出会いは何かの前触れで

 織田作が通っている酒場がある、と聞いたのは、彼の下に就いて一ヶ月も過ぎようかと云う時だった。
 馴染みの酒場が在ることを私に話した彼は、何気無しに、お前も来るか、と訊いてきた。特に断る理由も無いので、ついて行った。織田作が通っている、という事で少しの興味もあった。

 酒場に着くと、店内にはあまり人がいなくて、ただ一人、丸眼鏡をかけた青年が、ひっそりと酒を飲んでいた。

「嗚呼安吾。来てたんだな」
「織田作さん」

 どうやら知り合いだった様で、親しみが込められた挨拶が交わされる。……友人、なのだろうか。そう思った私は少し迷ったものの、織田作に云った。

「織田作、私、帰ります」
「?……ああ、安吾なら気にするな、俺の友人だ」
「だからですよ」

 この黒い世界で生きる人間にとって、友人と云うのは貴重な物だろう。其処に私が這入るのは、少し気後れがした。彼等が、彼等の侭で居られるのなら、それに越した事は無いだろう。部外者が気安く這入るものでは無い。
 辿々しくそれを伝えると、何故か織田作は私の事をじっと見つめた。

「……名字」
「はい」
「友人と云うのは、状況が換わろうと間に誰が入ろうと関係無い」
「…………はい」
「俺達が此処に居て酒を飲む。話をする。お前が居たってそれは変わらない」

 真剣な眼差しで語りかけて来る。返事が出来ずに居ると、先程、安吾と呼ばれた青年が苦笑した。

「回りくどいですよ。貴方らしくも無い。……名字、さん?要するに『気にするな』と云う事です」
「…………」
「まあ、そう云う事だ。だから気にせず酒でも頼むと良い」

 織田作が肩を竦めて云った。その言葉に、少し胸が詰まるのを感じた。店の中はあまり人がいなくて、何処か寂しい雰囲気だと感じたが、違う。此処は暖かい場所だ。そう思った。

 その雰囲気が―――私の中のみで―――壊れたのは、その直後だった。

「その通りさ。気にする必要など無いよ、美しいお嬢さん」

「…………!?」

 思わず息を呑み、振り返る。一人の青年が目に這入った。入口の戸に寄りかかり、今まで聞いていたのか、興味深そうに此方を見ている。

 ……『感じなかった』。否、今も感じる事が出来ない。酒、コップ、机に椅子―――人間まで。周りの物体には、寿命が有って、それらを意識しない様にしていても、凡ての質量が合わさって重苦しい空気となって私に圧し掛かってきている。それなのに、この人からは、何も感じない。

「やあ二人とも!此方のお嬢さんは?」

 黒い蓬髪。黒いスーツに、黒い外套。それに、彼方此方に巻かれた包帯。そして―――感じ取る事が出来ない『寿命』。それらが相まって、私にはとても不気味な、得体の知れない物の様に感じさせた。

「今晩は、太宰君」
「ああ、太宰。その娘は俺の部下というか……後輩だ」

 ふうんと相槌を打って、すたすたと此方に歩み寄り、私の手を取った。咄嗟の事で反応が遅れた私は、それに驚く前に、息が止まる様な感覚を覚えた。

 世界が消えた気がした。感じていた質量が、凡て無くなる。
 目の前の、気配も無く近寄ってきたこの人が、凡て吸い取ってしまったかの様に。
 思わず目を逸らし、早口で名乗る。

「名字……名前です」
「私の名前は太宰。太宰治さ。宜しくね、名前ちゃん」

 ―――――この人は、死神なんだろうか。
 それが、私が抱いた、太宰治の最初の印象だった。



「へえ……『寿命を吸い取る』、ねえ」
「ええ」

 あれから、太宰は何が面白いのか、私の事について異様にあれこれ訊いてきた。安吾がこっそり教えてくれた事にはかなりの女好きらしい。一寸呆れはしたが、先程感じた恐怖を薄れさせるには充分な位には打ち解けた会話が交わされていた。

「ああ、私がこんな異能力なんて持っていなかったら……」
「……自殺がご所望なのでは?」
「美女に殺してもらうのもまた味があるだろう……!」
「…………?」

 会話についていけず戸惑っていると、其れに気付いたのだろう、織田作が教えてくれた。

「太宰は『人間失格』と云う、異能力を無効化する能力を持ってるんだ」
「……!それで、ですか……」
「何が『それで』、なの?」

 安吾と話していた筈の太宰が、行き成り此方を向いて来る。……打ち解けた、なんて気の所為だった様だ。矢張り、まだ少し苦手だと感じる。
 隠す理由も無いので、私の異能力について説明を加える。先程太宰が現れた時に驚いた理由も。死神、と感じた、とは流石に云えなかったが。

「……人の『寿命』を……?」
「はい」
「……僕たちの、もですか?」
「はい……ああ、でも勘違いしないで頂きたいのですが、あくまでも、『その人が其の侭普通に生きて老衰で死ぬとしたら』の『寿命』です。詰り、他殺や事故死などは考慮されない」
「……成程ね。では、織田作や安吾の寿命は如何だい?」
「ちょっ……太宰君!?」
「普通、です」

 それ以外に答え様が無かった。織田作も安吾も、平均より若干の差はあるものの、普通に生きれば老人となり、その生を終えるだろう。

「安吾さん、の方が、少し長い様に思えますが……僅かな誤差でしかありませんね」
「……答えちゃうんだ。人が厭がるかも、とか考えないの?」
「……?何故厭がるのですか?」

 ―――――人は、何時か死ぬものでしょう?

「……そうだな」
 黙って話を聞いていた織田作が、静かに云った。
「…………」
 其の侭沈黙が下りてしまって、私は内心戸惑った。織田作はまた黙ってしまい、安吾も何とも云えない表情で此方を見ていた。
 不意に、底抜けに明るい声が響く。

「そうだ!ねえ名前ちゃん、一寸その能力使って見せてよ」
「えっ……」
「物でも大丈夫なんだろう?マスター!果物とかある?」

 何故か、私の能力を披露する羽目になり、私の目の前には表面が艶々と光るオレンジがそっと置かれた。三人ともじっと見ていて居心地が悪い事この上ない。
 まあ、人の命を奪う事とは程遠い。これなら気後れする理由も無かった。果実に手を触れ、目を閉じる。息を深く吸い込んだ。

 ――――異能力――――『桜散りゆく』―――――

 手の先に感じる、物理的なものではない、『何か』を吸い取る。私がやる事は、たったそれだけ。
 ……隣から、驚きの声と、息を呑む気配、それに―――感嘆した様な溜め息が聞こえる。

「これは……!」
「……桜、か」
「………………」

 目を開ける。腐り切って分解されていく果物は、手に少し気色悪い感触を残し、そして跡形も無く消えて行き―――その後、桃色の花弁が散って行く。偽りのそれは、隣に座る太宰に中って、消えて行った。異能力で作られた其れは、異能無効化により消えていく。

「――――――美しい」

 その呟きは本当に小さくて、私にしか聞こえていなかった様だった。それを云った人を見る。
 その目は呆けた様な、それでいて、何処か恐怖を感じさせる色をしていた。

 ―――――――ああ、思えば、この時から。

「……綺麗だ」

 太宰は桜の花弁を見ていた……其の筈だった。然し完全に花弁が散ってしまった後も、太宰の目は私を捉えていた。

「こんなに綺麗な物――――初めて見た」

 ――――――この時から、私は、彼に、囚われてしまったのかもしれない。



 これが、私と彼の出逢いの顛末だ。何のことは無い。

 ただ、心の何処かが欠けた者同士が出逢った。ただそれだけの話。

(2016.12.19)
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