本日のお召し物〜シュードのプレアデス式普段着、近衛騎士仕立て〜 三
「私の袴のことですが」
「きゃっ!?」
「わっ!?」
 体が火照っている時に背後を取られて首筋に氷を当てられたようだった。プレアデスの近衛騎士が特段冷たいのではなく、プレアデス王家直属ヒーラーとアルデバラン王国第三王子が熱くなっていただけの筈だが、この飛び上がらんばかりの大仰な反応も前回と変わらない。
 リリィが思わず悲鳴を上げた口を両手で押さえる前で、セージが取り繕うように再度シュードに問いかけた。
「ええっと……シュード、お前の袴は何でそうなってるんだ?」
 すると、真顔のシュードからこんな答えが返ってくる。
「襞は取れやすい故、常日頃の動作による皺の影響を受けにくい側面にのみある物を穿いております」
「ちょ、おま……初日だからって、そんな言い方……」
 敬語を直す気が全く感じられない滑らかな物言いに、セージは傷付いたようでさえあった。呆気にとられて口をぽかんと開き、目を見張るその様は、呆れているのか悲しんでいるのか。だが、その様子が本心なのか大仰な仕草なのかは判別しかねる。そこに、顔の熱と眉を下げたリリィが仲裁に入った。
「ま、まあまあ……。えっとですね、襞がある袴はお高いんですよ。手間がかかるんですって。しかも、ちゃんとお手入れしないと折り目がなくなっちゃうんですよ。だから、町の人達のとか作業用の男袴は襞がないのばっかりなんです。女袴はそんなことないんですけど」
「……襞が細く、多い程……袴の格が高いのです。城で働く者としての……身嗜み、と……言えばよいのでしょうか……」
 つまり、近衛騎士の勤めを果たす為の実用性と王家に仕える者としての品格を両立させる為にこのデザインを選んでいるのだ。シュード曰く、これは暗黙の了解で、近衛騎士は一部分にのみ襞を刻んだ男袴を穿くらしい。
「仰る通りにございます」
 リリィの説明を補足する形で何とか会話に参加できたナスタを受け止めるように、シュードが首肯した。それに続いて、リリィも「そうなんですよ〜」とうんうんと頷く。
「マジか、初耳だぜ。見栄え、ねえ……」
 セージは隣国の衣服のあれこれに心底感心していたが、台詞の後半はどういう訳か声の調子が変わった。品定めするような声音と共に、何かを見透かそうとする視線をシュードに投げかける。睫毛の長い明るい茶色の目の奥のものを、敏いシュードは見つけてしまった。
(まさか、セージ殿下は俺の出自をお気付きに……)
 プレアデス城で他の者から向けられたものと比べれば、セージのそれには悪意がないように思えた。だが――
「そういえば、シュウって緑をよく着てるよね。どうして?」
 そこに、リリィの質問が飛び込んできた。さらに、ナスタの声が加わる。
「そう……ですね。そなたの衣は……緑色が多いように、思います……シュード」
 彼女達にどんな意図があったのか、あるいは何もなかったかもしれないが、今のシュードにとって助け舟であることに間違いはなかった。セージが再び口を開く前に乗ってしまおうと、シュードは先手を取った。
「緑色、と申しますと……今着用している、単のことにございますか?」
 ――単とは「単衣」とも書き、裏地がなく主に上半身に纏う着物のことだ。この世界での単には男女の違いはなく、また丈も腰から膝までのものが一般的で、庶民から王族貴族まで全ての民が普段から着用していた。特に庶民は夏服として小袖の上に一枚だけ、寒い時には数枚重ねて着ている。
 シュードの単は千歳緑(ちとせみどり)と呼ばれる、常緑樹で長寿の縁起の良い松の葉にちなんだ暗く濃い緑色であった。
「シュウってば、緑が好きなの?」
「いや、特にそういう訳では……」
 妙に歯切れの悪い深緑の髪の騎士に、三人は首を捻った。賢く物事の説明が上手な彼に、何か言いにくいことでもあるのだろうか。
「もしかして、何となく着てるだけ?」
 理由がないから言えないのではないか、と尋ねたリリィに、シュードは「……そうだな」とだけ返した。
 言える訳がなかったのだ。近衛騎士見習いになったばかりの頃、故あって出会ったナスタに「……綺麗な緑色、ですね。……よく……お似合いですよ」と言われたのが嬉しかったから、だなんて。そういえば、姫君が褒めてくれたのも、この千歳緑であった。それに気付いてしまうと、今にも顔に紅葉が散りそうだ。
 リリィは素直に納得したようだが、表情の乏しいナスタの考えていることは相変わらず分からなかった。セージは何かを悟ってしまったのか、にやついた彼の視線がやけに痛い。すると、彼はシュードの首元に目を留めた。
「ん? よく見たら、襟のとこだけ何か違くね?」
「そうそう、そうなんですよ〜!」
 金髪の王子の疑問に、件の単を着ている本人ではなく明るい茶髪の少女のとても嬉しそうな声が答えた。待ってました、と言わんばかりに声が高くなる。
「あたし達、単の襟でお洒落するんです! ここだけ可愛い模様の布とか、素敵な刺繍のとか使うんです。襟ってすぐに汚れちゃうしぼろぼろになっちゃうから、そういう意味でもここだけ取り替えてるんですよ!」
 やたらと熱弁するリリィの声に押されてよくよく見れば、なるほどシュードの単の襟は籠目と呼ばれる六角形の格子状の模様であった。二色で織られているのだが、それが似たような緑色同士で目を凝らさなければ色の違いが分からない。身頃や袖はシャドーストライプと言うのだろうか、光の加減次第で縞模様が浮き上がって見える。
「せっかくのお洒落なら、もっと分かりやすくてもいいんじゃね?」
「それがですね〜、さりげないのもお洒落なんですよ」
 幼馴染のヒーラーに不意討ちで「お洒落」だと褒められたシュードは、思わず息を呑んで頬をほんのり赤くしてしまった。だが、セージはリリィの話に夢中で、当人はこちらを見ておらず、幸いにも気付かれることはなかった。ナスタはどうだったのだろうか――近衛騎士が主を垣間見る前に、隣国の王子の弾んだ声がした。
「へえ、面白いなー! なあなあ、次はナスタの服のこと教えてくれよ――」


 空の旅は、まだまだ始まったばかりだ。


本日のお召し物〜シュードのプレアデス式普段着、近衛騎士仕立て〜 完


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