とある結婚詐欺師の受難

 私の名前は名字名前。とある詐欺師集団に所属しているしがない結婚詐欺師だ。世の男を次々と騙しては利益を得る非道な商売。然し私にも事情がある。
 ……まあ事情と云っても単純なものだ―――大事な大事な飯の種。この職を失えば、明日の、飯も、危ないのだ。
 
 そんな私は今日も上司の指示で目標の家に上がり込み、男に付け入る隙を狙っている。
 ……と云いたい処だが、残念ながら私は其れ処では無い危機に陥っていた。

「……あの、仰っている意味が」
『だから、その男やばいんだって……!』

 相手の男が席を外している隙に、私は上司と連絡を取っていた。着信回数がとんでも無いことになっていたのである。不信に思いつつ掛け直した私の耳に入ったのは、焦りに満ちた上司の声だった。

「やばい……とは?確かにとある企業の重役とか云う話ですが、女にだらしなくて付け入る隙は十分だと……」
『それが……知り合いが其奴の顔を知ってたんだよ。少なくとも僕達が手を出して良い奴じゃない』
「いやいやいや、今回の仕事は楽勝だよぅ〜とか云ったのは何処の誰ですか!?」
『御免!御免僕が悪かったよ!!君の携帯に情報送ったけど見るのは後で良いから、取り敢えず其処から出て―――』

「やァ、お待たせ」

 矢継ぎ早に捲し立てる声を聴く内に、二人分の茶を持ち、男が戻って来た。

「すみません、後で掛け直します」
『あっ待っ―――』

 素早く電話を切る。その様子を見て男が首を傾げる。

「良かったのかい?別に続けて貰っても構わなかったけど」
「いえ、お気になさらず。治さん」

 取り繕う様に微笑む。そうかい?と微笑み返す男は相当美しい顔立ちだ。だが、その右目は包帯に包まれていた。顔だけではなく体中にそれは巻かれており、普通の人間ではない事を匂わせる。

「はい、お茶。呑んで呑んで。冷めてしまうよ」
「ありがとうございます。頂きます」

 お茶を啜りつつ様子を窺う。太宰治―――確かそういう名前だったこの男はニコニコと音が出そうな笑顔で此方を見ていた。
 普通こんな美形の男は目標になどならない。この仕事は最初から違和感しか無かった。如何やって脱出しようか――そう考えていると目標、もとい太宰が口を開いた。

「如何したの?顔色良くないよ」
「……大丈夫ですよ」
「そうかい?具合悪そうだね。君は健康に気を使ってそうなのに」
「え?」

 思わず訊き返してしまう。そんな素振りなど見せただろうか?知り合って間も無い筈なのだが。

「何故、そうだと?」
「だって、『矢鱈白いですけど、外出てないんですか』とか、『細いけど御飯食べてるんです?』とか」
「否それは……一寸、癖で」
「相手の心配するのが癖なのかい?可愛いなあ。良いお嫁さんになりそうだ」

 立て続けに褒められ、思わず苦笑いを浮かべる。

「そんな事ありませんよ」
「褒められる事に慣れていないのかな?君は魅力的だよ。君の所属する組織に根回しした甲斐が有った」

 ……ん?待った、今何て?
 
 顔が青ざめるのが自分でも判る。太宰と目が合った。
 
 優しい笑みが浮かび、細められて居るそれは、然し何処か、罠に掛かった獲物を見る様な―――。

「以前君の姿を街で見かけたのだよ。その時は他の男性と一緒だったから遠慮したけど、君一人だったら声をかけていただろうね」

「その数か月後、今度は別の場所で君を見た。別の男と歩いている処を、ね」

「君は清楚な雰囲気だったから気になってね。そうでなくとも一目惚れした女性が他の男と歩いていたら気が気じゃあ無いものさ。君の身元を調べたよ。徹底的に」

 両手をぐっと握りしめる。拙い。とても拙い。
 思わず携帯の画面に目線を落とす。先程、電話の直前に開いたメールが目に這入った。


―――『ポートマフィア』―――『幹部』―――『非情な手口』―――『此の男に因り壊滅した組織の数は』―――


「大丈夫?震えているけど」
 頬を撫でられ、心臓が跳ねる。顔を上げると、太宰は何時の間にか目の前に居た。

「……貴方、最初、から」
「そうだよ?君の上司、怒らないであげてね。私が彼に偽の情報を流したのだよ」

 太宰がゆっくりと微笑む。
「そのおかげで君が来た。私の元に、ね」

――――――逃げなくては。

 彼の手を払い、立ち上がろうとした。が、ぐらりと体が傾く。
「おっと」
 太宰に支えられるものの、この状況でこの状態は恐怖でしか無かった。
「眠らないか……まあ、一口しか呑んでないしね」
 嗚呼彼の糞上司、帰ったら十発位殴らないと気が済まない。最も帰れたらの話なのだが。

「……っ、この」
「!」
「舐めるなあっ!!」

 隠し持っていた電撃針(スタンガン)を押し付ける―――が、既の処で躱された。然しその隙に無理矢理体を動かし、脱兎の如く逃げ出す事に成功する。

 逃げ、出せた……否、―――正しくは。

「まあ、今日の処は見逃してあげよう」

 後ろから笑いを含んだ声が聞こえて来る。

「近々迎えに行くよ。待って居てくれ給え……名前。私の可愛いお嫁さん」



 命辛々事務所に戻った私が散々上司に泣き喚いたとか、逆に上司の方が心配で恐怖を味わったらしいのでお互い様かと仲直りしたとかは如何でも良い話である。

 問題は、その翌日から、私の人生を賭けた恐怖の鬼ごっこを、ポートマフィア歴代最年少幹部と繰り広げる羽目になったことだ。

(2016.11.10)
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