終わらせたくない夜に抱いて




「みょうじさん、今日はありがとう!これ良かったら持って帰って!」
「わ、ケーキ……!貰っちゃっていいんですか?」
「勿論!みょうじさん、今日一日頑張ってくれたから。明日はそのケーキ食べて良いクリスマスを過ごしてね!」


閉店作業を終えて店を出ると、寒さでぶるりと体が震えた。店長達に「お疲れ様でした!」と頭を下げて、駅への道を歩き出す。

人が足りないと言われて昼から締めまでのシフトになってしまったけど、ケーキも貰えたし、入って良かったなあ。いつもの何倍も忙しかったけれど、そのお陰で時間が経つのもあっという間だった。


先頭車両に乗り込んで、壁に寄り掛かってふう、と小さくため息を吐いた。夕方以降、全く触れていなかったスマホを鞄から取り出す。何気無くホーム画面に視線を落として−−−ひゅっと息を呑んだ。


指先が震える。危うくケーキの箱を落とすところだった。……持ち手をしっかりと握り直してから、一度目を閉じて、ゆっくりと開く。


『XX公園のクリスマスツリーの近くにあるベンチで、待ってる』


見間違いじゃ、ない。それは焦凍くんからの思い掛けないメッセージだった。表示されている時間は3時間前のものだ。その内容に唇が戦慄く。きゅっと引き結んでいないと泣いてしまいそうだ。

何で?頭がパニック状態だ。だって、今日はクリスマスイブで、焦凍くんは恋人と過ごしている筈で。

どうしてこんな日にわたしなんかを待つの?

心臓がばくばくと煩い。XX公園−−−出版社がある駅から歩いて10分くらいの場所に広がる大きな公園だ。そこに向かうなら、わたしが今乗っているのとは逆方向の電車に乗らなければいけない。

もう会わない。そう決めたから連絡も返さなかった。それなのに「待っている」と言われたら、今すぐにでも走り出してしまいそうなわたしがいる。そこに行けば焦凍くんが居る。わたしを、待ってる。−−−いや、きっと、もう居ない。だってこのメッセージが届いたのは3時間も前なのだ。こんな寒い中、返事も返さず既読もつけないわたしを待っている訳が無い。

このメッセージは見なかった事にして、早く家に帰ろう。ショートケーキに合うスパークリングワインを買って、録画した『ホーム・アローン』を観ながらクリスマスの夜を過ごすのだ。電車が次の駅に停車する。扉が開いて、沢山の人が流れるように降りていく。入れ替わるように人が乗り込んで来て、電車の扉はーー


「−……ッ、すみません、降ります!」


体が勝手に動いていた。閉まる直前に電車から降りて、逆方向の電車に乗り込む。何をやっているんだろうと自分でも思うけれど、向かわずには居られなかった。

そのまま何駅か電車に揺られて、目的の駅で降りる。気が付けば走り出していた。頭の中は焦凍くんでいっぱいで、焦凍くんの事しか考えられない。白い息を吐きながら走って、走って、光が溢れる公園の中に飛び込んだ。


広大な園内でも光り輝くクリスマスツリーは一際目立っていた。夜遅くだというのに、ツリーの周りは写真を撮る人たちで溢れ返っている。忙しなく視線を動かして、焦凍くんの姿を探す。いくつか置かれたベンチはカップルで埋まっていて、焦凍くんの姿は何処にも見当たらない。

ぴたり。足を止める。
ベンチに座って幸せそうに寄り添うカップルを見て、唇から乾いた笑いが漏れた。

…………本当に、何やってるんだろう。汗をかいて張り付いたインナーが気持ち悪い。走ったから、きっとケーキも箱の中でぐしゃぐしゃだ。

深く息を吸い込んで、吐く。
帰ろう。

帰って、それから、



「−…………なまえ?」



喧騒の中でわたしの名前を呼ぶその声だけがはっきりと聞こえた。まるで、耳に直接言葉を注ぎ込まれたみたいだった。


手から滑り落ちた箱が潰れる音がする。ああ、これはもう駄目だ。きっと原型を留めていないに違いない。まあ、ぐしゃぐしゃになっていても食べるのはわたしだから構わないか。そんなくだらない事を考えながら、視線は縫い付けられたように''彼''から離れない。

光がボヤけて、歪む。沢山の光が揺らめいて、それはあの日観覧車から見た景色を彷彿させた。

口の中は酷く乾いていて、一歩、また一歩と近付く彼に対して何も言葉を発する事が出来ない。


わたしの目の前に立った焦凍くんの手が、頬に伸びた。触れた指先が思ったよりも冷たくてびくりと肩が跳ねる。確かめるみたいに顔の輪郭をなぞって、戻ってきた手のひらが頬を包んだ。思わず見上げると、ゆらゆらと揺れるふたつの色の違う瞳と視線がぶつかる。


「本物、だよな」


焦凍くんの声は震えていた。「……うん」と返事をしたわたしの声も負けないくらい震えていて、慌てて唇を引き結ぶ。そうしないと涙が溢れてしまうから。−けれど次の瞬間、そんな行動は全く意味が無かった事を思い知る。


瞬きひとつ。

その間にわたしは焦凍くんの腕の中に閉じ込められていた。


「し、」
「会いた、かった」
「っ……」


「……好きだ、なまえ……ッ」


これはわたしに都合の良い夢だろうか。


一瞬そう思ったけれど、痛いくらいに締め付けてくる両腕と「焦凍くん、」と名前を呼んで、体が離れた瞬間に押し付けられた熱い唇。


その全てが、これが現実だとわたしに伝えていた。


ゆっくりと唇が離れても、焦凍くんから視線を逸らすことが出来ない。少し痩せた気がする。前髪も、伸びた。髪に触れようとすると、その手を取られてそっと握られてしまった。……''熱''の個性を持った温かい手。繋がった手のひらから伝わる熱を、確かに体が覚えている。


「……」
「……なまえ……、」
「しょーと、くん」
「…………何だ」
「………………好き、」
「ッ、」
「わたしも、焦凍くんが、好き……」


途切れ途切れで、涙混じりの声だけど初めて告げる事が出来た本当の気持ち。焦凍くんの長い睫毛が揺れた。それから「……ああ、」と小さな声で返事をして、またわたしの体を痛いくらいの力で抱き締める。痛いよ、焦凍くん。声にはならなかったら、心の中でそう言った。涙が堰を切ったように流れ出して来て、わたしは焦凍くんにぎゅうとしがみついて、必死に嗚咽をこらえた。


ああ、もういっそ夢でもいい。
夢でもいいから。


夢ならどうか、醒めないで。