花吐き病
<ガラルの新チャンピオン・ユウリさんが突如失踪した事件について、速報が入りましたのでお伝えします。本日未明、まどろみの森奥深くにて警察がユウリさんの遺体を発見。発見当時、ユウリさんの遺体に目立った外傷は見られず、無数の水仙の花に囲まれていたとのことです。指名手配中の元ナックルシティ・ジムリーダーのキバナ容疑者も遺体のすぐ傍で意識不明の状態で見つかりました。現在は病院に搬送されており、警察は容疑者の意識が戻り次第取り調べを始める意向で…───>
ニュースキャスターが淡々と速報の概要を語っている最中で、テレビの画面は暗転した。手の中のリモコンを固く握り締めたまま、ダンデは金縛りにあったように動けなくなっている。隣に座るソニアがその手にそっと触れると、男はハッと意識を取り戻したように肩を跳ねて、悲痛な視線を向けている彼女へと目を向けた。
互いに言いたい言葉は山ほどある。口を開いた途端、感情のままに喚き散らしてしまうかもしれない。それを分かっているからこそソニアはただ小さく首を横に振って見せ、ダンデもそれに従ってただ下唇を噛み締めていた。
電源が落とされたテレビの画面は黒一色となり、その正面に並んで座る二人の男女の憔悴しきった様子を冷たく映している。テレビ台の周りには大小様々な写真立てが飾られていて、その中の一つにはソニアとダンデ、そしてホップに囲まれた一人の少女と大きな男が映る写真があった。5人それぞれが屈託のない笑顔を向けていて。今はただ、その笑顔が眩しかった。目の奥が熱く痛むほどに。
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気付いた頃にはもう、俺の隣には当たり前のようにユウリがいた。
ダンデにはホップ、ネズにはマリィがいるように、俺達も傍にいるのが当然といえるような存在が欲しかったからなのだろうか。血の繋がりがある実の兄弟とはまた違う、例えるなら生まれる前にどこかに置き忘れて来てしまった自分の半身のような、二人で一つという感覚を、彼女と出会った瞬間に感じていた。それはきっと、ユウリも同じだったのだと思う。お互いの存在を知るまでの空白を埋めるように、俺達は暇さえあれば時間を共有し合っていた。ワイルドエリアでのキャンプ、ポケモンバトル、ブティックでの買い物にカフェ巡り。時には意見のすれ違いで喧嘩をしても、5分もすればどちらかが笑ってまた元通り。そんな俺達を見て、ダンデはよく「兄妹よりも兄妹らしいな」と笑っていた。
「───…ということがあったんですよー。…って、キバナさん聞いてますか?」
「…ん?ああ、聞いてる聞いてる」
「あ、今の反応ぜったい聞いてなかったでしょ!もう!」
物思いに耽っていた意識を戻すと、目の前には頬を風船のように膨らませてふてくされるユウリの姿。悪い悪い、と軽く謝るとぶつぶつと文句を続けていたものの、俺の分のケーキに乗っている苺を分けてやると、途端に目を輝かせて嬉しそうな笑顔を咲かせた。
今日はバトルカフェの新作ケーキが食べたい、というユウリの誘いに乗ってナックルシティのカフェに来たのだ。フォークに大きな一口分のケーキをすくって、口に運ぶたびに幸せそうに頬を緩ませている。それでも欲張った一口は彼女の小さな口に収まり切らず、唇の横に付いた生クリームを拭ってやると、照れ臭そうに目を細めて笑ってくれた。
ああ、この時間が永遠に続けばいいのに。チャンピオンとジムリーダー、そんな肩書きなんて全部放り出してこのまま二人で幸せな時間に浸かっていたい。彼女が傍にいてくれるなら、きっと退屈なんて無縁の毎日だ。そんな妄想は知らず知らず俺の頬をだらしなく緩ませていたらしく、フォークを咥えたまま器用に「なににやけてるんですか」と軽口を叩くユウリに「にやけてねえよ」とデコピンを返した。
ただただ愛おしくて大切で、いつも通りの二人の時間。
そこにいつもとは違うものが一つ。コホコホ、と小さく空咳を繰り返す音だった。目の前のユウリが酷く苦しげに咳き込み始めた途端、反射的に背中をさすろうと椅子から立ち上がると、小さな手を俺に向けて必死に制止されてしまった。それでも中途半端に腰を浮かせたまま「大丈夫か?」と問い掛けると、顔を上げた彼女は「一気に頬張りすぎてむせちゃいました」と少し苦しげに小さく笑う。
そう言われても、正直半信半疑というところだ。ケーキくらいでそんなにむせるものか?とは思ったものの、俺の心配などどこ吹く風、といった様子で次の瞬間にはケロッとした顔をする彼女を見れば、俺の不安もいつの間にか消えていった。どこからか舞い込んで来たらしい花びらがユウリのセーターにくっ付いていたので取ってやると、彼女はどこか悲しそうに笑っていた。
その日を境に、ユウリが咳をする頻度が少しずつ増えてきたように思う。最初の内は風邪でも引いたのかと思っていたが、確かめてみた限りでは熱や鼻水などの症状は見られない。ユウリ本人に聞いてみても、体は至って好調だという。ただ、時折本当に苦しそうに咳き込む様子が痛々しかった。俺に背を向けて体をくの字に折り曲げ、ゲホゲホと咳を繰り返す。背をさすろうと何度駆け寄っても、そのたびに大丈夫ですから、とやんわりと拒絶されてしまった。苦しげな呼吸をしているのはユウリのはずなのに───俺の心が締め付けられるのは、一体どうしてなのだろうか。
それから、彼女と会う時間は目に見えて減っていった。
チャンピオンとしての仕事が忙しい、しばらく実家に泊まっていく、とその都度それらしい理由をつけて俺の誘いは断られる。流石に俺もそこまで鈍感ではない。それが繰り返される内に、彼女が俺を避けているのは明らかだと感じるようになっていた。ただ一つ、分からないのは避けられる理由だ。目に入れても痛くないほどに可愛がっていたユウリ。彼女もまた、俺のその寵愛を心から受け入れていてくれたように思う。いや、それは俺の願望で、もしかするとそれが苦痛となっていたのか?疑心暗鬼に囚われて、ダンデに軽口混じりに相談を持ち掛けると、彼奴は苦く笑いながら「女心は複雑というしな」とぼやくだけだった。
そんな一言で納得など出来るはずもない。ユウリに会いたい。その気持ちは日に日に抑えきれなくなり、何度目かの言い訳で誘いを断られたその日、俺は遂に彼女を探しにワイルドエリアへと足を運んだ。どうせキャンプでもしながらポケモン達を鍛えているのだろう。面と向かって俺を避けている理由を聞きたい、白々しい言い訳なんて俺達には似合わない。
ゲートを抜けてすぐ、フライゴンに乗って上空から目的のテントを探すと、それは逆鱗の湖の奥で、まるで人目から逃げるようにひっそりと建てられていた。こんな危険なエリアでキャンプなど何を考えているのだろうか。すぐにフライゴンに指示を出してテントのすぐ傍に降り立ち、中に声を掛けてみる。反応は───なかった。入るぞ、と告げてみても、彼女の返答はない。少し迷ってから入口の布を開けてみると、そこにはユウリがうつ伏せの状態で寝転がっていた。
眠っていただけか、と安堵したのはほんの一瞬。───様子がおかしい。いつもの静かな寝息の代わりに、かひゅ、かひゅ、と掠れ混じりの苦しげな呼吸が聞こえたのだ。
「…っ、ユウリ!!!」
靴を脱ぐのも忘れて土足で踏み込み、慌てて彼女の体を抱き起こすと、その体の下にはなぜか大量の花びらが落ちていて。それと同じものが、小さな口からまた一枚、はらりと零れ落ちる。
一体何なんだ、これは。───いや、考える暇なんてない。とにかく彼女を助けなければ。スマホロトムを取り出して急いで救急隊に連絡を入れた後に、続けてダンデにも電話を掛けた。出てくれ出てくれ出てくれ!!!その願いが通じたのか、数コールの後にブツッという機械音を経てダンデの「もしもし?」という声が聞こえた。
「ダンデ!ユウリが、ユウリが…っ!」
「キバナ?どうしたんだ、一体?ユウリくんが…?」
落ち着け、と静かに諭して状況の説明を要求するダンデの声は俺の焦りとは正反対に、冷静そのもので酷く苛つく。だが、そんな文句の一つも言っている暇はない。ユウリの体を抱きかかえたまま、テントの中に散らばる花びらと、腕の中で今も尚ぐったりと気を失っている彼女の説明をすると、電話の向こうでダンデが一瞬息を呑んだのが分かる。そしてそれに疑問を挟む余地を与えないまま、アイツはこう続けた。
「キバナ、まずは落ち着いてくれ。救急隊の手配は俺の方で一旦中断してもらう。お前はユウリくんを連れて俺のところまで来てくれ、良いな?」
良いわけないだろ、と返そうとする俺の言葉は、ダンデが繰り返す「落ち着け!」という言葉に遮られる。なぜ救急隊に任せないのか、なぜダンデの元に行かなければならないのか、訳が分からない。けれど、ユウリの口からまた一枚零れ落ちた花びらを見て、このままでいるわけにもいかないことは理解した。今はダンデのところに向かうしかないようだ。彼女の体を抱き上げて、フライゴンの元へと向かった。
ダンデの私室にユウリを寝かせた後、その寝顔を見ながら語られる話。それは、確かに耳に届いているのに。頭で理解するには、少し時間が必要だった。
「花吐き病だぁ?」
その病名を聞いた瞬間、反射的に気の抜けた声が出てしまう。まるで聞いたこともない、ふざけた病気じゃないか。
花吐き病というのは、正式名称は嘔吐中枢花被性疾患というらしい。遥か昔から潜伏と流行を繰り返していて、片思いをこじらせると口から様々な花を吐き出すようになるそうだ。最初はほんの小さな花びらが一、二枚出る程度。進行速度は個人差があるものの、症状が悪化するにつれて吐き出す花の量も増えていき、咳が止まらなくなる。次第に喉に花びらが詰まり始めると食事すらもままならなくなり、最悪の場合、窒息死や衰弱死に至る恐ろしい病。根本的な治療は見付かっていない代わりに、その恋が実った瞬間、白銀の百合を最後に吐いて完治するという。
「キバナ、彼女が吐いた花に触ったか?」
「…いや、テントの中に散らばったままだぜ。何でだ?」
「花吐き病の患者が吐き出した花びらに触れると、二次感染が起きるらしい。絶対に触るんじゃないぞ」
そう語るダンデの目は、真剣そのもので。どこかで信じきれていない俺に、これは冗談でも何でもなく揺るぎない現実なのだと、静かに厳しく突き付けていた。
いや、そもそも何故ダンデはそんな事を知っているんだ。そもそもコイツはユウリが咳き込んでいる事自体も、その理由も既に知っていたというのか。それでも尚、俺に今まで話さなかった理由があるのか。頭で考えている内に、段々と表情が険しくなっていくのが自分でも分かる。面と向かっているダンデがそれに気付かないはずもなく、静かに頷いてからまたぽつぽつと話し始めた。
「ユウリくんにその症状が出始めた時、彼女が最初に相談した相手はソニアだったんだ。自分の体から花が出る、そんな尋常でない状態でも、彼女は取り乱すことなく冷静に自分の体に起きている異変を説明したらしい。ソニアはすぐにマグノリア博士に連絡をして、二人であらゆる文献を調べた。そこで見付けた花吐き病という疾患の症状が、今のユウリくんに当て嵌まると気付いたそうだ。…そこで彼女達が下した選択は、身内と極少数の仲間内だけでこの問題を処理すること。現チャンピオンが奇病を患ったとなればメディアは黙っていない、病院に行ったところで騒ぎになるのは同じだろう。幸いにも完治させる方法は分かっているんだ、両思いになるという概念が曖昧なところだが、まずは彼女の想い人に言葉で好意を伝えさせ───「っざっけんじゃねえ!!!」
もう、耐えきれなかった。
気付いた時には目の前にいたはずのダンデが体勢を崩して後ろに倒れ込み、俺の拳は酷く痛んでいて。考えるよりも先に、ダンデを殴り飛ばしていた。
「ふざけんな、ふざけんなよ!何で俺に知らせなかった?!テメェ、ホップが同じ病気になった時に俺が黙っていたらどんな気持ちになるか想像出来るか?!出来ねえか、そうだよなぁ!そんなこと想像できてたらそもそも今の今まで俺に黙ってられるわけがねえもんなぁ?!」
「……っ……すまない」
「何だよそれ!!…何だよ、何なんだよそれ…!すまない、って…何なんだよぉ…っ…」
「キバナ、……本当に、すまなかった」
怒りに任せて人に手を挙げたのは、子供の頃以来だった。目の前が滲んで目が熱くなるのは、最後がいつだったかも思い出せない。
ユウリが苦しんでいる。ユウリが誰かを想って苦しんでいる。体の中で恋の種を芽吹かせて、その想いの花に蝕まれているのか。彼女が次に吐き出すのは一体どんな花なのだろう。恋の成就を告げる白銀の百合か、それとも実らないまま散りゆく恋心に添える花弁か───俺が望んでいるのは、どっちだ?
「……っ、ゲホッ、」
突然、喉の奥に違和感を覚えて、半ば無意識に咳き込んでしまった。何かが口の中から溢れ落ちる。───白い、真白い、一枚の花びら。
「……キバナ、それ…は……」
「………」
「花びらには触っていないんじゃなかったのか?!」
掌の中に落ちたそれを見つめている内に、ダンデの声が段々と遠ざかっていくのが分かる。
テントの中の花には触れていない。それなら何故、俺が───たぐり寄せた記憶の中で、ふとあの日のユウリが鮮明に蘇った。バトルカフェで咳き込む彼女。セーターに付いた一枚の花びら。それを取ってやった俺を見て、どこか悲しげな笑顔を見せていた。
「……ああ、そうか。あの時か」
あの時、ユウリが何を憂いてあの笑顔を見せたのかは分からない。けれど、彼女は確かにあの瞬間気付いていたはずだ。俺が花びらに触れたことで、花吐き病に感染したことを。故意か、それとも無意識だったのか───その本心は分からないが。それでも彼女は望んでいたのかも知れない、同じ苦しみを俺と分かち合うことを。
ダンデの言葉は理解できなくなっていた。目の前で確かに口を動かしているというのに、その声すら耳に届かない。もう、何も聞きたくなどないんだ。「少し外してくれねえか」と小さく呟くと、ダンデは何か言いたそうに口を開いたものの、結局静かに頷いてから部屋の外へと出て行った。
ここに残されたのは、俺とユウリだけ。
ベッドの上で眠る彼女を改めて見ると、心なしか少しやつれたように思う。もう、食事もまともに取れない段階に来ているのだろうか。寝息は相変わらず浅く苦しげで、時折掠れた咳と共に口から小さな花びらが零れていた。
愛おしい、と思う。この唇も、この髪も、この体も、ユウリを形成する全てが愛おしい。そして彼女がその全てを捧げたいと願う、顔も名前も知らない男がただ憎らしくて仕方がなかった。
「───…、ん、…キバナ、さん…?」
眠りが浅かったのか、そっと頭を撫でた瞬間、彼女の目が薄く開いて俺を