような口ぶりだった狡噛に視線を向けると――。
「――今は西暦2112年。ここはあんたが暮らしていた時代から数えて100年後の世界だ」
ことはの先ほどの言動から狡噛が考えの1つのとして辿り着いたのがタイムスリップ。
小説やおとぎ話ではあるまいし、と誰もがバカにするであろう考えだ。現に宜野座と縢は「はぁ?」と頭に疑問符を浮かべている。
「何を言っている狡噛!貴様はこんな薄っぺらいカードでこいつが何者か決めつけるのか!?」
「ドミネーターでもわからないんだ。彼女の身分を証明できるものが”薄っぺらいカード”しかない以上それを信じるしかない」
「この女が我々を錯乱させるために偽装した物かもしれないだろう!」
「……俺は彼女が嘘をついているようには見えないけどな」
狡噛の考えはこうだ。
シビュラシステムが動員され社会生活のすべてがオートメーション化されたこのご時世に24時間も人間を拘束し働かせる――。そんなコストの悪い仕事なんて今や存在していない。
それでもことはは自分はコンビニのアルバイト店員で、つい先まで店で勤務していたと主張している。
もちろん虚偽の可能性もなくはないが、後ろめたい事情のある人間が公安局の人間である狡噛たちのもとにやって来た理由がまずわからない。
「彼女が何者なのかは公安局に戻って調べるしかない」
「しかしだな!」
「伸元――。コウの言う通りだ。ここでどうこう言ったところで状況は変わらん」
「今は逃走した潜在犯を捕まえることが先だ。ことはの取り調べはそれが済んでからでもいいだろう」と征陸に諭され、それが面白く思わない宜野座が「わかっている」と静かに唱えた。舌打ちを添えて。
「――……全員先程言ったことは覚えているな。巡回しているドローンの情報をもとに逃げる鼠を捕まえる」
「……宜野座監視官。彼女はどうするんです?」
「まさか連れて行くとか言わないっすよね?」
本来の目的である逃走した潜在犯の捕獲へと意識を変えたのも束の間。六合塚の視線がいまだコンクリートに座り込んでいる名前へと向けられる。
縢も「お守しながらなんて無理」と言いたそうな表情である。
「足手纏いは御免だ。……六合塚、こいつにつける見張り用のドローンを用意してから追いかけてこい」
「行くぞ縢」とドミネーターを構えた宜野座が踵を返す。
命令通り見張り用のドローンを用意しに行ってしまった六合塚を見送り、直接命令を下されていない狡噛と征陸は放心状態のことはを見ては顔を見合わせた。
自分たちも逃走した潜在犯の確保に向かわなければいけないのだが、見張りのドローンと2人きり……もとい一機と1人だけで大人しく待っていられるのかという心配だ。
「どうしたものか……」と征陸が呟いた瞬間、狡噛がふらりと足を進め始めた。
「とっつぁんはその子を見ていてくれ。広いだけの公園だ。俺一人でも平気だろ」
「ギノにはあとで上手く説明しとくからよ」そう続けてこの場を去って行く狡噛。「悪いなコウ」と背中に向かって言えばドミネーターを握っていない方の手を振り返された。
狡噛も見送り姿が見えなくなったところで征陸は話をするべくもう一度ことはと視線を合わせるために屈んだ。先に口を開いたのは意外にもことはの方だった。
「あ、あの、本当に……――、ここは100年後なんですか?」
「信じられない」とことはの表情が言っている。
聞かれた征陸は「そうだなぁ……」と言葉を濁すしかない。
珍しいほど殺風景なこの公園では、今西暦2112年だと説明できるものはない。
再び沈黙が訪れた中でノイズ音が征陸の耳に入る。
『ハウンド4からハウンド1へ!対象が西に向かって逃走中!』
「なっ……!どういうことだそりゃ!仕留めなかったのか!?」
『知らねぇよ!パラライザーが効かなかったんだ!』
「クソッ!」と悪態を零している縢の声色から見えないところで相当焦っている様子が伺える。
捕獲に一度失敗したとなれば潜在犯を興奮させた上に余計に警戒されることだろう。
「とにかく俺も今すぐ応援に向かう!」と伝えたのち、征陸はことはにジッと見られていたことに気づいた。
「ことは……――」
「…………、」
見えない相手を怒鳴り、焦りの表情を浮かべている征陸に先程までの優しい面影はなく、ことははどうしようもなく怖くなった。
一体この人たちは何者なのだろう。誰かを追いかけ捕まえようとしているかのような口ぶりだったが。
征陸もどこかへ行ってしまうのだろうか。できれば1人にして欲しくない、そう思い見つめていると彼の持つ銃のようなものが物々しく姿形を変えていくのが目に入った。
全体が黒塗りで一部が青白い光がラインのように走っている。漫画や映画で見る銃が可愛く見えてしまうほどに、征陸の手にある謎の機器は不気味な雰囲気を醸し出していた。
<<対象の脅威判定が更新されました。執行モード、リーサル・エリミネーター。>>
ことはには聞こえない、征陸の耳にだけ直接入ってくる指向性音声。どうやら潜在犯として追っていた対象の犯罪係数が300を超えてしまったらしい。
ドミネーターが人の意識を奪うものから命を変えるものへと姿を変えた瞬間、ことはの顔に浮かぶ恐怖の色が濃くなったのがわかった。
「(頼むからこっちに来てくれるなよ――!)」
険しい顔で辺りを見渡している征陸を見ていると、ことはの背中にゾクリと悪寒が走った。
背後から近づいて来られているような、謎の気配にそろりと首を後ろに向けてみるが何かが見えたわけではない。
胸をなでおろすものの、身体の震えが止まっていないことに気づく。自分はどうしてしまったんだろうか――。
「どうした?お前さん、震えてるんじゃないか?」
「い、いえ、急に、悪寒が走って……」
「具合は悪くないか?」と征陸が心配そうな表情を浮かべている。
「大丈夫です」と言おうとした瞬間、彼の手に持っている黒塗りの機器が目に入ってしまい思わず顔を逸らしてしまった。
「……すまねぇな。楽な姿勢でいてくれ」
ことはが震えている原因が自分が手に持っている命を奪う銃のせいだと思った征陸がゆったりとした足取りで離れて行く。
「(……征陸さんに気を遣わせてしまった)」
確かに身体の震えの原因は形を変えた不気味な雰囲気を醸し出す機器のせいかもしれない。征陸の気遣いには感謝しなければ。とは言え1人置いてけぼりになるのはやはり怖いのでできるだけ黒塗りの機器は視界に入れないように離れた位置に立つ征陸を見ていたとき――。
ゾ ワ リ
「――――ッ!!」
再びことはの背中に悪寒が走る。それも、身体が揺れてしまうほど強く。
破裂してしまうのではないかと思うほどに大きく鼓動している心臓を押さえつける。
勢いよく振り返ったことはの視線の先で、シルエットが動いている。しかし足音どころか物音も聞こえない。
「(動物……?じゃない、あれは……)」
気づけば、シルエットでしか見えなかった”何か”の正体がはっきりとわかるまでに近づいてきていた。
「人……――?」
ものすごいスピードにも関わらず物音を立てずに匍匐前進で向かって来る謎の男。手には鈍く光るサバイバルナイフが握られている。
ことはと目が合うと、男はニタリと気味悪い笑みを浮かべ前進するスピードを上げた。
逃げようと慌てて立ち上がろうとしたものの、長い時間コンクリートに座っていたせいで咄嗟に足が動かない。
「お、おおおお嬢ちゃん、おれオレ俺といいいいっしょに死んでくれるかい――!?」
ドミネーターで計測するまでもなく、すでに更生の余地がない潜在犯の男は誰が見ても”イカれいていた”。
征陸がドミネーターの照準を男に合わせるよりも早く、すっかり腰を抜かしていることはの腹部目掛けてサバイバルナイフが振り下ろされる。
「ッっう……!」
「ことはッ――!」
まるで熱く燃え上がるような腹部の痛みにことははきつく目をつむった。しかし自分を刺した男が呻き声を上げていることに気づき弱々しく目を開いてみれば体内で血が沸き立っているかのように男の上半身がボコボコと膨れ上がっていくではないか。
「え……――?」
極限まで膨れ上がった男の上半身が風船のようにあっけなく弾け飛ぶと、ことはの顔に赤くて生ぬるい液体が雨のように降り注いだ。
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