宵闇エンカウント(2/2)
「なぜお前がここにいる」
無事に閉店作業を終え、店を出ると、既にオロチが待っていた。しかし私が声をかけるよりも先に、私の隣にいる男性へとするどい言葉を投げ掛ける。その、男性を知っているかのような口ぶりに、思わず隣を見上げると、彼は薄く笑みを浮かべて、オロチを見ていた。
どうやらオロチが見えているらしい。
「あ、あの、この人はケータの学校の理科の先生でね、」何で私、こんなに弁解口調なんだろう。しかし一方で、頭の中は「この人は何者なのか」という考えが占めていた。
理科の先生はそんな私の考えを読み取ったかのように、こちらを見るとにこりと笑う。
「!貴様…!」オロチはそれが気に食わなかったらしい。
私の横まで来ると、そのまま引き寄せて距離を取った。一瞬だった。あまりに早い動きに、何が起こったかわからなかったほどだ。
「お、オロチ?」
「七海!そいつはただの教師ではない」
「え?!」
「そいつは妖怪のキュウビだ」
キュウビ…キュウビ?!あの尻尾が9つあるとかいうキツネの?!
さくらニュータウンは、おきつね様の信仰があるから話には聞いたことがある。でも、まさかそんなご本人が目の前にいるなんて…ねえ?
「クク。あーあ。バレちゃった」
信じられない、と呟く前に、先生が喉で笑った。そして一瞬で姿を変えてしまう。目の前にいたのは、9つの尻尾を揺らめかせた、大きな妖怪で。
「え、ほんとにおきつね様なの?!」
「おきつね様、なんてかわいい言い方をしてくれるねェ。そうさ、ボクがキュウビ」
「よろしくね、七海」細い目をさらに細めて、キュウビは言う。景太の姉というだけではなく、名前まで知られていた。
「だから言っただろう」オロチが半分呆れながら見下ろしてくる。だって、まさか神様みたいな妖怪が人間に化けて、しかも私に会いに来るなんて信じられないよ。確かに怪しい雰囲気はあったけど、妖気を全く感じなかった。
「えっと…あの、キュウビ、さんはどうしてここに…?」
「七海、こいつに『さん付け』はいらない」
「キミがそれをいう権利はないと思うけど?」
両者にらみ合いが続く。それだけで彼らはあまり仲がよろしくないというのがわかった。
「だいたいオロチがいるなんて知っていたら、ボクはここにいない」というキュウビは飄々とした口調だけれど、そこには、わずかな苛立ちもみえる。
「それならばさっさと失せればいい」
「話を聞いてた?ボクはキミに用事はないけど、七海にはあるんだ」
「私に?」
「七海、こいつの話など聞く必要はない」
「オロチは黙っててくれない?」
オロチは全身の毛を逆立てた猫のように、警戒をしている。キュウビも苛立たしげに尻尾を揺らし始めたので、私は「オロチ、大丈夫だよ」と、オロチの腕に触れた。これ以上ここで睨み合われたら、私が辛い。面倒ごとを起こすのはごめんだ。オロチもそれを理解はしてくれたらしい。不満そうな顔をしながらも、一応ひいてくれた。
「ええと…私に何の用事?」
「フフ。キミはオロチに比べて話がわかるからいいねェ」
「おい。さっさと用件を言え」
「だから、少し黙ってなよ」
ぎろりとキュウビが睨む。オロチは先程よりもわかりやすく不機嫌を表して口を閉じた。結構子どもっぽい一面もあるんだなあ。新しい発見である。
「最近、ケータがボクのことを調べているようでねェ。一方的に調べられるのもシャクだから、ボクもケータのことを調べることにしたのさ。それでたまたまキミのことを知ったわけ」
「でもケータに姉がいるなんて知らなかったな。学校の先生やってるのにねェ」いかにも面白いといった具合に、くつくつ笑う。聞けば、景太は私という姉がいることを、周りにはあまり話さないそうだ。…そんなに姉ちゃんがいるのが恥ずかしいのか?いや、ただシスコンが悪化しているだけだろう。私は一人で納得した。
「しかも妖怪が見えるときた。これは面白いじゃないか」
「それで、私を見に来た、と…」
「そういうこと」
つまり品定めということか。
といっても、私は品定めれるほどの人物ではない。いたって普通の女子高生なのである。まあ、確かに見えざるものが見えてしまうのは否定しませんが。
私が頭のなかで考えていることを読み取ったかのように、キュウビは「なかなか期待以上だったよ」と再び楽しげに笑った。
「キミはなかなか美味しそうな匂いがする」
「え?!」
「キュウビ!貴様!」
ペロリ、と舌なめずりをするキュウビに、私は思わず一歩ひいた。それまで黙っていたオロチも前に出てくる。さすがに食べられるのは遠慮したい。そりゃね、最近の私は少しお肉ついちゃいましたけれども!美味しくありませんから!
「おや?オロチ、キミもそう思ってるだろう?何たって彼女は妖怪が好む匂いをしてる。それこそ莫大な妖力が手に入りそうなくらいの」
「!俺はそんな理由で七海の傍にいるわけではない!」
「ああ、そう。別にキミが七海の傍にいようがいまいが、関係ないけどね」
オロチは今にも『やまたのオロチ』を発動しそうだ。私は慌てて彼の腕を掴む。こんなところで戦われたら、この街が吹っ飛んでしまう。
「オロチ、落ち着いて」「これが落ち着いていられるか!」…マジギレですか、オロチさん。
「でもボクも七海を気に入ったから、ケータの友達になってやってもいいかな」
「え?」
「は…何だと?!」
「七海の近くにいたら、何だかいろいろ満たされそうだしねェ」
今までのやり取りのなかで、どこをどうしたら私のことを気に入るのだろう…。
しかし、キュウビはとても楽しそうだ。ようやく見つけた獲物を、逃がすまいとする、ハイエナのような目をしている。
私は戦慄した。この妖怪、危ないかも…!
「ククク。そんなに怯えた目をしないでほしいなあ。さすがのボクも傷つくよ?」
「当たり前だ!お前のような変態に、七海が心を許すわけがないだろう!」
「ああ、煩いなあ。ところで、何でキミが七海の傍にいるのさ?」
「キミだって立派な『蛇』じゃないか」その言葉にオロチは一瞬口をまごつかせたが、「俺は、七海が好きだからだ!」と言い放った。ちょ、な、な、なんて恥ずかしい!いきなりこんなところで宣言しますか?!
私が一人で焦っていると、当然のようにキュウビはにやにやと笑みを浮かべていた。
「へェ!それは面白いことを聞いたな。エリート妖怪なキミが、まさか人間に恋をするとはねェ」
「…何が言いたい?」
「別に?意外だと思っただけさ。それに、ボクも気に入ったから気持ちがわからなくもない」
キュウビはこちらを、向いてニヤリとすると、ふよふよと浮き上がる。いつのまにか満月が出ていて、それがちょうど彼の背景となっていた。
「今宵はいい出会いをした。また会いに来るよ、七海。…今度は邪魔者がいないときにね」
恭しくお辞儀をする姿は、何だかとても気取った感じなのに、キュウビにはとても似合う。私はその月に照らされて光る毛並みに、一瞬見とれてしまった。
「それでは、また会おう」
途端に耳元で聞こえた声に、慌てて耳を押さえて振りかえる。しかしそこには何の姿もなく、前を向いてもそれは同じだった。
呆然。私の顔の横に、そんな文字が浮かびそうだ。
そして隣のオロチもそれは同じだったらしい。はっと気づくと、がしりと両肩を思い切り捕まれた。
「七海、七海?!いいか、しばらくは一人になるなよ?!」
「え、え?」
「もし、万が一俺がいないときに奴と会ったら、慌てず騒がず、逃げろ。そして俺を呼ぶんだ」
「え、あ、うん…?」
「いいか、約束だからな?キュウビには近付くな。いいな?!」
「は、はい」
オロチがガクガクと両肩を揺らし始めたので、慌てて私は頷く。その答えに満足したらしいオロチが、そっと手を離すと、ゆるゆると龍のマフラーが私を包んできた。
「あいつになんか、絶対やらないからな」
そう呟いたのは、オロチの決意か、それとも告白なのか。私は未だに回らない頭で、ぼんやり考える。
ただひとつ確かなのは、キュウビには不用意に近づかない方がいいということ。
オロチの龍が頬擦りしてくるのをくすぐったく感じながら、私は緩く、溜め息にも似た息を吐き出したのだった。