Story-02

 正式な配属は昨日行われた配属式の翌日の、四月一日――……つまり今日からだ。
 
(……前途多難、というか)

 顔合わせで喧嘩を売り飛ばした相手が、教育担当とはどういう因果か。
 空を見上げると、嫌になる程青く。風が桜を散らす様子は幻想的で。
 そんな春晴れに似つかない気持ちのまま、重い足取りで関東支局に足を踏み入れた――……。


◇ ◇ ◇ ◇


「それじゃあ、新人ちゃんこれからよろしくねってことで」
「乾杯!」
「かんぱーい!」

 定時――……とはいかなかった退社後、一課の面々が揃ってジョッキを合わせた。
 乾杯の音頭は中瀬さんではなく諏訪さんが行っているし、上座も下座も気にしていない様子で始まった新人歓迎会という名の飲み会。
 経費で落ちるから、と松田さんが選んだお店は、品がいい割烹店だった。
 学生の身分ではまず行かないお店だ。

「相変わらず、松田が選ぶ店はセンスがいいというか、ハズレがないな」

 中瀬さんがビールを飲んだ口で褒めると、松田さんが「いやいや」と謙遜する。

「前、人に勧められて来たことがあったんで。俺のセンスではないですよ」
「女か」
「女の子ですねー」

 西浦さんと諏訪さんがニヤリとした。
 苦い顔をした松田さんに、諏訪さんがさらに追い討ちをかける。

「なんなら元カノですね。こういうところ、好きそうだし」
「ほんとにお前は……」

 呆れつつ否定をしないあたり、やはり事実なのだろう。
 
(美人でセンスの良い元カノ――……)

 なんとなく想像して納得した。
 松田さんほどのイケメンで優しい人と付き合うなら、それくらいのスペックがないと無理だろう。

「あっれ、菜々ちゃん元気ないね? 諒さん狙いだから落ち込んだ?」

 ……この鬼は、一体いつまでその話を引きずるのか。
 手に持っていたジョッキを一気に呷り、テーブルに置く。

「狙ってません! ただ、他の二人がセクハラモラハラしてきたので、松田さん優しいなーって思ってただけです!」
「おい、俺も入ってるのか」

 私の言葉に反応したのは西浦さんだった。

「逆に入ってないと思ったんですか。あんなにあからさまなセクハラしたのに」
「セク……、お前」
「体眺めて色気ゼロ、ってセクハラ以外の何物でもないです」
「事実だろ」
「事実でもセクハラです」

 西浦さんと机を挟んで睨み合う。
 イケメンに対する免疫は、昨日今日の二日間で随分ついた。
 なんなら言動が失礼すぎて、顔の良さを忘れていたくらいだ。

「まあ……そういうのは気をつけないとな」

 中瀬さんが考え込むように零す。

「にしても、佐々木は打ち解けるのが早いね」

 話の流れを変えたのは松田さんだ。
 柔らかい笑顔で日本酒を呷っている。

「打ち解けたというか……馬鹿にされている気がします」
「そんなこと……は、まあ」

 否定されなかった。
 松田さんは意外と正直だ。

「とはいえ、去年の新人が西浦さんにしごかれて一ヶ月……ないくらいで辞めちゃったのに比べるとな」

 ――……うん?
 なんか今不穏な言葉が聞こえた気がする。

「配属初日で俺や拓真さんに喧嘩売れるんだから、簡単に辞めないよねえ?」

 松田さんの言葉を継いだのは諏訪さんだ。
 嫌な、意地の悪い笑顔が覗いている。

「売られた喧嘩を買っただけです。べつに自分から売ってません」
「すーぐ口答えする」

 正しく指摘されて言葉に詰まった。
 それを松田さんが楽しそうに眺めている。

「いや、でも本当に一課の新人が佐々木でよかったよ」
「根性がありそうで楽しみだな」

 試すような顔で西浦さんが続けた。
 諏訪さんといい、西浦さんといい、新人に対してあたりが強すぎる。
 いくら根性があろうと、嫌なものは嫌だ。
 
「ここ数年一課に入ってきた新人はほとんどやめてしまったし……そろそろ上から言われるところだったから、佐々木が課に馴染んでてよかったよ」

 中瀬さんの切実な話に揃って押し黙る。
 そう言われると――……辞めにくい。
 
(というかそもそも、優秀な人が配属されてるはずなのに)

 悪魔取締本部に配属されるのは、例年二、三人と相場が決まっている。
 私は例外だろうが、大体その年の首席やそれに近い人が選ばれてるはずだ。
 それが揃いも揃って逃げ出す一課とは……。

「言っておきますけど、主に拓真さんのせいですよー」
「俺か? お前のせいだろ葵」

 例の新人いびり二大巨頭で責任の押し付け合いをしている――が。

「多分二人ともじゃないですか」

 つい、口をついて出た。

(やばい……)

 何杯目か数えるのを忘れたビールのせいだと言いたいが、それを二つの視線が許さない。

「へーえ、そっかー、菜々ちゃんは俺も拓真さんも悪いって言うんだ?」
「度胸だけは買ってやる」

 正面と横から圧がかけられる。
 なんとか誤魔化そうと、脳を働かせようとするも、アルコールが回った頭ではうまく言葉が出てこない。
 ええい。ままよ。

「だってそうじゃないですか! 新人いびりも甚だしいですもん!」

 言い返すと思わなかったのか、二人が怯む。
 コンマ何秒の沈黙。
 そして。

「二日目……正式な配属でいえば一日目の奴が何言ってんだ」
「今日も昨日も資料読んでただけじゃん」
「な……! その初日でもうすでにひどいって言ってるんですけど!?」

 今日読んでいたマニュアルやら、一課に関する資料を読んだので、先輩方の優秀さは文面でだが、理解した。
 とはいえ、態度が横柄すぎる。二人に限ったことだけど。

「っ、はは」

 あーだこーだ言ってくる二人にその都度噛みついていると、松田さんが耐えかねたように吹き出した。

「中瀬さん、いい人材獲りましたね」
「ああ。俺もそう思ってた」

 中瀬さんも頬を緩ませて頷く。
 なんのことやら分からず、思わず首を傾げると、すぐに横から茶々が入った。

「よかったね、菜々ちゃん面白いって」
「え? そういう話ですか、今の」

 諏訪さんがにやにやしていると、どうも怪しく感じてしまう。
 疑るように見ていたのに気づいたのか、西浦さんが「たしかに」と口を挟んだ。

「面白さは一級品だな」
「ですよねー。いじりがいとか、ダントツで」

 ――……な。
 
「私が辞めたくなったら、間違いなくお二人のせいですからね!」

 ジョッキを呷った勢いのまま睨みつける。
 が、私に睨まれたところで痛くも痒くもないらしい。

「はいはい。俺のせい俺のせい」
「うわ、拓真さん雑すぎ」
「そりゃ、こんなちんちくりんに噛みつかれてもな」

 くそ……。
 何を言っても負けしか見えない。
 これは、下手に物を言うより黙ってたほうが得策か。

「あれ、菜々ちゃん静かになった」

(無視だ、無視無視……)

「ふーん?」

 諏訪さんは相変わらず読めない笑顔だ。
 無視。
 ここで何か言えば、また揚げ足取られるのはもう理解した。

「ていうか、さっきから見てたけど、佐々木飲み過ぎじゃない? 大丈夫?」

 諏訪さんを無視していると、斜め正面の松田さんが心配そうな顔でこちらを伺っている。
 言われて、――……そういえば、どれくらい飲んだっけ。

「ええと……」

 脳を働かそうとするが、どうもうまく思考が定まらない。
 これは、ちょっと飲みすぎた気がする。

「そういえば結構飲んでるよな」
「噛みつきながらグイグイいってましたねえ」

 西浦さんと諏訪さんの表情にも、ほんの少し心配が滲む。
 心配はしてくれるんだなあ。
 なんていう少し外れた考えが脳に浮かんだ。

「飲めなそうな顔してるのに気持ちよく飲むなあ、と思ってたんだけど」
「佐々木、大丈夫か?」

 松田さんの言葉に、隣に座っていた中瀬さんが顔を覗き込むように近づく。
 ――……鼻、高。
 どこをどう切り取っても整ってる顔に耐えられず、手で自分の顔を覆う。

「佐々木? 気分悪いのか?」

 その行動を具合が悪いと受け取ったらしい。
 心配するように、ゆっくり顔が近づくのを感じて――……

「無理です!」
「――……は」

 中瀬さんの動きが止まる。
 
「その綺麗なご尊顔をこれ以上近づけないでください……!」

 顔を覆ったまま懇願すると、固まる空気。
 
「ご、ごそ……?」

 戸惑うような中瀬さんの声。
 再び訪れる、わずかな静寂。
 そして。

「あっはははは!」
「ふ、はは、おまえ……ごそ、ご尊顔って……!」
「っは、ふふ、ははは」

 諏訪さん西浦さん松田さんの笑い声。
 中瀬さんはまだ戸惑っているようだった。

「あー、おもしろ。そっか、菜々ちゃんは諒さんじゃなくて中瀬さん派かあ」

 息絶え絶えになりながら、諏訪さんが頷く。
 
「たしかに中瀬さんの顔整ってるけどな、ご、ご尊顔……!」

 ご尊顔がよっぽどおもしろかったのか、西浦さんはお腹を抱えてうずくまった。
 
「はは、気持ちはわかるけど、ふ、佐々木、酔ってるね」

 笑いを忍ばせた松田さんが、どこからかお冷を取り出して、私の目の前に置く。

「酔ってませんし、何がおかしいんですか!」
「佐々木、それは酔ってる人の常套句……はは、ふ、はは」

 三者三様に笑いつぶれた。
 唯一潰れずに残った中瀬さんの方を向くと、なんとも形容し難い顔でこちらを見ている。

「……中瀬さんは、ご自身の顔面の破壊力を知ってください」
「……え」

 中瀬さんが不思議そうに何度か瞬きをした。
 
「おい、あいつ中瀬さんに説教し始めたぞ」
「っははは、もー、だめ……おもしろすぎ……!」
「さ、佐々木……はは」

 うるさい外野は、この際無視だ。
 頭はふわふわするし、視界も揺れてぼーっとしている。
 けれど、これだけは言わせてほしい。
 
「そんなホイホイ近づけていいような顔じゃないんです……。もっと自覚してください……ご自身の顔面が……どんだけ……」

 暗転。


◇ ◇ ◇ ◇


 痛む頭。重い体。
 
「うん……」

 起きようにも、思考がはっきりしない。
 今何時だろう。
 目覚ましは鳴っていないし、もう少し。
 と、瞼を閉じたまま寝返り――……

「痛!」

 床に転がった。
 痛みに漸く目が開く。
 眩しい光で、前がよく見えない。

「佐々木?」

 どこかで聞いたことのあるような、低い声が名前を呼ぶ。
 えー、と。
 見慣れない天井、床。

「……落ちたのか」

 あれ。
 
「な、中瀬さん……?」
「ああ。おはよう」

 床に座り込んだままの私。
 を、見下ろす完璧な佇まいの中瀬さん。

(いや、夢?)

 寝起きのはっきりしない頭では、うまく状況を処理できない。
 夢だと思いたいが、さっき床に落ちた時にはっきりと痛みはあった。
 ――……とすると。

「現実……」

 絶望に満ちた声で呟くと、中瀬さんが小さく笑った。

「夢ではないな」
「ですよね……」

 現実だと言うことを痛い頭で受け止めつつ、周りを見渡す。
 私の部屋でもなければ、誰かの家というわけでもなさそうだ。
 ホテル――というには無機質。
 一体、ここは。

「仮眠室だよ。職場の」

 疑問に思ったことが顔に出ていたのか、中瀬さんがさらっと答えた。
 なるほど、仮眠室。
 ……いや、でも仮眠室に入った記憶がない。
 
(というか、飲み会の途中から記憶がない……)

 ひやりといやな汗が背中を伝う。
 
「体は大丈夫か? すごい音だったけど」

 いつまでも床にへばりついている私を見兼ねてか、中瀬さんが右手を差し出した。
 恐れ多いが、ここで拒否するのも失礼だ。
 遠慮なく大きな手に甘えると、ほんの少しの立ちくらみ。

「……っと」

 ふらついた私の肩を、中瀬さんの左手があっさり支えた。

「……すみません、何から何まで……」
「いや、いいよ」

 爽やかな笑顔がまぶしい。
 そして色んな意味で頭が痛い。
 しかし、訊かないわけには――……

「……あの、昨日のことなんですが」
「ん? ああ……」

 おそるおそる伺うと、中瀬さんは何かを思い出すように視線を外した。

(もしかして……結構やらかした感じ)

 クビ、無職、ホームレス――……物騒な単語が脳を泳ぐ。
 つい先日、娘の門出を祝ってくれた実家の両親の顔が浮かんだところで、中瀬さんが重たい口を開いた。

「今後は飲みすぎないほうがいいね」

 ――……一体何をやらかしたんだ、自分。
 どんなに頑張っても思い出せないのが辛い。
 須和さんと西浦さんに噛みついたのは覚えて……いや、噛みつきすぎてどこまで覚えているのか定かじゃない。
 あまりの失態に震えていると、中瀬さんがこちらを見て口元を押さえている。
 ……おや?

「……まさか」
「っく、ごめん……なにもないよ」

 口から漏れる微かな笑い声。
 
(騙された!)

「中瀬さんまで……」

 安心半分に拗ねる。
 よかった。クビになるほどの失態はしていなそう……だ?
 ちょっと、まった。
 飲み会で潰れたとあれば、その後、ここにいるのは――……。

「あの……ここに運んでくださったのって」
「ああ、家に送ってもよかったんだが――……勝手に荷物漁るのは趣味じゃないから」

 ですよね……。
 ここが中瀬さんの家やホテルじゃないことに安堵すべきか。
 否。

「すみません……、大変なご迷惑を……」
「どうせ仕事が残ってたから、気にすることじゃないよ」

 気にします。それはもう大いに気にします。
 ――とは言えないので、俯く。
 配属二日目の新人がしていい失態を超えた。
 クビじゃなくても上司からの心証はすこぶる悪いだろう。
 
「それより、こちらこそ悪かった」
「え」

 謝るべき事はたくさんあっても、謝られる心当たりがない。
 目を丸くする私に、中瀬さんは困った顔。

「緊張して飲み過ぎることもあるだろう――気付けなくて、すまない」

 そんなこと。
 
「中瀬さんが謝ることじゃないです! たしかに緊張は多少してましたけど、いい歳して飲みすぎたのは私ですし……」

 もう学生じゃないんだから、自分でお酒の量は把握するべきだった。
 というか、それが社会人としての最低限だ。
 
「とにかく、中瀬さんのせいじゃないので、謝らないでください」

 思わず拳を握ると、中瀬さんが小さく笑う。
 ぐ、その爽やかな笑顔はずるい。

「そうか」
「……はい」

 急に恥ずかしくなって、握った拳を解く。
 髪はぐちゃぐちゃだし、化粧だってよれて酷いことになってるはずだ。
 現状に気がついた瞬間、羞恥心で顔に熱があつまった。

「始業まであと一時間あるから、シャワー浴びたり、コンビニ行ったりするといいよ」

 腕時計を見つつ、中瀬さんが続ける。

「俺は課にいるから、何か困ったことがあったら声をかけてくれ」

 簡単にシャワー室の場所と使い方の説明をして、中瀬さんは颯爽と仮眠室から出て行った。
 残された空間で、大きく息を吐く。
 
(完璧すぎる……)

 気遣い、フォロー、その他諸々……上司としての欠点が何一つない。
 しかも飲み会の後に課に戻って仕事をしてたという。
 
(なのに疲れを一ミリたりとも感じさせない爽やかさ……)

 自分の現状と比べて、ため息。
 こんなぼろぼろの姿を中瀬さんに晒したというのが痛すぎる。
 が、過ぎた事を悔やんでもしょうがない。

「――……よし!」

 気合を入れて、姿勢を正す。
 手始めにコンビニに行って最低限の化粧品と、朝食の調達。
 そのあとにシャワーを浴びよう。
 服は――……同じでもしょうがない。

(……そういえば)

 同じく職場に泊まったであろう中瀬さんは、昨日と違うシャツだったような。
 
「……私もロッカーに着替え置いておこう……」

 どこまでも完璧な中瀬さんに、思わず感嘆の息が漏れた。


◇ ◇ ◇ ◇


「あ、菜々ちゃんおはよ」
「……諏訪さん。おはようございます」

 身支度を一通り整えて課に入ると、目の前に諏訪さんが立っている。
 ドアの前で立ち止まらないでほしい……とは言わず、挨拶をして自分の席へ向かう。
 
「おはようございます……あ、佐々木。二日酔い大丈夫か?」

 席に座ると、ちょうど課に入ってきた松田さんがこちらを見た。
 
「大丈夫です。……すみません、たくさんご迷惑おかけして……」
「本当にな。中瀬さんにお礼言ったか?」

 頭を下げると、すでに出社していた西浦さんの視線が向いた。
 
「それはもう……何度謝っても謝りきれないといいますか……」
「ハハ、言っただろう。なにも気にする事はないんだよ」

 相変わらず爽やかに中瀬さんが笑う。
 ……うう、眩しすぎる。

「あーあ、中瀬さん罪作りだなあ」

 例によって例の如く、チェシャ猫顔で諏訪さんが口を挟んだ。

「ね、菜々ちゃん。中瀬さんは諒さんより手強いと思うよ」
「何の話ですか……」

 話の脈絡が見えず、首を傾げる。

「中瀬さん独身主義者だし。浮いたウワサひとつも聞いたことがないんだよね」

 珍しく考え込むような表情になった。
 
(独身主義者……)

 それはそれで、ファン心をしっかりくすぐられるような。
 って、いやいや。
 上司に向かってファンとか。

「それを覆す魅力が菜々ちゃんにあるとは思えないし」
「ちょっと。真顔で言わないでくださいよ」

 真面目に言われるのが一番傷つく。
 
「さて、ミーティングするぞ」

 なんてことないように、中瀬さんが書類を手に持って全員を見渡した。

「……菜々ちゃん、流されてるよ」
「……うるさいです諏訪さん」

 教育係ということもあって隣のデスクになった諏訪さんを小さく睨む。
 新人研修とはまた違うしんどさに、今日何度目かのため息がこぼれた。