第三章 五
 リコリスが膝に乗せていたリュックサックのストラップを差し出すようにカウンターに向けると、壮年の職員が「失礼します」と断ってから杖を向けた。たちまち浮かび上がった言霊使いの紋章を、職員達は手元の資料と照らし合わせる。ストラップとお揃いの、青紫色の円筒形のエレメントストーンの両端に金の縁取り、中央に四枚の金の菱形を並べた二対の髪飾りもまた、全く同じ模様を作り出した。紋章を見定める二つの双眸は光るようであったが、その鋭さがやがて影も形もなくなった。
「はい、大丈夫ですよ。あなたもアルゲントゥムですね。これで終了です。お二人の入国を許可します」
 にこやかな職員の承認に、少女達は張り詰めていた何かを呼気に乗せて吐き出した。言霊使いの反応も心からのものに見えるが、霧の民の少女の様は心からの安堵を体で表す際のお手本のようであった。両手を胸に当てて上半身を折り、眉は八の字で、目元と口元は情けなくも思える程にくしゃりと歪んで脱力している。審査官達が幼子を見守る父兄や年長者のごとき微笑みを浮かべているけれども、西の大国を初めて訪れた未成年者と思しき二人が入国審査を乗り越えて嘆息しつつ喜んでいれば相好を崩したくもなるだろう。
「そうそう、スピカにいらしたのが初めてならお伝えしておきましょう」
 若い職員が親心にも似た笑みを浮かべたままで書類や本を片付けながら話を切り出してきた。何事かと首を傾げるリコリス達の前で、カウンターに今度は大きめの紙を乗せる。地図だ。
「この国の各都市の出入りは全て北と南の関所に限られています。関所で各階級に分かれた後にそれぞれの区に入るんですが……」
 リリィもやって来てリコリスの後ろから第二都市ザヴィーヤ・アルゲントゥム区の地図を覗き込んだところで、職員の指が街の北側の壁の中央に位置する関所から都市を分断する壁へと滑った。
「この壁の中を空船に乗って移動していただきます」
 スピカ王国にある十五の都市は全て高い外壁で覆われており、内部はさらに二つの壁で三つに分けられている。その分厚い壁の中は空洞で、地下も含めて十階建てのトンネル状のそこを公共交通機関として利用しているのだ。時に貨物輸送も担う乗り合いの空船は路線の何箇所かで停まりつつ、街の南北を一日に何度も往復する。職員の説明はこの八日間で聞いたシュードやセージの話とも、リコリス達が教師に習った内容とも合致している。そこまではよかった。
「こちらで切符を発行します。どちらの停留所で降りられますか」
 地図の隣に料金表を並べられて、少女達はどちらからともなく顔を見合わせる。自分達は明日の正午にここザヴィーヤを発って隣の第七都市ザニアへ向かわねばならない。約一日をこの街で過ごすのはいいけれども、服屋と仲介ギルド以外には特に行く当てもないし、あまり旅費を嵩ませたくないのだ。当たり前だけれども、南に行けば行く程壁内を渡る空船の料金は高くなっている。ギルドで依頼をこなせば多少の収入は見込めるとはいえ、今のリコリス達に達成できる内容がある保証などない。
 仕方がないのでリコリスが正直に明日の予定を打ち明けつつ相談すると、壮年の職員が少し考え込んでから「あくまで一つの案ですが」と前置きしつつ、こんな提案をしてきた。
「この関所の隣の停留所で降りるのはどうでしょうか」
 根拠はこの街、というよりもアズール各国の港町の特徴である。港付近には出入国者や旅人向けの店が多く、物資を買い揃えるのに適している。宿だって住宅街よりも余程多く建っているのに加えて、関所から最も近いということは最安値で街に入れるのだ。一度利用した場所となるから港へ戻り第七都市へ飛ぶ便に乗る際に迷うリスクも減らせるおまけ付きの妙案に、空色の髪の少女がしばしの思案の後に頷く。
 リコリスとリリィは職員達に二人分の船代を支払い、代わりに切符とついでに第二都市の地図を受け取って、礼を述べつつ審査室を後にした。


 リコリス達が扉を閉めた直後、職員達が何か言いたげに視線を交わす。
「あの子達、もしかしてアルデバランのセージ殿下のお連れ様?」
「名前は一致していますね。ああ、プレアデス王家直属ヒーラーの霧の民と言霊使い、ということは……そうですね、そうだと思いますよ」
 若い職員が少女達の特徴を挙げて頷いた。壮年男性にはもう一つ気になることがあるらしく、顎に手をやって何やら記憶を辿っている。
「あの子、どこかのギルドが捜している子じゃないか?」
「言われてみれば……どこのギルドでしたっけ」
 二人して件のギルドを思い出そうとしていたが、年長者が早々に諦めてしまった。苦笑いを浮かべるその顔も、続いて部下に頼み事をする声音も、実に優しい。
「調べて、そのギルドに連絡してあげてくれないか」
 二人の審査官は、ただ善意に満ち溢れていた。己の気付きが彼女かギルドのどちらか、あるいは両者の為になるのだと信じて疑わない、ただの親切な人であった。


 一方、シュード達は壁の中を空船で移動していた。小型の空船が八つ連なったような公共交通機関の一室にて、四人掛けのベルベットのソファーにそれぞれゆったりと腰かけている。十畳程のこの客室もまたシャンデリアやら絨毯やら絵画といった上質な品々で構成されていて、移り行く景色が楽しめない代わりに到着までの十数分から一時間強を寛げる仕様である。
 着替えを済ませた貴族のシュードは、襟付きの白い長袖シャツに裾の刺繍がアクセントとなった千鳥格子柄のベストを重ねている。その上のコートの丈は身頃の前が胴の半ばまで、脇から曲線を描いて背面の先端が太腿の半ばまである。袖は太すぎず細すぎず、折り返しには二つの金色のボタンが煌めく。表地は千歳緑色の無地、裏地は緑のチェック柄で、千草色の縁取りや胸元の三対の平行な金の紐飾りとボタンが印象的だ。胸元には二段重ねのクラバットを締めて、そこにエメラルドカットで藍色の魔石があしらわれたブローチを飾った。程よい動きやすさと美しいラインを両立する消炭色のズボンはシンプルながら上質な生地だ。黒い革のブーツは足首に太めのベルトが巻かれ、筒の前面に大きく入れられた切り込みにベルトと魔石を飾ったデザインであった。腰の鞄と剣を携える為のベルトはベストの上に着用している。

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