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あの朝を境に私とリヴァイさんを繋ぐ糸がぷつりと切れてしまったように全くの他人になった。
元々、兵士長とただの資料室の管理者という立場の違いから、そう接点は多くなかった。
これまで築いた関係も総崩れになってしまった今は、よっぽどの理由がない限り顔を合わせることはない。

あんなことがあったんだ。
リヴァイさんがやったことは人としても女としても決して許せるものではない。
なのにその行為よりも最後に見たリヴァイさんの顔の方が脳裏に焼き付いて離れない。
あの哀しみに満ちた瞳を思い出すと、何を思ってあんなことをしたのか考えずにはいられなかった。
その答えは私ひとりがどんなに考えあぐねても知り得ることはないのは重々わかっていた。
だからと言って馬鹿正直に何故?と直接リヴァイさんに訊ける程の勇気も強さも持ち合わせていなかった。
でもあのリヴァイさんの瞳が忘れられずにいる。

堂々巡りの思考にモヤモヤとした気持ちが積み重なり、無意識のうちに溜め息を吐く回数が増えていった。

今日もぼんやりとした頭で、エルヴィン団長に頼まれた書類を仕上げるために、資料室のカウンターで文字の羅列を眺めていた。
あともう一息だというのに思うように言葉を綴れない自分にうんざりしていた時だった。

調査兵団の兵士達が壁外から戻った次の日あたりから、だいたいこの時間、日中の訓練が終わって夕方に差し掛かった頃にほぼ毎日ここを訪れている若い女性兵士が今日も姿を現した。

最初こそは気にも留めていなかったけれど、彼女はここに来て資料に手を伸ばすでもなく、ただ片隅に置かれた椅子を窓際に移動させて物思いに耽るようにぼんやりと外を眺めているだけだったし、それが今に至るまでずっとそれを毎日繰り返していたから、だんだんと気になるようになっていた。

いつもだったらその様子を時々視界に入れる程度だったけど、今日は違った。
なぜなら資料室に入るなり、いつもの定位置に向かうでもなく、彼女から私に声を掛けてきたから。

「あの…毎日…すみませんでした。相当怪しいし目障りですよね、私。今日で最後にしますんで」

「いえ、お気になさらず。どうしたのかな、とは思いましたけれど」

「ありがとう…この場所は大切だった人との思い出が詰まった場所だったんです」

彼女のこの言葉と、今にも泣き出しそうな顔を見て、私は察してしまった。
きっとその大切な人はもう……。

「そうだったんですね……良かったら奥でお茶でも飲みませんか?」

普段の私だったら他人の個人的なことにあまり干渉すべきではないと判断するけれど、自分自身も不安定な気持ちを抱えていたから彼女の気持ちにシンクロしてしまい、放っておくことができなかった。

私の申し出に、はい、と一つ返事をした彼女を奥の事務室に案内し、早速暖かな紅茶を淹れて机に置く。
向かい合う形で座った私は気の利いた言葉が見つからず、会話を切り出すことができなくて、間を持たせるために紅茶の入ったカップに口を付けた。

「…おいしい……。心が落ち着きますね。こんな気持ちになるのは壁外調査から帰還して初めてです。本当にありがとう」

壁外調査の過酷さを知らない私は何と返事をしていいかわからず、黙って彼女からの感謝の気持ちを受け取る。

「さっき話した大切な人は、この前の壁外調査で死んでしまいました…」

「お辛いですね…」

「はい…悲しいです。でもそれだけじゃないんです」

彼女は淡々と話を続けた。
亡くなった男性は入団当初からの仲間のひとりで、ともに支え合ってこれまで闘い続けていたこと。
自分の気持ちを蔑ろにしてきたせいで、彼への想いが特別なものだと気付いたときには、本人がもうこの世から去ってしまっていたこと。

「…どうして素直になって自分の気持ちと向き合わなかったんだろう……もっと早く自分の気持ちに気づいていれば……っていう後悔ばかりです」

カップを握り締め目を伏せた彼女は、私の位置からは見えなかったけれどきっと泣いているのだろう。

「怖かったんです…自分と向き合うことが…」

「それは…私も同じかも…いえ、同じです」

「あなたも?それなら私みたいに後悔のないようにしてもらいたいです。私もこれからの長いか短いかわからない人生ですが同じ過ちは繰り返さないつもりです」

顔を上げた彼女の頬には涙が伝っていた。
けれどこれまで見た中で1番美しい顔をしていたと思う。

お茶を飲み終わって、ありがとう、と彼女は一言置いていった。
ひとり事務室に取り残された私。
机にうつ伏せてぐちゃぐちゃになっていた頭の中に響いた彼女の言葉を反芻させる。

後悔のない人生。
どれだけの人間がそう言えるものを送れるんだろう。
私はどっち?

自分に向き合う勇気。
今の私に絶対的に足りないもの。
私は持てるの?

前にリヴァイさんの口から聞いた「生きて帰って来れたら」という悲しい仮定を思い出す。
同時に私を見つめるリヴァイさんの視線も思い出す。
時には熱く、時には冷たく、そして哀しい瞳。
その中に嘘はあったのだろうか。

リヴァイさんの考え、気持ちは私にはわからない。
それは仕方のないこと。
でも自分の気持ちは?
全部リヴァイさんに責任を押し付けて、自分の気持ちに蓋をして見て見ぬふりでいいのだろうか。

このまま今後の壁外調査でもしもリヴァイさんの悲しい仮定が悪い形で結果が出てしまったら。
私に後悔は残らないのだろうか。

うつ伏せたまま自問自答を繰り返す。
このままでいいのか、と。
もちろん返事なんて返ってこない。
けれど、私が一歩を踏み出さない限り、何も変わらない気がした。
きっとリヴァイさんは呵責の念に打ちひしがれているはず。
これまでの彼を見てきたから、それだけは確信が持てたから。

変わりたい。
自分自身の在り方。
リヴァイさんとの関係。
その両方を変えるのは今しかないと思った。

私はうつ伏せた顔を持ち上げて、気持ちが萎まないうちに大きな一歩を踏み出す決意をし、資料室を後にした。



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