17.甘く冷たい宅急便より ー前編ー

 あれから、安室さんとは少し気まずくて距離を置いていた。でも偶然、街で梓ちゃんと会っては「また来てくださいねー!」と明るい声で言われて、ポアロを懐かしく思ったのも事実。そして安室さんから、新作スイーツの情報を頂いては、「気にし過ぎなのは私だけ、か……」と気持ちを切り替えることにした。変に時間を置いて、このままぎくしゃくしてしまうのは悲しい。東都に来て、ようやくできた友人達の存在は大切にしたかった。

 そうして今日は久しぶりにポアロへ行こうと道を歩くのだけれど、その途中、道路沿いの公園から可愛らしい女の子の声がする。

「コナンくーん!どこみてるのー−!」

 視線を向けると、眼鏡をかけた少年と目が合った。そう……彼は確かポアロにいた……?

「名前さんだー!」

 少年は元気な声を出しながら、私の方へ駆け寄ってくる。周りのお友達も、一緒になって近寄ってきた。

「こんにちは……えっとー、君は」
「僕、江戸川コナンっていうんだ!名前さんは今日なにしに?」
「んーっと、これからポアロに行こうかなーって」

 ポアロという言葉に、コナン君は一瞬怪訝そうな顔をする。その反応に、ん?、と思うものの、彼はすぐに表情を変えた。私に興味津々な様子の子供たちが、コナン君へ一斉に質問を投げかけていくので、コナン君は少し呆れたように彼らを宥めていく。

「ああ、名前さんは……」

 そこで、少し間を置いた彼はニッコリと笑って、沖矢さんの知り合いだと紹介する。

「え?!コナン君、沖矢さんを知っているの?」

 思ってもみない、“沖矢さん”というワードに、私は驚いて大きな声を出していた。聞けばどうやら、コナン君だけではなく皆んな、沖矢さんを知っているようだった。するとカチューシャをした可愛らしい女の子が、「じゃあこの後一緒にケーキを食べようよ」と提案してくれる。周りの子たちも一緒に盛り上がっているけれど、そんな急に行っていいものだろうか。

「じゃあさ、このあと沖矢さんも呼んで、みんなで食べるのはどう?それならいいでしょ?」

 コナン君は目を輝かせながら上目遣いで、そう聞いてくる。そんなに可愛らしく言われてしまっては、私も断り切れない。

 それに、沖矢さん、というワードに心が揺れた。米花百貨店で助けてもらって以来、一度も会うことなく今日を迎えている。本当はもう一度会って、ちゃんとお礼を言いたかった。急に、部外者が参加してもいいのかなという気持ちもあったけれど、まあ、沖矢さんがいるなら……。

「じゃあ……そうしよっかな?」
「やったあ!じゃあケーキは夕方頃に届くから、それくらいに来てね!これが阿笠博士の住所だよ!」

 念のため、連絡先も交換しておこ?と言われ、私のスマホにコナン君の電話番号が追加されていった。



 そういう訳で、私は一旦帰宅し、みんなで飲む用の紅茶とお茶菓子、そして沖矢さんへちょっとしたお礼の品を買って阿笠邸に来ていた。しかし、困った。呼び鈴を鳴らしたけれど、どうやらまだコナン君達は帰ってきていないらしい。

「どうしよう……」

 来る前に一度、コナン君へ連絡しておくべきだった。でも仕方ない、ここは一度公園に戻ろうと、私は一歩踏み出す。すると、ふと誰からの視線を感じた。顔を上げると、すぐ真横の豪邸の窓際に人影が見える。

「あ、」

 目を凝らすと、それは沖矢さんだった。私は慌てて軽く会釈をするけれど、彼はそのまま窓からいなくなってしまう。突き放されたようにも見えたその姿に、胸が痛んだ。

 でも、そうだよねと、一人納得する。確かに自分の過去の行動を振り返ると、面倒な女だと思われていてもおかしくない。ならさっき買ってきた、お詫びの品も、渡すべきではないような気がしてきた。

 何、しているんだろう。馬鹿だな……。私は歩くスピードを早めながら、大きな洋館を通り過ぎていった。コナン君には、やっぱり一言断りの連絡を入れておこう。そう思っていたのに……。

「……名前さんっ!」

 沖矢さんの大きな声に驚きながら振り返ると、彼は門を開けて、道へ飛び出すように私を見ていた。わざわざ、引き留めに来てくれたんだと気付いて、言葉にならない。

「名前さん、よかったら入ってください」
「……えっ?」
「コナン君たちに、用があったのでは?」

 その通りだけれど、どうして分かったのだろう。コナン君がもう、一報を入れていたとか?でも、彼はケーキの件を知らないようだった。しばらく呆然としていると、彼はぐんぐんと私に近寄り、どうぞと促してくる。それは少しの強引さを持って、導かれるように私はあっという間に玄関へと足を踏み入れていた。

「あのっ、沖矢さん、なんで……」
「阿笠博士の呼び鈴を鳴らされていたので、そうかなと」
「えっ、すごい……実はさっきコナン君たちに公園で会って、阿笠さんのお宅で一緒にケーキを食べようって誘われて」
「……ケーキ、ですか」
「はい、その……沖矢さんも呼ぶからぜひって言われていたんですけど、でも、まだ公園から帰ってきていないみたいで」
「ホォー……。それなら、彼らが帰ってくるまでこちらで待っていてください。その話だと、私もこの後誘っていただけるようですし。今から公園へ行って、行き違うより良いかと」

 的確なご提案に、返す言葉が何もない。私は、そのご厚意に甘えてお邪魔することにした。

「どうぞ、座ってください」

 リビングへ案内されると、明らかに高そうな家具ばかりが目に付く。聞くと、あの工藤優作さんのお家に居候させてもらっているらしい。一体、どんな繋がりなんだろう。説明されたけれど、あまり現実味がなかった。そうなんですねと、曖昧に返事をしながら、私はソファーへと腰を降ろす。

「名前さん、何か飲まれますか?」
「あ、全然!お構いなく!この後、みんなでケーキを食べる用に、実は紅茶を買ってきていて」
「そうでしたか、では」

 沖矢さんはそのままソファーに近づくと、向かい側に座った。でも手元に何もない分、間がもたない。どうしようか。私はふとお礼の品の存在を思い出して、ぎこちない自分を誤魔化すように、ごそごそと、それを紙袋から取り出した。

「沖矢さん、よかったらこれ」
「……それは?」
「お礼は、いいと言ってくださっていたんですけど、やっぱり何か渡したくて。ドリップコーヒーです!」

 そう言って差し出すと、沖矢さんは立ち上がり受け取ってくれる。その表情は柔らかくて、口角が上がっていた。それを見ただけで、コーヒーで正解だったと分かりホッと胸を撫で下ろす。

「ありがとうございます。名前さんよく分かりましたね、コーヒー好きだと」
「ああ、良かったです。なんとなくそんな気がしたんです」
「……嬉しいです、とても」
「いえ、!」

 沖矢さんは、コーヒーの入った箱をとても大切そうに見つめては、そっと親指で撫でていた。その仕草は、とても愛おし気に見えて、不覚にもドキリとしてしまう。そんな、大したものを渡したつもりはないのに、まるで宝物をもらったかのような振る舞いに、何故か気持ちが揺さぶられる。

「あ、あのっ……本当に、いろいろご迷惑をおかけして、そのお詫びというか、」
「いえ、そんなお詫びだなんて。全て、こちらが好きでしていることです」
「は、はあ……」
「では、大切に頂きますね」

 沖矢さんは箱をまたひと撫ですると、優しく微笑みながらキッチンへと置きに行った。

 それから、私たちはコナン君達を待ちながら他愛もない話をしていた。沖矢さんが大学院生だということも、この時知って驚く。いろんなことを知っている人だとは思っていたけれど、相当博識のある方なのだろう。そう思っていると、沖矢さんは思い出したかのように話題を変えた。

「そういえば、コナン君から伺ったのですが」

 何だろうと、首を傾げて続きを待っていると、彼は片手で眼鏡を持ち上げる。

「名前さんは、ポアロのウエイターの方とお付き合いされているとか」
「……え?」
「確か、安室とかいう」

 突然すぎる質問に、すぐに返事ができなかった。”安室”という言葉に、あの出来事を思い出して余計に動揺する。決して、付き合ってはいないし、ましてあの日は何もなかったことはちゃんと確かめているのに……。

 なら、どうしてそんなことになっているのだろう。慌てながら言葉を探していると、沖矢さんの視線を強く感じて少し身体が震えた。

「あのっ……ぜ、全然違います!そんなんじゃないです!」
「……そう、ですか?」
「本当です!……安室さんとは本当に、ただのお友達で」
「お友達……」

 私の反応を観察するように見られているようで、少しプレッシャーを感じる。自分の視線が、泳いでいるのが分かった。どうして私は、こんなにも動揺しているんだろう。沖矢さんに、私が安室さんと付き合っていると思われることが嫌だと、その誤解を解きたいと、必死になってしまっている。

 僅かな沈黙すら、耐えられない。どうにかして、分かってもらわなくてはと頭を働かせた。

「安室さんは、そのっ……探偵業を依頼して、助けていただいたことがあって、それで話すように、なって……」
「……ホォ?」
「実は……亡くなった彼のことも知っているんです、だから……」

 咄嗟に、そう口にしていた。私も、安室さんも、大切な人を亡くした者同士。私が赤井さんのことを今もまだ忘れられず、ずっと想っていることを知っている人だから、そういう関係ではないんですと。

 でも、頭の中で赤井さんが浮かんで、そのあと上手く言葉が続かなかった。