第三章 六
 その向かいのセージは王族仕様の衣装だ。白い長袖シャツはシュードのそれと同じ形だけれども、襟には同色の細やかなレースが縫い付けられている。クラバットはレースも合わせて三段重ね、ブローチはマーキスカットで仕立てた赤い魔石に細やかな金細工が映える代物である。金糸で刺繍された、裾が太腿の半ばまで伸びてWの字を描くようなデザインのベストは赤を基調としたシックなタータンストライプ柄で、セージの線の細さが強調されている。表が黒の無地、裏がワイン色の地に金のオーナメント柄のコートは脹脛の半ばまでの丈だ。金色の縁取り、胸元の五対の平行な紐飾りと赤みの強いオレンジ色の魔石のボタンが目を引く。袖口は貴族仕様と同じく折り返してあるが、幅は広くてボタンは三つに増えている。シルバーホワイトのズボンは重厚な色合いの中に佇む様の品が良い。暗めの灰色の革のブーツは脚の内側よりも外側の方が丈の長いアシンメトリーなデザインで、履き口と足首に三本の細いベルトが巻いてある。足首のベルトの間と間には金細工の赤やオレンジ色の魔石がいくつも光っていた。総じてシュードの服よりも生地や宝飾品が多く使われており、貴族仕様のそれだって決して安物ではないのに横に並ぶだけで格の違いを見せつける代物だ。それらに祖国を出た時から背負っているリュックサックを合わせても、モノトーンと差し色の赤の色彩のおかげで出で立ちの調和を壊すことはない。獲物の長槍も言わずもがな、だ。
「――ところで、件の貴族というのは……」
 深緑の髪の青年が気になっていた話題を切り出すと、テーブルの向こうの鮮やかな金髪の青年は小首を傾げた。
「ああ、手紙の?」
 ――アルデバラン王国第一王女、つまりセージの姉君からの手紙の内訳は後述の通りだそうだ。服を二人に送った報告。スピカ来訪の目的を達成し次第、直ちに首都の大使館での面会の要求。そして、第二都市ザヴィーヤでアルデバラン王家と懇意の貴族が待機しているから世話になるように、との言いつけの三つの用件と、弟一行を案じる文言。アズール・ブルーなる組織の調査結果や情報は記されておらず、揃って肩を落としてしまったのは二人の秘密だ。
 シュードが尋ねた件の人物とは、自分達が今まさにアルデバラン王国第一王女の勧めを受けて会いに行く途中の貴人のことである。
 聞けば、アルデバラン王国第三王子たるセージはプレアデス王国副大使でもあるが、二、三年前に公務でスピカ王国を訪れたのだそうだ。滞在中に世話になったのが、アルデバラン王家をもてなす役目を仰せつかる貴族の一人、霧の民モーニングミスト族の長ユーフラテスだったらしい。ついでに言うと、北の大国から乗ってきた空船の中でずっと思い出せなかったのがこの貴族の家名と族名とのことである。
「霧の民なら、ミストヴェール族とはいえ重代の王家直属ヒーラーの家――リリィの話が通じるでしょうか」
「そうなんだよ。オレ達だけじゃなくてリリィちゃん達のことも少しは手を貸してもらえねえかなって思ったんだけどさ、……この国の仕組みだとどうなんだろうな。んー、どうやって切り出そうかなー……」
 関所の職員曰く、第二都市ザヴィーヤ・アウルム区南関所の二つ手前の停留所で待っているという霧の民の族長への挨拶の文言を考えつつ、セージはソファーの背もたれに身を預けて瞼を閉じる。端正な白い顔が微かに憂いを湛えているのは見間違いではあるまい。シュードは陰りの理由がスピカの階級制度にある気がしてならなかった。


 四十分程の壁内の旅を終えて停留所に着いたシュードとセージは、壁を出るなり数人の出迎えを受けた。
「またお目にかかれて嬉しゅうございます、セージ殿下」
 心からの喜色と歓迎に満ちた声音でアルデバラン王国第三王子との再会をありがたがる男性が、胸に右手を、腰に左手を当てて深々と頭を下げた。
「北関所までお迎えに上がれず、誠にもって申し訳ございません」
 真っ赤な髪を後ろに流して整え、シュード達とよく似た衣装を纏った三十代半ば程のこの貴人こそ、霧の民が一つモーニングミスト族の長、ユーフラテス伯爵である。二段重ねのクラバットはただのスカーフではなく、霧の民の証たる薄くて透ける布を使っている。後ろにいる老若男女六名は貴族仕様の出で立ちではないので、使用人だろうか。
「どうぞお気になさらず、ユーフラテス伯爵、サラ嬢。ご無沙汰しております」
 伯爵の隣には可憐な少女が佇んでいた。齢は十にはなるまい。赤くて首の半ばまでの長さの髪をツインハーフアップに結って、ドレスと同じ色のボンネットを被っている。淡いピンク色に同色のドット柄が刺繍された総柄のドレスは肩口から袖が大きく膨らんでいて、愛らしさと品の良さを両立する代物だ。豊かで円やかな曲線を描くスカートは膝下丈で、裾の梯子レースとたっぷりのフリルが花弁のように重なって揺れた。首から胸を覆う白い襟もピンタックやフリルの装飾が抜かりなくあしらわれている。ドレスと同じ意匠の梯子レースやフリルが目を引く淡い紫色のケープを纏い、それを止めるクリップの大きな菫色のリボンの中央にはこれまた大きな水色の魔石が光る。ドレスの裾から伸びる華奢な脚は白い靴下とリボンが印象的な赤いパンプスで飾っている。西の大国の衣装のあれこれに疎いシュードの目にも、上流階級の街で伯爵の隣に佇む点を差し引いても尚紛うことなき良家の子女として映った。
「お久しゅうございますわ、セージ殿下」
 サラと呼ばれた少女は恥ずかしそうに、しかし嬉しそうにはにかみ、ドレスの裾を優雅に持ち上げて一礼した。ハーフアップに束ねられた二つの髪束には、遊色効果を示す蛋白色のエレメントストーンをあしらった白いリボンがそれぞれ結んである。薄くて透ける珍しい生地は、やはり霧の民の証だ。色違いの同じ布が少女の両手首、大きな雫型で髪飾りと同じ色の魔石を飾ったブレスレットの両端にて大小のフリルを華やかに形作る。特別な布と高価なドレスで身を飾る幼き貴族令嬢の大きな焦げ茶色の目はリリィにそっくりである。内側に跳ねる髪の癖もリリィ、ついでに言えば道中出会った彼女の叔母にも似通っていて、七つに分かれた血統の確かな流れを思わせた。
 伯爵とサラの焦げ茶色の双眸が、王子の傍らに控えるシュードへと向けられる。
「……その、こちらの方は? 殿下のお友だちですの?」

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