18.甘くて冷たい宅急便より ー中編ー

“亡くなった彼のことも知っているんです、だから……”

 そう話す名前の言葉に、赤井はひどく心揺さぶられていた。ベルツリー急行の一件が完了してから、例のポアロの店員がバーボンだと知った。そして、二人の出会いが病院の駐車場だとコナンが話していたことから、ならば全ては自分に非があるということにも気づいていた。車種など、教えるべきではなかったのだと。

 その時、湧き上がってきた感情は、とても言い表せない。名前は沖矢昴に、あれほど恋人の存在を隠そうとしていたのだ。そんな名前に、どんな手を使ってここまで心を許させたのか、どこまで彼女に……とそんな黒い感情が、うごめき始める。あたかも紳士な探偵を演じ、恋人を失って孤独な名前に漬け込んだバーボン。しかしもう既に名前は、安室に随分と気を許していた。

 こうして目の前にいるというのに、安室のことを説明する彼女の表情は、見ていられない。

 名前とバーボンとの距離感を計りたく、わざと動揺させる質問をしていたが、この様だ。しかし、彼女にとっては必要な人物なのだと思うと、無理に引き離す訳にもいかない。そうして返事ができずにいると、この沈黙を裂くように、呼び鈴の音が鳴り響いた。

「あ、コナン君たちですね!きっと」

 そう、明るく話す名前を制し、ソファーに座らせる。外はトラックの音がしているため、宅配業者だと思われるが嫌な予感がした。インターフォンに出ると、それが当たっていると分かる。

「ど、どうしたんですか?」
「問題ありませんよ、名前さん。しかし、ここに戻ってくるまで、大人しく座って待っていてくださいね」

 戸惑う名前に、静かにしているよう指を己の口元に添えて、念を押す。決して、この部屋から出てくれるなよと、暗に伝え、リビングを出て行った。



 赤井はケーキが入っているであろう荷物を受け取り、リビングに戻ると窓際へと向かう。しばらく下の様子を観察していると、偶然にも姿を現したバーボンより、事態は無事収束したようだった。

「名前さん、すみません。何も説明せず」
「いえ!……何か、あったんですよね?」
「ええ。でも、みなさん無事のようです」
「……みなさん?」
「どうやら、コナン君たちはクール便のトラックの中に閉じ込められていたようです」
「え?!」

 名前はそう言うと立ち上がり、窓際へ近づこうとする。今、バーボンが下にいると知られる訳にはいかないため、彼女をやんわり制し、ソファーへと戻した。こうした、彼女の純粋な気持ちがバーボンの強運に味方したのだろう。赤井はやや納得するように、心の中で息を吐く。

「今日は、ケーキどころではないかもしれませんね」
「そ、そうですね……」
「もう少しして、落ち着いたら家までお送りしますよ」

 しかし、この提案に名前は、少しだけ悩ましげな表情を浮かべる。

「いえ、大丈夫です」

 キッパリと断る姿に、胸がまたざわめき出した。沖矢昴の気持ちは拒むのか、バーボンではどうなのかと名前の気持ちを悪い方向へ解釈してならない。恐らく遠慮しているだけなのだろうが、彼女のあの表情を見てしまっては自分の中の嫉妬心が、顔を覗かせてくる。

「送りたいんですよ、私が」

 そう強めに言うと、名前は黙った。困らせてしまっただろうか。それでも続きを話そうとすると、丁度、彼女のスマホが鳴る。

「す、すみません……」

 会話が中断されたことに、僅かな苛立ちを電話に対して感じるが、「構いませんよ」と頷いて答える。しかし名前が鞄からスマホを取り出すと、その画面には“安室さん”の文字が見え、咄嗟にスマホを掴んでいた。

 その行為に驚いた彼女は、肩をびくりと揺らして顔を上げる。戸惑いの色を見せる瞳を見ても、スマホを離してやることはできなかった。

「……今は、出ないでください」

 スマホを掴んだまま俯き、そう口にすると、名前は何かを察したかのようにその手を離す。その間、鳴り続けるコール音は煩く聞こえた。ただ下手に動くより、相手に切らせたかったためしばらくの間、そうして時間が流れる。電話が切れたのを確認すると、赤井は彼女にスマホを返した。

「すみません。勝手に、」
「いえ……沖矢さん、どうされたんですか?」

 名前は沖矢昴の不自然な行動を咎めるというよりも、心配しているようだった。その、常に相手の気持ちを汲み取る彼女の優しさに、いつも助けられているなと、懐かしさに似た気持ちになる。

「つまらない、男の嫉妬です」
「……え?」

 そう言いながら、名前をソファーへ腰かけるよう促すと、少し距離を取って横に座った。向き合って話すよりはマシだろうと、少し息を吐いてみる。

 この期に及んで、嫉妬しているんだ。君の恋人は。そう言ったら、名前はどんな顔をするだろう。もちろん沖矢が、赤井秀一だとは言うつもりはない。それでも、こんな状況になってしまえば、一歩……いや大胆にも距離を縮めたくなる。

 何より、バーボンだけには、既に赤井秀一の生存をほのめかしている。赤井秀一が生存していても、今まで名前に何の接触していなかったと分かれば、バーボンは離れていくはずだ。名前が、赤井秀一にとって何者でもないと、分かったのであれば、一つの脅威は去る。後は、いずれ辿り着くであろう、沖矢昴への疑惑を上手く躱せばいいだけ。

 ならばもう、沖矢昴として、名前に近づいて良いだろうか。何かあった時に頼れる存在に、沖矢をしても……。

「名前さんは、大切な友人なんです。だから、遠慮しないでいただきたい」
「……っ」
「それに、力になりたい。その彼よりも」

 頼ってほしい。どうか、沖矢を避けないでほしい。そんな気持ちを込めて、名前の方を見る。すると彼女は少し驚いたような表情をしていた。

「そう、なんですね……でも、私てっきり」

 そう言って少し笑う名前を見て、どういう意味かと、聞き返すように小さく声が漏れていた。

「ご迷惑をたくさんかけたので、良くないなってちょっと反省していて」

 何を、言う。そんなことを考えていたとは思わず、少し声を強めてしまう。

「迷惑だなんて、思ったことはありませんよ」
「……だから、ちょっと安心しました」

 名前はふっと、力の抜けたように笑っている。つられて、こちらも思わず笑みが零れるようだった。そして名前が、スマホに目を向ける。

「でも嫉妬って、沖矢さん……」

 意外と子供っぽい所あるんですね、とでも言うような彼女の表情に、思わず顔を背けた。ただ、その空気感が懐かしく、居心地が良く、表情が緩んでしまう。無意識に力んでいた身体が、軽くなるような感覚があった。

 それは、確実に互いの距離が縮んだ瞬間だった。