行き場を失った感情が
物心付いた時から、否、おそらくは生まれた時から、人や物の寿命を感じていた。
私の周りにある其れは、私が好きなだけ吸い取る事が出来て、それは綺麗な花弁となって落ちていく。
幼い頃はそういう認識だった『それ』は、或る日―――自分が何をしているのか理解した日から―――私はそれを自分から使うのを止めた。自らの掌からひらひらと零れ落ちる花弁の淡い桃色が、頭から離れなかった。
或る日、母が死に、その直後、父が死んだ。
親戚は私の異能力の事を知らなかったが、ただ一人、よく家に来ていた叔父だけは私の周りで起きる奇怪な現象を知っていた。幼い私は自分の能力を理解できず、虫や花、草の命を桜の花弁に換えては遊んでいた。それを偶然見てしまった叔父の表情が忘れられない。
叔父は、家の事も有ってか、私の事を云い触らしなどはしなかった。しかし、両親が亡くなった後、彼はこんな事を云い始めた。
曰く、二人が死んだのは、私の所為だ、と。
全くの云いがかりだった。私は二人の命を吸い取っていないし、万が一無意識で能力を使ったとしても、桜の花弁がそれを物語る筈である。何の証拠も無い無実の罪だった。然し、彼にそんな事は関係なかったらしい。
『可笑しいと思わないのか』
糾弾する声が響く。
『親が死んだんだぞ?鏡を見てみろ。それが親を亡くした者の顔か?』
可笑しい。何が?
だって、死ぬのは判っていた。二人とも。
『普通じゃない』
普通とは何だというのだろう。私にとってはこれが『普通』なのに。
『人の死を何とも思わない、化け物』
何とも。そうだ、何とも思わない。こうして私を責める声も、もう聞けない両親の優しい声も。その温もりなんて。冷たさなんて。命なんて。
全部、全部、何時かは無くなるのだから。
――――――そうして、何に蓋をしたのだろうか。
自室は暗く冷え冷えとしていて、何処か他人の部屋の様に錯覚した。電気を点けずに洗面台へと向かう。鏡の横にあるスイッチを押すと、微かな音と共に明りが点いた。
外套に手を掛ける。隠す様に閉めていたボタンを外すと、鏡に乱れた襯衣が写った。襯衣のボタンは外れ、肌が露わになっている。
首筋と胸元をぼんやりと見つめる。付けられた幾つもの紅い痕は現実味が無かった。然しそれらは鮮明に思い出させた―――自分の体を這う、指の感覚も、舌の感触も。あの、人の。
不意に、何かが込み上げてくる。其の侭床へと座り込んでしまった。無意識に口元を抑えると、自分の口から嗚咽が漏れる。
『名前』
囁かれた声が蘇る。耳元で聞こえた、掠れた声が。耳を塞いでも意味は無い。
『私達は似ているよ。失うことに関して何も感じない、感じる事が出来ない。だから、追い求める価値のある物なんて無い。この世の凡ての物は、どうせ、ただの暇潰しの道具さ。ねえ、名前?私に付き合ってよ。私が死ぬまで、私が君に殺されるまで』
その暇潰しの道具に為れと云ってきた。あの人が死ぬか、それまで我慢できずに私があの人を殺すか、何方にしろ、あの人が、死ぬまでの。
『ああ、でも誤解しないで欲しいな。私は、君の事が』
聞きたくない。聞きたくない。
こんなに苦しいと思ったのは初めてだった。初めて人を憎みたいと思った。
―――――憎みたい。然しその感情は、どんなに願っても自分の中に生まれて来なかった。
それは、触れるその手が優しかったからなのか、それとも、その表情が何処か寂しそうに見えたからか。
嫌いになれと云うのだったら、いっそ傷つけてくれれば良かった。あんな顔をしないで欲しかった。優しく、触れないで欲しかった。あんな事を、云わないで欲しかった。
中途半端に傷つけられた自分の心が、一番私を苦しめていた。
『好きだよ』
(2016.12.19)
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