(番外編)ただ、一目会いたくて

 連日続いた捜査は、本日ようやく片が付いた。もう深夜とも、早朝とも言いがたい、そんな時刻だ。赤井はこのまま、明日というより今日は休みを迎えるはずだったが、別件で動きがあると分かり、チーム皆引き続き捜査にあたることになっていた。しかし、それでも名前の顔が見たい。

 時間的に、もう彼女は深い眠りについているだろう。明日も、彼女は仕事だ。それでも会いに行きたかった。何より、彼女が無事かどうかこの目でしっかりと確かめなければ、落ち着くことができそうになかった。

 つい先ほどまで追っていたのは、若い女性を狙い卑劣な犯行を繰り返すシリアルキラー。事件の内容は、あくまで仕事として客観的に捉えてはいるが、それでも事件現場や被害者の姿を見る度、名前の姿が一度も脳裏に浮かばなかったとは言い難い。

 名前が自分の見る世界とは違う場所にいると分かってはいるが、世の中には恐ろしくも身勝手な動機で犯罪に手を染める者に溢れかえっていることを、身を持って痛感している。

 彼女のルームメイトとは話し合った上で、合鍵をもらっているため、赤井はそれを静かに差し込み、リビングを静かに抜けていった。息を顰めることなど容易い。名前の部屋のドアを音を立てずに開けると、暗闇に愛おしい彼女の気配が感じられる。

 忍び寄り、ゆっくりとベッドの脇に膝をつく。穏やかそうに眠る名前の表情を見た瞬間、酷く脱力した。

 彼女は無事だと分かっていても、それでもこの手で触れるまでは心に穴が開いたままだったのだ。確かな存在を噛み締めるように髪を梳くと、柔らかな香りがした。

 愛している。

 そう心の底から伝えながら、優しく頬を撫でていく。名前を、起こすつもりはない。ただそこで、眠ってくれているだけでいい。彼女が、変わらずそこにいてくれるだけで、心は十分満たされた。

「ん……」

 親指で何度か頬に触れていると、名前が体を捩った。起こしてしまったかと、手を離すも、やはり本心では目を覚まして欲しいのだろう。意識を浮上させた名前の様子に、笑みが零れた。彼女のこめかみに唇を寄せ、存在を伝える。

「ん……っかい、さん?」

 名前は目をつぶったまま、眠たげな声を出した。久しぶりに聞いた、彼女の甘く可愛らしい声に、思わず唇をその頬に寄せてしまう。彼女はキスを受けたのも、分かっているようないないような反応ではあったが、籠った声で“おかえり”と言った。

 その瞬間、この世の全てがどうでもよく思えてしまう。言葉にはならない温かい気持ちに包まれ、名前の額に己の額を寄せていた。擦り寄る様に触れ合い、キスを落とす。

「ああ……ただいま、名前」

 決して、共に暮らしているわけではないが、無事に怪我無く帰って来れたことへの挨拶は、何よりもかけがえのないものに思えた。こんな感情を教えてくれた名前に、また込み上げてくる愛おしさを必死に飲み込みながら、身体を離す。長居はできない。無理も、させたくはない。

 すると名前は、目を瞑ったまま顔をこちらに向け、左手を布団から外へ出してくる。その手を掬うように握り、赤井は自分の頬へと触れさせると、彼女はそっと指を動かしていった。

 とんとん、と触れる指からは労いの意味が感じられ思わず笑みが零れてしまう。その気持ちに応えるように、名前の左手にそっと口付け、愛を伝えた。

 必死に睡魔と戦いながら、それでもスキンシップを取ろうとする姿は可愛らしい。彼女からの愛も感じ、何もかもが満たされていく。

「Good night, sweetheart. 眠るんだ」

 ベッドの中、ごそごそと動き始めた名前の身体を落ち着かせるように頭を撫でつけていると、寝る位置が定まったのか、彼女は穏やかな呼吸をし始めた。あどけない、寝顔をしている。

「ん……す、き」

 寝言なのか、分かっていて言っているのか。どちらとも言えないが、堪らない。俺もだよと、再度髪にキスを落として伝えた。

「I love you too.」

 それが、聞こえていたらいいと思う。いや、聞こえていなくても、いい。ただ、このかけがえのない時間が、一生続いて欲しいと心から願った。最後にもう一度額にキスを落として、名前の左腕を布団の中へ戻す。

 次の名前の休みまでには、なんとしてでも仕事を片付けよう。そうして一日中、共にいよう。昼まで抱き合いながら、眠っていてもいい。そんな休日を思い描きながら、名前の寝顔を脳裏に焼き付けて立ち上がる。

 そしていつも通り、ポケットからチョコレートを取り出し、机の上に一つ置いた。こんなものでいいのかと、思ったが意外にも名前が気に入っているのを知っている。

 またな、と最後に彼女に目を向けてから、赤井は静かにドアを閉めた。



 朝、私はいつもより少し早く目が覚めた。まだ、いつもの起床時間より30分も早いけれど、気分はいい。寝返りを打ちながら瞼をゆっくりと開けると、視線の先にはテーブルに置かれているチョコが。

 ああ、やっぱり来てくれていたんだ。
 朧気な記憶が、夢ではなかったと実感するこの瞬間は堪らない。

 にやけてしまう顔を隠すことなく、私は腕を伸ばしてチョコを手にする。顔の近くに持ってくると、甘い香りが鼻を抜けていった。また一つ、増えた愛の証に赤井さんを感じて、溶けてしまうことも構わずぎゅっと握りしめる。

 いつからか、置かれるようになっていたチョコレート。昨日来てくれたのは夢?と、私が聞いたのがきっかけだったのかもしれない。深い眠りについているときは、赤井さんが来てくれたことに全く気付かないまま、朝を迎えたことも何度かあった。でもこうして、赤井さんが夜中来てくれていた証があると、朝、幸せを噛み締められる。赤井さんを、すぐ近くに感じられる。

「ふふっ……」
 
 私はベッドから降りて、いつもの箱を取り出した。赤井さんには内緒だけれど、ひっそりと置かれていくチョコはまだ食べずにこうして取ってある。中身が増えていく度に、何とも言えない幸せな気持ちに包まれていくのが好きだ。

 気づけば、随分と量が増えていた。これだけの量が、ここにあるということは、それだけ赤井さんも買っているということ。彼がお菓子売り場に行ってチョコを買っている所を想像すると、どうしても愛おしく思えてしまって笑った。

 朝から温かい気持ちになりながら、私はチョコの箱を丁寧に引き出しにしまう。
 いつか、何かの拍子にこのボックスを赤井さんが見つけて驚く、その表情がすごく見てみたい。