桜が散り逝く道で
「あの桜を、死なせてあげて」
布団に横たわる老婆が呟く様に云う。
「私と一緒に。私と一緒にあの子も死ぬの」
まるで我が子の話をする様な目と、声で。
「……判りました」
感情が無い声が響く。その持ち主は枕元の少女だ。
「……きっとよ」
囁くようにそう遺し、老婆が静かに目を閉じる。
周りの人々が次々に呼び掛け、やがて泣き崩れた。
少女はそれを、無表情で見つめていた。
桜の花弁が舞っている。
瞬きをすると、花弁は其の侭足元へと落ちていった。先刻まで手を触れていた樹の幹から目を離し目線をあげる。
枯れた枝が目に入った。風に揺れていて、今にも折れそうな錯覚を覚える。でもこの木は、此処に確りと立っている。
「珍しいね。君が能力を自分から使っているなんて」
ふと私の顔の横から、包帯が巻かれた腕が伸びた。それは私の目の前を舞う花弁に触れ―――花弁はすっと消えていった。
誰が来たのかを察し、溜め息を吐く。振り返ると直ぐ傍に、見慣れた顔があった。否、「見慣れた」というのは正確ではない。私はこの人が苦手だ。
「遅いから迎えに来てあげたと云うのに、その反応は非道いなあ」
「……そうですか、すみません」
「良いのだよ?私は名前ちゃんの為なら何処へでも……あっ一寸待って」
何やら云っているのを聞き流して其の侭歩き出すと、後ろからついてくる気配がする。
「それで?何してたの」
「……」
「……あれ、教えてくれないんだ?」
前方に回り込まれる。彼の黒い外套がふわりと舞った。隠れていない方の目を細めて此方を見る様子に、思わず二度目の溜め息が出る。こうなると、今は誤魔化せても後が面倒臭い。
「……依頼人に」
「うん?」
「依頼人に頼まれたんです。あの樹を死なせて欲しいと」
「……ふぅん」
桜の樹を振り返る。この樹の所有者は、寿命が近い老婆だった。自分が死んだら、この樹を「死なせてあげて欲しい」。自分と一緒に。
それは心中にも似た物なのだろう。私にはよく判らないが。
そう話すと、興味を無くした様な返事をされる。
大方、もっと面白い理由だと思ったのかもしれない。私はつまらない人間だと前から言っているのに。
「そんな理由でねぇ。妬いてしまうな」
「……そうですか」
「私は幾ら願っても君に殺してもらえないと云うのに……」
「……」
「その塵を見るような目をやめてくれ給えよ」
まあいいや、帰ろうと云われ、並んで歩き出す。
「それで、君は如何思ったの」
「何がですか」
「亡くなったんでしょ?そのお婆さん。あの樹を枯らしたって事は」
「…………ええ。先程息を引き取りました」
その時の様子を思い出す。周りには老婆の親族らしき人々がいて、老婆が息を引き取ると同時に泣いて取り乱していた。
「……別に如何も。親しかった訳でもありませんし。あの老婆は寿命が近かった。亡くなるのは判っていたのだから、悲しむ理由も無い」
「君にとっては、それが親しい人間でもそうなのかな?」
「……それが、何か」
「別に?」
彼は愉しそうにクスクスと笑う。何かを見透かされていそうで居心地が悪い。
話している間も、私の目の前で桜の花弁が落ちていった。
散ったようにひらひらと舞っては、彼に当たる。
溶けるように消えていく。それはまるで雪のように。
「矢張り素敵だね。さながら春先の淡雪の様だ。儚く―――だからこそ美しい」
思わず顔を顰める。心を読まれたのかと思った。
「如何したの?」
「……いえ、何でも」
「もしかして、同じ事を考えていたのかい?」
―――嗚呼、本当に、この人は苦手だ。
(2016.11.23)
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