05.交差する二人 ー光ー

 “送りましょうか”と提案されて、驚きはしたけれど嫌ではなかった。何故だろう、私は自然とその提案を受け入れてシボレーの助手席の座っていた。もう冷静ではなかったのかもしれない。赤井さんの影を追っていた。静かな車内で、無意識に止めていた息を吐き出し背中をシートに預けると、あの時間が蘇るようだった。

 でも、もう二度と、赤井さんの隣に座ることはない。そう思うと抑えていた感情が溢れ出しそうになる。まだ脳裏には、ハンドルを握る彼の姿が、鮮明に思い出せるというのに。

「っ、う……っ」

 そうしてまた、痛み出す喉の奥。馬鹿みたいに思い描いていた未来が、二度と実現しないんだと実感して、胸が締め付けられるように痛くなった。もう、今更一人でなんて歩けないよと、言いに行きたくもなった。

 そう思っていると、運転席側の窓から沖矢さんが覗き込んでいるのに気づき、私は咄嗟に視線を下げる。彼は遠慮がちに運転席のドアを開けると、慣れた動きで車内に乗り込む。

「では……行きましょうか」

 沖矢さんは、赤らんでいるはずの私の目には触れず、優しげに微笑んでいた。そういえば、知らない男性の車に乗っている、と今更ながら気づくけれど、何故か彼のことは信じることができていた。

「おねがい、します」

 聞こえたエンジン音に思わず、赤井さんといるみたいだと思った。

「名前さん、どちらでしょうか?」
「あ、左です!」

 その後に聞こえてくる懐かしいウインカー音すら、愛おしい。もっと乗っていたいと思うけれど、家は公園からすぐの位置。このままではすぐに着いてしまう。

「あの、すみません」
「何でしょう?」
「……もう少しだけ、乗っていてもいいですか?」

 思い切ったことだった。でもそれを許してもらえる気がした。沖矢さんは少し間をおいてから静かに微笑むと、小さく頷いた。やっぱり勇気を出してみて良かった。

 車はインターを通過し、高速の上を走っていく。沖矢さんはずっと何も聞かないでいてくれて、私はただ、慣れ親しんだエンジン音に耳を傾けながら、窓越しに見える景色を静かに眺めていた。

 落ち着くその空間で脳裏に浮かんできたのは、楽しかった記憶ばかり。初めてシボレーに乗った時。長旅でもあっという間だったあの時間。暗がりに駐車して時間を過ごしたことも、帰り際のキスも、全部覚えている。まだ鮮明に思い出せる懐かしい記憶が、自分の心の中に残っているんだと、ようやく気づいた。

「今日は本当に、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。楽しかったです」

 いつのまにか、車は下道を走っていて、マンションの前まで来ていた。本当に、あっという間の時間だった。沖矢さんに見送られながら部屋に向かう途中、まだ大丈夫、まだできる、と少しだけ心が軽くなったようだった。

“名前の、笑顔が見たい”

 これは、あの映画館へ行く日の前日、取り損ねた赤井さんからの電話の着信履歴と共に残されていた留守電の言葉。いつも通り、その留守電は消してしまっていたけれど、あの珍しい言葉はずっと頭に残っていた。彼はもしかして、何かを悟っていたのだろうか。もう二度と、その真意を確かめることは出来ないけれど、ならばせめて、赤井さんが見たいと言ってくれていた笑顔でいたい。笑顔でいなくちゃ。

 そう思えたのも全て、沖矢さんとのドライブのおかげだ。それなのに沖矢さんの連絡先も何も聞いていないことに気づいたのは、玄関のドアを閉めた後だった。