とある自殺愛好家の求婚

(「とある結婚詐欺師の受難」太宰視点)





 透ける様な青空が広がっている。暖かい風が頬を撫でて行く今日、この日。嗚呼、何て良い入水日和なのだろう。
 空の青色を写した水面はきらきらと輝いていて、今にも私が飛び込むのを待っていてくれるかのようだ。
 さあいざ川へ―――と構えた時だった。

 川の真ん中辺りを、見覚えのある二本のオブジェが通り過ぎていった。

「……ん?」

「この莫迦あああああああ!!」

 思わずきょとんとしてしまった私の後ろを、何かが女性の声と共に風の如く、正に風の如く通り過ぎていく。そしてそれは、私を少し通り過ぎた処で、ばしゃあん!と川に飛び込んだ。
 …………少女だった。小柄なその体からは想像出来ない程見事な速泳(クロール)でオブジェ―――まあ、云ってしまえば人の足だ―――に辿り着く。流れてきた人物は如何やら男性で、少女に引っ張られ水面に顔を出す。
 私?勿論可憐な女性があんなに一生懸命に人命救助をしようとしているのだ、手伝わないなど言語道断の所業だろう―――だが面白そうなので離れた処で見ていた。

 それに……一瞬しか見えなかったが、あれは――――。



「何をしてるんですか!?」
 引き上げ終わった少女が男性を叱咤する。
「私と一緒に生きていくと約束したじゃないですか!」
「だって……だって俺は……ほんとに駄目な奴で―――――」
「……そんな事有りません」
 少女の声が柔らかくなった。表情も厳しかった物から優しい微笑みに変わっている。
「本当に駄目な人なんていないんです。……帰りましょう。大丈夫。二人でなら立ち直って行けます」


 如何やら話は纏まったらしく、二人は並んで歩いていく。私はその後ろ姿を見つめていた。二人の、ではなく、少女の小さな後ろ姿を。

「……あの子……矢っ張り、前の」

 そう、あれは何時の話だったか。街中であの子を見かけた。
 目を引かれる少女だった。男性と一緒に居るものの、その目は別の事を考えている様な。
 年は自分と左程変わらないだろうに、その雰囲気は並々ならぬ苦労を背負ってきた大人の女性の様だ。
 そう云う女性を見た事は何度も有る。だから惹かれたのはそれだけではない。

 まあ、単純に云ってしまうと、一目惚れしたのだ。
 雰囲気に反して可愛らしい顔立ちとか、撫で心地が良さそうな頬とか、綺麗な紅色の唇とか。
 ――――――――――どんなに傷つけても壊れなさそうな、意志の強い瞳とか。


 然しまた遭えたのは僥倖として気に為ったのは、入水していたらしき男性―――それが前に見たのとは別の人間だった事だ。……別に恋人が変わっていても可笑しくは無いだろうが、そんなに簡単に男を乗り換える様な女にも見えない。

 ……と、思っていた。数日後、また彼女を見るまでは。

 その姿を見た時、一瞬思考が止まった。
 先日とは別人かと見紛う程、艶やかな表情。世の男ならそれで振り返られずには居られないだろうと思う様な。隣の男―――また別の男だった―――彼女がその男を見る目が、その目だけが、最初に見た時と同じ瞳なのを見て、矢張り彼女だと云う確信に変わる。



 嫉妬も有ったのかもしれない。否、確実に有っただろう。然し何よりも勝っていたのは純粋な興味だった。
 自分で、或いは部下を使い集めた情報を眺める。



 横浜の一角に構える小さな事務所。相談事務所を装っているがその実、悪質な詐欺を繰り返す集団。
 ――――然し、詐欺を繰り返すものの失敗が多く、利益が這入っている様子は微塵も無い。おそらく社員の副業―――と云うか其方が本業では―――で運営がされている様子。事務所というかただの寄合である。

 その中でも特に失敗が多いのが、結婚詐欺を担当している名字名前。
 両親を失い天涯孤独となった彼女は、十代にも関わらず、この事務所に所属した。
 彼女の詐欺師としての実力は、一流とまでは行かなくとも、大抵の男性ならば確実に騙せるだろう、と云う程には優秀である。では何故失敗が多いのかと云うと、如何やら彼女の『御人好し』が原因らしい。
 相手の男を上手く丸め込むまでは良い。だがその後相手に情が移ってしまい、結局騙すに騙しきれずに失敗する。金を搾り取る処か渡してしまう等して、結局利益は雀の涙――――。


 部下が変な目で此方を見ている。笑いを堪え切れて居なかったのだろう。
 入水を止めていた彼女の表情を思い出す。あれは相手を騙している目では無かった。その実、自分の気持ちには疎そうな様子だった。彼女自身は相手を罠に掛けている心算なのだろう。艶やかな雰囲気も様にはなって居たが、おそらく此方が素の顔だ。
 思っていたより面白い子だと思った。―――――欲しい、と思う位には。



 彼女の上司は簡単に偽の情報を信じて、之は彼女の性格ならば放り出すことなど出来ないだろうなと思った。おそらくあの事務所に居続けている理由の一つなのだろう。

 馴染みの一つ、と偽の情報で流した喫茶で、彼女と出会う。彼女にとっては、偶然を装って。私にとっては―――。男受けしそうな笑みを、彼女は浮かべる。

「御一人なんですか?席が空いて無いようなので、此処、良いですか」

 微笑みを向けられるのは嬉しかったが、ほんの少しだけ、残念に思った。君の魅力はこんな笑顔では無いだろうに、と。




 ―――――そして、現在に至る。
 先程、折角仲良くなったのだから、と自宅に誘うと彼女は驚きつつ乗ってきた。こんなに上手く行く物かと思って居たのだろう。私も同じ気分だ。

 彼女が全力で去って行った玄関を眺める。携帯を取り出すと、赤い点が地図に表示されている。ちゃんと機能しているようだ。
 頬に触れた手と薬に気を取られていて何をされたのか気付いていない彼女が、仕込んだ発信機に気付くのはまだ先だろう。


 然し……まあ、少し性急だったのは否めない。


 もっとちゃんと準備をしなくては。折角捕まえた可愛い花嫁を逃がさないように。


 ――――――ポートマフィア幹部・太宰治。見る者の背筋を凍らせるであろう笑みを浮かべながら、然し何処か優し気な目をしていたのは、彼自身も含めて知る者は居なかった。


 結局、我慢出来なかった太宰によって、翌日から名字名前の人生を賭けた攻防が始まるのだが―――それはまた、別のお話。

(2016.11.12)
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