寝る場所で一悶着あり、なんとか粘りに粘ってソファーを勝ち取ったのはつい……いや、もう三時間前の話だ。
(寝れない……!)
当たり前だけど、寝れない。
尊敬する上司の家っていうだけでも緊張するのに、恋心を自覚してしまったのが痛い。
このままじゃ明日、目の下に大きなくまを作って出勤することになる――……と寝ようとすればするほど寝れないのが人間のサガだ。
もう何度目かわからない寝返りを打ちながら、まぶたをぎゅっと閉じる。
中瀬さんの家に寝室があって良かった。
もし同じ部屋だったら――……いや、やめよう余計寝れなくなる。
結局。
おそってきた睡魔に身を委ねたのは朝日が薄く差し込み始めた時だった。
「……うぅ」
朝、五時半。設定したアラームで起床する。
寝れた気がしない。
相当ひどい顔になっているはずだ。
この姿を中瀬さんに見せるわけにはいかず、失礼を承知で洗面所を借りる。
「だよね……」
鏡に映り込む自分の姿を確認して、肩を落とした。
予想していた通り、目の下には誤魔化せないクマが居座っている。
なけなしの乙女心で、お化粧を施すと、わずかだがいつも通りに近づいた……というのは願望だろうか。
こんなことになるなら、最低限の化粧道具ではなく、フルセットを常備しておくんだった――……と後悔しても遅い。
自分を叱咤し、着替えも済ませて洗面所を後にする。
まだ中瀬さんは起きてきてないようだ。
微かに寝室からアラーム音が聞こえてくる。
(……もう起きてくるかな)
思いつつなんとなくソワソワした気持ちでソファーに座る。
が。
アラーム音ばかりが大きくなるだけで、一向に中瀬さんは現れない。
なんなら人が起きた気配もない。
(……え、いる、よね)
人が出ていったらすぐわかる程度には寝れなかった私だ。
中瀬さんは確実に寝室にいる。
けども。
(起きなさすぎ……)
昨日の話では防音がしっかりしていて、隣部屋の音は全く聞こえないとは言ってたけれど。
リビングで普通に寝てても起きそうな音量のアラーム音。
これで起きない中瀬さんって一体。
「……ちょっと、さすがに」
寝坊は洒落にならないので、意を決して寝室に向かう。
まず手始めに、三度扉をノックして「中瀬さーん?」と声をかけてみる――……反応はない。
(まさか死んではないよね?)
不吉すぎる想像を振り払って、ゆっくり扉を開ける。
部屋に置かれた大きなベッド。
……で、布団をかぶってまるまっている上司。
(……このスペシャル感どうしよう)
ファンとしてなのか、恋する乙女心なのか判別がつきにくい衝動に耐える。
アラームは依然としてうるさい。
「中瀬さーん、朝ですよ」
さすがにやかましいアラームを止めて、中瀬さんが入ってるであろう布団をゆする。
タオルケットからはみ出る髪の毛がかわいい――じゃなくて。
「中瀬さん、起きてください」
先ほどより強くゆする。
と、ようやく中瀬さんが顔を出した。
目は開いてない。
「ん……」
鼻にかかった声、シャツから見える鎖骨が色っぽ――……じゃない!
さっきから油断すると思考が緩む。
ぶんぶんと煩悩を払うように首を振って、さらに声をかける。
「中瀬さん中瀬さん」
「うん……」
ごろんと、寝返り。
これは――。
(中瀬さんめちゃくちゃ寝起き悪い……)
意図せぬ形で中瀬さんの完璧じゃない部分を見つけた。
きっと課の誰も知らない、中瀬さんの素顔。
(――……って浸ってる場合じゃない!)
昨日好意を自覚してから、思考回路が乙女すぎる。
自分に呆れつつ、心を鬼にしてタオルケットを剥ぎ取った。
「中瀬さん!」
「うん……おはよう……」
ほんの僅かに目が開いた。
寝起き特有の掠れ声が鼓膜に響く。
(やばい。限界)
これはキュンとしない方が無理……!
高鳴る心臓を抑えて、唇を噛む。
「佐々木……?」
まだ覚醒してないであろう中瀬さんが、普段よりもゆったりした口調で呼んだ。
うう……、何から何まで心臓に悪い……!
「佐々木です。おはようございます」
何でもない風を装って、挨拶。
上半身を重そうに持ち上げた中瀬さんの視線がふわふわしている……気がする。
「すみません、アラームずっと鳴ってたので勝手に止めちゃいました」
「ああ……、そうか……」
頭が働き始めるのはもう少し時間がかかるだろうか。
職場では決して見ることのない、中瀬さんの気の抜けた姿。
こんな姿を見られる機会なんてもう二度とないだろう。
(せめて心のアルバムに保存……)
このくらいの浮かれは許されたい。
名残惜しい気持ちを堪えつつ、寝室から廊下へ下がる。
「あの、朝食用意しておきます」
「ん……食パンがあるとおもう……冷蔵庫は……好きに……」
「わかりました。諸々お借りします」
目を擦りながら答えてくれたのに頷いて、ドアを静かに閉めた。
昨日は電子レンジしか使うことがなかったキッチンに足を踏み入れ、食パンを探す。
自炊をした形跡がないキッチンでは、あっさり見つけることができた。
(冷蔵庫好きにしていいって言ってたし……なにか軽く作れるかな)
料理の腕は自慢できるものじゃないが、少しでも良いところを見せたい。これは果たして部下としての心情か、恋心か。
兎にも角にも、今は文明の利器であるスマートフォンでレシピ検索が容易いのが何よりの救いだ。
朝ご飯になりそうなメニューを数種類算段して、冷蔵庫を開ける。
(――……空)
すっきりとした庫内に思わず呆然。
ビール缶が数本と、マヨネーズやケチャップというソース類、あとは……卵が三つ。
ここまでくると逆に何で卵があるのか謎だ。
(中瀬さん、全然料理しない人なんだな……)
思いつつ、一度冷蔵庫の戸を閉める。
卵を使った料理……シンプルにオムレツか。
でもシンプルが一番難しいと言うような。
じゃあ――……
(個人的に好きな卵サンドにしよう)
これは何回か自宅でも作っているので、失敗する可能性もかなり低い。
あとは卵を茹でるための小鍋とかがあるかどうか。
屈んで、コンロ下の引き出しを開ける。
どうやら、最低限の調理器具は揃えてあるようだった。
(料理しないのに、調理器具……)
なんとなく中瀬さんの昔の恋人がちらついて、慌てて首を振る。
集中!
気合を入れ直して、無心で作業をすることしばらく。
中瀬さんが起きてくるより早く、卵サンドは完成した。お世辞にも綺麗とは言えないが、まずまずな出来、のはず。
使わせていただいた器具を手早く洗ってから、再び中瀬さんがいる寝室へ向かった。
「中瀬さーん?」
着替え中だったらと思い、ドアをノックしながら声をかけて様子を伺う。
返事はない――……が、何やら中から話すような声がする。
(電話中とかだったかな)
だとしたら申し訳ない。大人しく向こうで待っていよう。
くるりと振り返って、足をすすめようとした、その時。
「馬鹿! 違う!」
珍しすぎる中瀬さんの怒声に足が止まる。
(電話の相手、誰なんだろ……)
相当気安い仲なのか。
中瀬さんがここまで感情を丸出しにするのは初めて見た。いや、見えてはないけど。
ぼーっとドアを眺めていると、不意にそれがガチャリと開いた。
「……おはよう」
苦りきった顔が、私を確認するや否や穏やかなものに変わる。
もうしっかり覚醒したみたいだ。
「おはようございます。あの、卵いただいちゃいました」
「ああ、構わないよ」
リビングへ歩き出した中瀬さんの後を追う。
後ろの髪の毛が少し跳ねてるのがかわいい。
気の抜けたところを発見するたびに胸がキュンと鳴ってしまう。
うっかりすると緩みそうなる頬に力を入れて、なんとか普段通りを維持。
「……すごいな」
廊下からリビングダイニングに繋がるドアをくぐると、テーブルに置いた卵サンドを確認した中瀬さんが感心したような声を出した。
「大したものじゃないですし、勝手にいろいろ使わせていただいてしまって申し訳ないんですが、よかったらどうぞ」
「いや、すごいよ。手作りの卵サンドなんて久しぶりだ」
嬉しそうに椅子に座る中瀬さんの姿を見て、安心する。
けれど、それと同時に少し引っかかった。
(……『久しぶり』かあ)
キッチンに揃っていた調理器具と併せて、やっぱり昔の彼女だろうか。
今は独身主義を公言しているけれど、昔のことはわからない。
中瀬さんほどの人にそういう相手がいない方が、むしろ不思議なわけで――……。
「佐々木?」
「あ、すみません」
慌てて席に座る。
いかんいかん。本当に思考回路が乙女に寄りすぎてるぞ私。しっかりしろ。
気持ちを切り替え、両手を合わせた。
「いただきます」
中瀬さんが微笑んでから、同じように「いただきます」と言って卵サンドに手を伸ばす。
軽く味見をしたので、すごい不味いという事態にはならないだろうが……果たして中瀬さんの口に合うかどうか。
どきどきしながら、卵サンドが口に運ばれていく様子を見守る。
「……ん、うまい」
「ほんとですか!」
安堵して思わず声が大きくなってしまった。
子どもがはしゃいでるのを微笑ましく見るような視線を送られて、恥ずかしさに頬に熱が集まる。
「うん。佐々木は料理が上手だな」
「こ、これを料理と言っていいのか……」
「俺からすれば立派な料理だよ」
そう言って中瀬さんは気持ちいいペースでサンドイッチを頬張っていく。
過大評価を一身に受けつつ、私も自作の朝食に手をつけた。
好きな人と朝ごはんを一緒に食べるシチュエーションだけで、もう胸がいっぱいだった。
「ご馳走様。皿は俺が洗うよ」
あっという間に卵サンドを平らげた中瀬さんが食器を手に取って、立ち上がる。
二口三口残っていたサンドイッチを慌てて頬張り、中瀬さんの後に続いてキッチンへ。
「いえ、私はもうあと歯磨きをするだけで支度終わりますし、任せてください」
「そうは言っても……、朝食まで作ってもらって、それは甘え過ぎじゃ……」
「それを言ったら、私なんて泊まらせていただいてる身なので!」
譲らない姿勢でいると、中瀬さんが困ったように笑った。
「じゃあ……頼むよ」
「はい! 喜んで!」
「ハハ」
爽やかな笑顔を残して、中瀬さんが洗面所に向かう。
その背中を見送ってから、ため息ひとつ。
(まだ一日始まって間もないのに、この充実感どうしたものか……)
このままじゃ仕事に行くのを忘れそうだ。
いや中瀬さんと一緒だからそんな失態は犯さないだろうけど、気持ち的にはそんな感じだ。
そしてこの浮かれ切った姿は、絶対西浦さんや諏訪さんにツッコまれる。
なんとかして職場に着くまでに頭を冷やさなければ。
ぐるぐる考えながら、ささっとお皿を洗う。
洗面所からは中瀬さんが支度をしている音が聞こえてきた。
まるで、同棲してるみたい――……
(いやだから! この浮かれバカ!)
ぶんぶんと頭を振る。
今日だけでこの動作もう何回目よ、と自分でツッコミを入れた。
◇ ◇ ◇ ◇
「菜々ちゃん昨日大立ち回りしたんだって?」
昨日ダウンしていた諏訪さんは、一日で回復したらしく、出勤するや否やニヤニヤ顔でこちらを見てきた。
情報早。
「大立ち回りはしてないですね……」
社会人としてどうかと思うが、突入した後の出来事が衝撃すぎて、事件のことをすっかり忘れていた。
そういえば突入したのは昨日か。
夜と朝にいろいろありすぎて、ずっと遠い昔のことみたいだ。
「拓真さんが褒めてたよ」
「えっ、そうなんですか?」
思いがけない言葉に、西浦さんの方を見る。
苦い顔をした西浦さんと目があった。
「……なんだよ」
否定しないということは事実なのか。
西浦さんが。私を褒めてた。
「……いえ、西浦さんって人を褒めたりするんだなあ、と」
「お前、俺に対して失礼がすぎるぞ」
「ごめんなさい。褒めてくださってありがとうございます」
慌てて頭を下げる。
ちらりと様子を伺うと、満足そうな顔。
……前々から思っていたけど、西浦さんは案外単純である。
「佐々木」
不意に松田さんが手招きして呼んだ。
疑問符を頭に浮かべて近寄ると、松田さんが眼前に手を差し出す。
その手に乗っているのは――……
「あっ! 鍵!」
昨日探しても探しても見つからなかった家の鍵だ。
朝、中瀬さんと出勤してから探したものの見つからず、どうしたものかと頭を悩ませていたところだった。
見つかって良かった……。
でも、なんで松田さんが。
「ごめん、なんか俺のカバンに入ってて。キーホルダーに『NANA』ってあったから、佐々木のだってことはわかったんだけど」
「あっ、昨日カバンひっくり返したときに入っちゃったんですかね……」
すごい確率だが、それしか有り得ない。
兎にも角にも、見つかって良かった。
さすがに二日連続で中瀬さんにお世話になるわけにはいかないし。
「連絡したんだけど、返信なかったから。……昨日大丈夫だったか?」
「えっ、連絡……すみません気づかず」
鍵を受け取りつつ、そういえば昨日はスマホいじる余裕がなかったことを思い出す。
「いや、それはいいよ。ただ、佐々木が帰る場所がなくて困ってんじゃないかって」
「ああ、えっと、それはですね」
馬鹿正直に『中瀬さんの家に泊めさせていただきました!』なんて言えるほど、強い心臓は持ち合わせていない。
「知り合いの家に……? お邪魔しました……?」
「なんで疑問系なんだよ」
会話を聞いてたらしい西浦さんがツッコむ。
やめてください。ツッコまないでください。放っておいてください!
「怪しーなぁ」
相変わらずのチェシャ猫顔がこちらを見た。
やめて! ください!
「佐々木が大丈夫だったなら、いいんだけど」
松田さんが苦笑いして、私の肩を軽く叩く。
……あの二人と比べると本当に良い先輩すぎて涙が出そうになります、松田さん。
訝しげにこっちを見る西浦さんと、良いおもちゃを見つけたような顔をしている諏訪さんは無視をして、自分のデスクに座る。
「おはよう」
と、課長級の会議で席を外していた中瀬さんが戻ってきた。
あと五分で朝礼が始まる時間だ。
五分もあれば、鍵が見つかったことの報告はできる。
「中瀬さん、あの」
「ん、どうした?」
立ち上がって中瀬さんの方へ足を運ぶ。
一瞬、顔がこわばったように見えたのは気のせいだろうか。
「あ……えと、鍵見つかりました」
「そうか……」
戸惑いつつ告げると、中瀬さんにしては珍しい、はっきりとしない返事。
私を見ているようで、どこか違うところを見ているような。
「あの、中瀬さん……?」
おそるおそる声をかける。
中瀬さんはハッとして、改めて私を見た。
その動作で、やっぱり何か別件に意識を向けていたことを察する。
「よかった。これで今日は自宅に帰れるな」
「……はい」
ぺーぺーの新人が上司の思考回路に口出しはできない。
一度頭を下げて、踵を返す。
(なんだろう……胸がざわつく、ような)
嫌な予感だ。
恋愛に関して、ではない。
何か、自分自身に良くないことが起こるのではないか――……そんな予感だ。
◇ ◇ ◇ ◇
「では、事件解決を祝して! 乾杯!」
「かんぱーい!」
「乾杯!」
ガシャンとジョッキの当たる音が響く。
ひょんなことから二課と合同になった飲み会は、二課長の藤岡さんの音頭で始まった。
名目は先日の連続誘拐事件解決祝い、だが。
(二課も関わってたんだっけ……?)
思いつつ、二課の人と交流できる機会は貴重なので、入れ替わり立ち替わり、自由に席を立ったり移動したりして、交流が進んでいく。
何度かビールをお代わりして、話がひと段落したところで、私の相手をしてくれていた河合さんがお手洗いに立ち上がった。
長く美人を見つめてたせいで、不思議な充足感がある。
ふう、と一息つくと、隣に人が座った。
「おつかれー、佐々木ちゃん」
二課長の藤岡さんだ。
直接話すのは、配属時にエレベーター前で会った時以来になる。
一体なにか私に用事だろうか。
わざわざ課長自ら席移動してくれるなんて、恐れ多いにも程がある。
「おつかれさまです、藤岡さん」
疑問符を浮かべる私に藤岡さんが、にこーっと人好きのする笑顔を浮かべて顔を寄せた。
パーソナルスペースが狭いタイプの人だ。
「佐々木ちゃん、中瀬の家泊まったんだろ?」
耳元で囁かれて、飲んでいたビールが危うく口から出そうになる。
「んな、なな、なん……!」
何で知って。
「まー、金魚みたいに顔真っ赤にして口をぱくぱくさせちゃって。かわいいねえ」
「ふ、藤岡さん!」
からかわれてる。
でも、一体何でこの人がそのことを知ってるのか。
一課の誰にもバレてないのに。
「やだな、俺と中瀬の仲だよ?」
「……なるほど」
「なるほど、じゃない。藤岡は佐々木をからかうな」
同期仲が随分いいんだな――と納得しかけたところに、中瀬さんが渋い顔で口を挟んだ。
「うわ、保護者の登場だ」
「誰が保護者だ」
言いつつ、藤岡さんから私を隠すように、私と藤岡さんの間に中瀬さんが割り込んだ。
珍しくやや強引なのは、相手が藤岡さんだからだろう。
やっぱり仲が良い……というのは口にせず心の中に留めておいた。
「ちょっとちょっと。いま、佐々木ちゃんと楽しく飲んでたんだけどー?」
「危ない奴から課員を守るのは普通だろう」
「それ俺のこと? 心外だわー」
会話のテンポから普段からどれだけ言葉を交わしてるかが分かる。
これが中瀬さんの素なのかな。
ちょっとかわいい。
「あっれ、佐々木ちゃん、なーにニヤニヤしてんのかなー?」
「えっ! にやにや、してます?」
「してるしてる。『あーしあわせー』みたいな顔してるよ」
それはまずい。
慌てて頬を引き締める。
「相思相愛でよかったねえ」
「はっ!?」
「……藤岡」
「いや、部下と上司としてよ?」
にっこり笑顔のままで藤岡さんが私と中瀬さんを見比べる。
私から中瀬さんの表情は分からないが、きっと私の顔は真っ赤だ。
「うーん。かわいいね佐々木ちゃん。ウチの課に来ない? 二課、楽しいよ」
「えっ、いや、急に言われましても」
「急じゃないならいいんだ? こっちは桐野もいるし、女性も二人いるから過ごしやすいよー」
あまりの急展開に目が回りそうだ。
い、一体どういう話の流れで。
頬の熱すら冷めない中、なんで答えるべきか悩んでいると、目の前を背中が遮った。
「佐々木を口説くな」
「今日の大和くんこわぁい」
「その呼び方やめろ」
全くそんなこと思ってなさそうな口調で藤岡さんが笑う。
広い背中に庇われて、さらに体が熱い。
藤岡さんからも、中瀬さんからも見えない位置で良かった。
きっと、この顔を見られたら、もう誤魔化しが効かない。
(中瀬さんにだけは、バレちゃいけない)
独身主義を公言してる人だ。
それに、直属の部下――それも新人から好意を告げられて、困らない上司はいないだろう。
顔の熱を隠すために、改めてビールを呷る。
「佐々木、飲みすぎてないか?」
「今回は大丈夫です!」
心配してくれる優しさに胸をときめかせながら、普段と変わらないように笑って見せた。
藤岡さんが見守る視線を向けてきたのは、見なかったふりをする。
ほどなくして河合さんが戻ってきたので、中瀬さんたちに軽く挨拶をしたのち背中を向けて、再び河合さんとの会話に花を咲かせた。
向けた背中がじりじり熱い。
浮かれ切った熱を逃すため、少し飲みすぎたのは言うまでもない。