トランプ遊戯〜始まりの空〜 一
 天空に浮かぶ島々に命と魔術が息づく世界、アズール。
 小国プレアデスの近衛騎士シュード、王女ナスタ、王家直属ヒーラーのリリィ、隣国アルデバランの王子セージがとある使命を帯びて乗った空船の客室で、その遊戯は始まった。


「……あれ? これって、トランプ――」
 シュードの幼馴染でもある明るい茶髪の少女、リリィが声を上げた。彼女は茶を淹れる為に黒い漆塗りの棚の引き戸を開けたところであった。
「ん? トランプ?」
 反応したのは、プレアデス王国の西に聖なる島を挟んで隣り合うアルデバラン王国の若き第三王子セージである。故あってシュード達の旅に同行する彼は、華やかな金の巻き毛を揺らして首を傾けた。
「はい。これなんですけど、どうしてこんなとこに……?」
 ぱたぱたと戻ってきたリリィは、六畳の客室の半分以上に敷かれた畳の中央に陣取る低い円卓を囲む三人に件の物を見せた。藍色にスペード、ハート、ダイヤ、クローバーのマークが浮かび上がる和紙を貼った厚紙の小さな箱だ。リリィが蓋を外すと、そこには白地に藍色と金色の七宝繋ぎと花菱を組み合わせた柄の角が少し丸くなったカードが納まっている。滑らかな手触りのそれを一枚取って裏返せば、赤いハートが中央に一つ、さらに小さいものがアルファベットのAの文字と共にカードの対角線上に一つずつ描かれていた。どう見てもトランプのハートのエース、もしくは一のカードである。
「トランプ、ですね」
「トランプだよな」
「トランプですよね?」
「……トランプ……のようですね」
 シュード、セージ、リリィが呟いたのに、シュードの主たるプレアデス王国第一王女のナスタが続いた。もう一枚捲ってみると、中央のハートが一つ増えてAの文字が数字の二に置き換わっていた。紛うことなきハートの二のカードである。
「ベテルギウス共和国の港町アルバレアまで七日です。道中、皆様がお楽しみいただけますようにとのことではないかと推察します」
「おいこらシュード、その口の利き方やめろよな」
 丁寧で硬く、二人の王族への敬意を明確に表す口調にもかかわらず、畏敬の念を受け取る一人のセージがシュードの話し方を咎めた。近衛騎士が「皆様」と言いながらも暗に示した心遣いの真の対象の片方たる彼が唇を尖らせるのには訳がある。目的地の北の大国にはアルデバラン王国第三王子の訪問を告げていないのだ。ナスタに至っては諸事情で存在すら公になっていない秘匿の姫君であり、第三者に正体を知られたら確実に面倒事になる。この忍びの旅では、些細なことから素性を推し量られるのも不都合なのだ。同年代の若者同士の会話に最上級の敬語が混じっていれば、不審がられるかもしれない。噂話が回りに回ってシュード達が捜す人物並びにその周辺の耳にでも入ってしまえば、隠密行動の意味もなくなってしまう。故に、セージが敬語と敬称の不使用を提案したのだ。
 シュードは然るべき相手に相応しい言葉遣いを用いることを叱られる理不尽に頭を抱えたくなったが、それでも注意される理由に反論する余地がない。謝罪にまでも頬を膨らませられそうだと直感した彼は、ただ押し黙ってしまった。それを見たセージは「しゃあねえな」と苦笑いしながら小さく息を吐き、シュードの推測を肯定する。
「さすがに喋るだけじゃ七日も持たねえだろうし。オレが空船で行き来する時もトランプは絶対あるもん」
 このアズール全土で通じる遊びの一つがトランプゲームであった。遊び方がいくつもあるのに使うのは一組のカードだけという手軽さから、庶民から王族貴族まで基本的なルールが浸透している。客船や宿には必ずと言っていい程何組ものトランプが置いてあり、意気投合した初対面の者同士が興じる姿、善悪問わず何かしらの思惑を抱いた誰かが通りすがりの人を誘う光景も珍しくなかった。
「おし、じゃあ、ババ抜きやるか!」
 スペード、ハート、ダイヤ、クローバーの一から十三までのカードに一枚のジョーカーを加えた計五十三枚のカードを参加者全員に均等に配り、同じ数字同士で成立するペアを手札から除外して、他者からカードを引いては引かれ、ペアを作っては手持ちから出して、それを繰り返しては手札がなくなる速さを競う遊びをしよう――そう提案したセージの顔は、やけに輝いていた。鼻筋の通った白く端正な顔の中で生き生きと光る明るい茶色の目は橙褐色のトパーズのようだ。その眩しい笑顔に、リリィの顔がぽっと赤く染まった。それを知ってか知らずか、彼はミッドナイトブルーの髪の姫君が控えめに頷いたのを認めると、明るい茶髪のヒーラーの少女の手からトランプを当然のように取り上げてカードをシャッフルし始める。深緑の髪の騎士が慌てて代わろうと申し出たものの、「いいっていいって、オレ、結構得意なんだぜ」と満面の笑みで返されてしまう。何より、細身の白い手が魅せるカード捌きの鮮やかさを前に、シュードは引き下がるより他なかった。
 そうこうしている内にカードが四人に配られ、各々が手札を確認してペアを円卓に出していく。セージが八枚、リリィが九枚、ナスタが七枚、そしてシュードは十一枚が手元に残った。
「あれっ、シュウが一番多いの」
「……私の手札が……最も少ないようですね」
 リリィとナスタが各自の手札の数に言及すると、現状はナスタに次いで優勢なセージがどこか挑発的に口角を上げる。
「まあ、やってみないと分かんねえぜ?」
「左様にござ……そうです、ね」
 普段通りの真顔でセージに同意したシュードであったが、内心では眉を顰めていた。残り枚数の多さは突出しているし、ジョーカーだって己の元に潜んでいるのだ。絵に描いたような劣勢である。
(……いや、ただのババ抜きだ。負けた所でどうにかなる訳ではないし、この手の戦局は読めないものだ)
 シュードはトランプゲームを何とも思っていないような顔の裏で、勝負の前から既に敗北の言い訳とも受け取られかねない文言を己に言い聞かせていた。三人がシュードの腹の中を悟ることなど勿論なく、一行はセージの主導の元にカードを引く順番を決める。今回はナスタから始まり、彼女が左隣のリリィのカードを、セージが左隣のナスタのを、シュードが左隣のセージのを、リリィが左隣のシュードのを取ることとなった。
「よっしゃ、じゃあ始めるぜ」
 こうして、一行が初めて興じるトランプ遊戯が始まった。

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