目の前の大画面では、重大な謎を紐解く鍵が見えたところだった。
前日からの準備もばっちり。映画の前に腹一杯ご飯を食べたわけでもない。それでもナマエは映画に集中できなかった。しかも、ミステリーで。
気を散らす原因となる右手を、本能のまま引っ叩くこともできたが、それをしなかったのは自分のことを想ってくれている男が愛おしいからである。

今、映画の謎よりも頭を悩ませているのは、右手に優しく触れる恋人だ。
優しくと言ってもそっと握るだけではない。指の間、つまり水かきの部分。そこをライアンは己の指で撫でているのだ。

実のところ、これが初めてではなかった。何度かデートを重ねるうちに、この"いやらしい"手つきがライアンのクセだということが分かった。
最初のころこそお誘いかと思いその気になったものだが、ライアンは存外遠回りな行動をする男ではない。むしろ直球すぎてその気になる前に服を剥がれるということも多かった。ナマエもナマエで、ライアンがこちらの事情を察して雰囲気を作ってくる男ではないことは承知だったため、揉めることなく今に至るわけだが。

とにかく、ライアンは所構わず、水かきを撫でてくるのだ。

楽しみにしていたミステリー映画は、一体何が起こっているのか。登場人物と、おそらく隣のライアンだけが理解しているのだろう。ナマエは全く話が頭に入らないままスタッフロールを眺める羽目になった。

「結構面白かったね。歴史と絵画が組み合わさった謎にワクワクしたよ」

すんでのところで「そんな話だったんだ」と言いそうになったが、やめた。代わりに同意の言葉を口にする。あとはこの俳優が良かっただとか、音楽が良かっただとか、当たり障りのない感想を伝えた。
ライアンは席を立つ瞬間から、ナマエに触れるのをやめた。こういうところもナマエを混乱させるひとつだった。
付き合い始めてからしばらく経つが、ライアンの手の真意を、ナマエは知ることがない。
結局この日も、2人は同じアパートに帰り、隣同士の部屋へそれぞれ戻る。


デートが終わった後もナマエは頭を悩ませた。本人に聞いた方がいいだろうか。実際デートに集中できてないわけだし、このまま1人で悩んで喧嘩の種になっても困る。
試しに自分の水かきを撫でてみたが、何が楽しいのか分からず仕舞いだ。

次のデートは1ヶ月後。このところ外食続きだったのだから、概ねどちらかの家で過ごすことになるだろうと思った。まあどうせライアンの部屋で新譜を聴いたりすることになるだろう。ナマエはキッチンに立って手を洗っているとき、ふと思いついた。
あ、そうか。自分の手でやるから分からないんだ。
では次から自分もやり返そう。ナマエは良い案だと自画自賛し、鼻歌まじりに夕飯を作り始めた。



予想通り、ライアンの部屋で過ごすことになった。ただ嬉しい誤算だったのは、ライアンが旧作の映画を観たいと言い出したことだった。最近過去の名作が配信サービスで追加されたんだと、嬉々として話してくる。

「私もまだ観たことないな」
「じゃあちょうどいいね」

狭いアパートだ。ベッドひとつ置くと部屋はいっぱいになる。ナマエとライアンはおのずとシングルベッドの上に座り、テレビを観ることになる。
音楽好きのライアンは、意外とテレビを持っていた。以前それを指摘すると、アーティストの音楽番組を大きい画面で見たくなったそうだ。まあ、なんだかんだスマホで観ちゃうんだけどねとそのときは笑っていた。

こういうとき、ライアンはナマエの後ろから腕を回す。テレビに対してベッドが垂直に置いてあるであるため、大人2人で座るにはそうするしかなかった。ただ、どんな形だろうとライアンはスキンシップをとっただろう。意外にも恋人同士の触れ合いを大事にする男だった。そしてナマエも、そういうやりとりを好ましいと思っていた。

映画が始まってしばらくして、ナマエはライアンの手に触れた。自分のお腹に回った手の、指の間ーーー水かきを、ナマエは己の右手で撫でる。
細くて骨ばった大きな手は震えた。次にお腹に回された腕に力が入り、ナマエの背中の空間は少なくなる。伝わってくるライアンの呼吸に心地よさを覚えた。それは恋人により近づいたためでもあるし、自分の些細な動きひとつで、相手に影響を与えた、という征服欲が満たされたためでもある。ナマエは緊張しているライアンとは裏腹に、そのまま体重を預けた。今日の映画はスタッフロールの終わるそのときまで集中することができた。

「あのさ……」
テレビ画面が映画の終了を告げたとき、ライアンは控えめに声をかけた。耳元で低い声が聞こえてきたため、ナマエは少し驚いた。
「なに?」
「いや、今日どうしたの?」
「どうしたのって」

ライアンに抱きすくめられたまま体ごと向き直った。目の前の表情は、困惑しているような、照れているような不思議な顔だった。そんな顔を見ていると、なんだか自分にもライアンの感情がうつったような気がする。
ナマエ自身も困ったな、と思った瞬間、ライアンはぐっと距離を近づけてきた。倒れると思ったナマエは焦って腕を叩いた。

「どうしたの!」
「さ、誘ってるのかと思って……」
「まだお昼よ……もしかして手のこと言ってる? あれ、あなたの真似なんだけど」
「僕の?」

ナマエは後ろ手をついてるし、ライアンもナマエの脇に腕をついている。すでに半分倒れた状態で2人は静止した。別に嫌なわけではないが、ナマエはずりずりとライアンの下から逃げ出そうとする。自分が優位な立場にいると分かった瞬間、あっという間に押し倒してくる手合いだとわかっているからだ。
今は倒す倒さないの問答の時間ではなく、あの手つきの理由を問う時間である。

「そんなことしたかな」
「してる……前のデートのときも、その前も」
「全然覚えないや」
そんなばかな。と思った瞬間には天井を見ていた。もうここまでくるとナマエも受け入れ態勢で逃げようとはしない。
「うそよ。あれだけ触っておいて」
「じゃあ僕に同じことしてどう思った?」
「……」
「そういうこと」

なんだか上手く丸め込まれた気がする。実際言い返せないままだ。では、ライアンは自分に対して征服欲があるのだろうか。少し緊張して体を硬くするのを、この男は楽しんでいたということだろうか。にわかには信じられない結論に目を回していると、ライアンはナマエの服に手をかけたまま耳元に口をよせ、かわいい。と呟いた。そのまま耳にキスしてきたので、すけべな男という意味を込めて、手の甲に爪を立てた。

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