17
夕方の兵団内は恐ろしい程、静かだった。
ところどころに点在している小窓から夕日が差し込み、オレンジ色が廊下に広がっている。
私は小走りでリヴァイさんのいる執務室に向かっていた。
普段、そんなに急ぎ足で歩くことがないせいか、心臓がどきどきと脈打つ。
でもそれは肉体的な理由だけではない。
リヴァイさんに話をしなきゃという、はやる気持ちもあって緊張感からの胸の高鳴りも否めない。
何も答えてもらえなくてもいい。
目を逸らされたっていい。
ただ話だけは、想いだけは聞いてもらいたい。
そう思うと小走りだった足がだんだんとスピードを上げていく。
もはや走っていた。
たまにすれ違う兵士からしてみたら、ただの資料室の女が血相を変えて走っている姿は異様だったみたいで、目を丸くしていたのを横切る寸前視界に入った。
あっという間にリヴァイさんの執務室の重厚な扉が目の前に。
息を整える間もなく、扉をノックしようと右手で拳を作ったら、思いがけずそれが思い切り開かれた。
小さな悲鳴が口から漏れ、ぶつかると思って身体を縮こませる。
「……悪い………ダリア……?」
久しぶりに見るリヴァイさんの顔は若干やつれているように見えた。
さっきすれ違った兵士に負けないくらい目を見開いているリヴァイさんに苦笑してしまう。
「…リヴァイさん…あの…話が…あって……」
息がまだ上がっている私は途切れ途切れ言葉を吐き出す。
「ちょっと落ち着け。……ちょうど俺もお前のところに向かうところだった。話は…ここでいいか?」
もちろんです、と頷くとリヴァイさんは部屋に通してくれた。
そのままソファに座るよう目配せされ、すとんと腰を下ろす。
リヴァイさんは当然、ローテーブルを挟んで向かい合う場所に座ったけれど、私はそれが嫌だった。
たった1つのテーブルでさえも気持ちを伝えるための障害になるような気がしたから。
少しでもリヴァイさんとの距離は近い方がいい。
「リヴァイさん…そこではなくて、ここ…私の隣りに座ってくれませんか?」
一瞬躊躇の色を顔に浮かべたリヴァイさんだったけれど、私が望むなら、と隣りに座り直してくれた。
それを見届けた私はひとつだけ大きな深呼吸をして、リヴァイさんに身体の正面を向け、あの…と会話の口火を切った。
「ここに来るまで色々考えたんです。それで…あれもこれもリヴァイさんに話そうと思ったのですが、いざご本人を目の前にすると言葉が…引っ込みますね」
心の中で想いが溢れて、既に涙が出そうになる。
けれどリヴァイさんはそんな私を黙って見つめていた。
私はさっきまでの勇気が逃げないようにぎゅっと膝の上で拳を握り締め捕まえておく。
「リヴァイさん…質問めいたことも私、言うかもしれないです。でも何も答えてくれなくていいです。……聞くだけ聞いてください」
「いや、訊かれたことにはちゃんと答えるつもりだ、ダリア」
「わかりました…では単刀直入に訊くことにします。…これまでリヴァイさんが私にくれた言葉とか見せてくれたものの中に嘘はあったのでしょうか」
リヴァイさんの瞳に強さを感じて、思いっきり直球の言葉を投げ掛けた。
このことが1番私が知りたかった。
どんな答えが返ってきても、私はもう逃げない覚悟を決める。
「隠していたことはあった。だが、お前に対して言ったこと、してきたことに嘘偽りは断じてない。それにこれからもだ」
私が1番欲しかった答えだった。
それだけで私は何かに満たされていく。
とうとう我慢していた想いが涙となって溢れた。
「リヴァイさんが隠していたことを知った時はとても…悲しかったです。…でも、それを暴こうとしたり…責めたりするつもりはありません…。私に嘘がなかっただけで…救われます…」
「…俺が隠してきたことが引き金となってお前を傷付けた。謝って許してもらえるとは思ってねぇ」
リヴァイさんは下を向いて悔しそうに眉を歪め、拳をきつく握り締める。
私はそんなリヴァイさんを見てやりきれない気持ちになると同時に、あることを悟ってしまった。
この人は十分罰を受けたんじゃないか、ということを。
そっとリヴァイさんの拳に手を乗せて、顔を覗き込む。
というより私の顔を見せたかった。
「リヴァイさん…あの朝、あなたがしたことは許されることではないです。でも…それをさせた原因は私にもあるんです…だから…」
もう泣かないで。
リヴァイさんはきっときっとたくさん後悔と罪の意識の渦に飲み込まれて、心の中でたくさん泣いたはず。
私も同じ。たくさん泣きました。
「ダリア……本当にすまなかった…」
私の手のひらの下で、更に強く強くリヴァイさんは拳を握る。
自惚れかもしれないけれど、リヴァイさんは私を抱き締めたがっているように感じた。
でも、きっとリヴァイさんにはそれができないはず。
だから私は、後悔と罪を握っているリヴァイさんの拳を自分の手のひらで優しく広げ、それらを解放してあげた。
そしてそのままリヴァイさんの広げられた手のひらをそっと自分の涙が伝う頬に当てる。
「リヴァイさん…私…愚かかもしれないですけど…時間を巻き戻したいです…この関係に終止符を打つって…仰ってくれたその瞬間に」
戻りたい。
戻って自分が想像していたとおりリヴァイさんの暖かな胸に飛び込みたい。
「愚かなんかじゃねぇ。お前が…ダリアが…それを望むなら…何度だって戻してやる」
「…リヴァイさん……!」
私は涙でぐちゃぐちゃになった顔をリヴァイさんの胸に押し付けた。
すると、これまでにないくらい強くて優しい力を込めてリヴァイさんが抱き締めてくれた。
どくん、どくん、と少しだけ早くリヴァイさんの心臓の音が伝わる。
このまま何も言わずリヴァイさんの鼓動を聞いていたかったけれど、これだけは伝えなきゃと顔を上げた。
「…あなたのことが…好きです……ずっとずっとリヴァイさんの生きているこの音を…聞いていたいです…」
再び私はリヴァイさんの腕に閉じ込められた。
「…ダリア……好きだ…。お前の賢明なところ…真っ直ぐに前を向く姿……清らかな心…どれも俺の心を掴んで離さねぇ。もっと早くにこうしたかった…」
それからは何も言わず、ずっとお互いの想いを噛み締めるように抱き締め合った。
静かに、静かにこの世界に私とリヴァイさん2人しか存在しないかのように。
どれだけ時間が経ったのだろう。
永遠にこのままでもいいと思ってしまったけれど、さすがにそうもいかない。
どこまでも現実的な私にリヴァイさんが笑ったせいで恥ずかしくなったけれど、お前らしい、の一言につい嬉しくなってしまう。
身体を離し、それでも至近距離でお互いの額をくっ付けて柔らかな笑みを私は浮かべた。
すっかり私の頬の涙は乾き、リヴァイさんもどこか憑き物が取れたような顔をしていた。
「そろそろ戻ります。資料室、片付けないまま出てきてしまったので」
「そうしろ。俺も見てのとおり、机があの有様だ」
「…酷い状態ですね。人のこと言えませんけど」
そう言っていても、まだ離れられない私たち。
名残惜しいとはこのことを言うんだろう。
「行かなきゃ…でも最後に我儘言ってみてもいいでしょうか」
「なんだ。言うだけ言ってみろ」
額を離し、照れながらも真っ直ぐリヴァイさんを見つめて囁いた。
キスしてください。
小さな小さな声で囁いた。
途端にリヴァイさんは強い力を働かせて、私を引き寄せた。
「…この距離感、すごく好きなんです」
「病みつきにしてやるよ」
触れるだけのキスが降ってきた。
目を閉じて、その優しいキスを通して自分の想いが更に伝わるといいと願う。
唇が離され、リヴァイさんがまた抱き締めてくれる。
「…このままだとどうにかなっちまいそうだ。…この後腕離したら、ダリア、立ち上がって資料室に戻れ」
「…わかりました。今日のところはこれで失礼します」
リヴァイさんが私を大事に扱おうとしてくれてることが嬉しいのと同時に、遠慮されていることを寂しくも感じた。
だから私は…。
「リヴァイさん…私に触れることを怖がらないでください。はしたないかもしれませんが、私だって好きな人に触れられることを望んでますから」
「…オイオイ勘弁してくれ…ダリア。お前の気持ちはわかったし、その時が来たら遠慮なくそうさせてもらう。…が、今は俺の理性を崩してくれるな」
腕が離れたことを合図に私は言われたとおり立ち上がった。
項垂れるリヴァイさんなんて初めて見たけれど、妙に可笑しかった。
笑うな、と舌打ちして私を睨むリヴァイさん。
「やっぱりリヴァイさんはそうでなくちゃ」
「言ってろ。…………ありがとうな、ダリア」
いいえ、私こそ、と返事を返して後ろ髪を引かれつつ執務室を退室した。
向かう先は資料室。
すべてが救われた私は、軽い足取りでそこへ向かった。
それからしばらくが経った今。
今日もいつも通りの執務。
資料室の静かな空間で資料の修繕にあたっていたら、バタンッとこの部屋に似つかわしくない音を立てて扉が開かれた。
「あー!やっぱりここにいた!もう!早く書類出せって催促したのリヴァイだよねぇ!?」
「…うるせぇなクソメガネ。静かにできねぇ奴はここに来るな」
今ではここでのこんなやり取りを見ることが当たり前になっていた。
リヴァイさんは激務の間を縫って、資料室に足を運び、私との時間を大切にしてくれている。
ふふっと2人を笑うとハンジのご立腹の矛先が私に向いてきた。
「ダリア〜!君知ってる?兵団内でこんなこと言われてるよ?」
“リヴァイ兵長を探したきゃまずは資料室に行け”
「知ってました?リヴァイさん?私は初耳ですけど」
さあな、と照れ臭そうに視線を外したリヴァイさんは、私の隣りから席を立つ。
席から離れ際にポンと頭上に置かれたリヴァイさんの手が今日も暖かかった。
2人が退室し再び訪れた静寂の中で、止めていた作業を再開するのだった。
*おわり*
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