最後は泡となる想い




あれからもわたしは定期的に焦凍くんと連絡を取り合っている。そして今日は、そんな焦凍くんと久しぶりに会う約束をしている日なのだ。会う日が決まってから、ずっと心がそわそわとして落ち着かなかった。つい通販で新しい服と靴を買ってしまったりして。……あと、下着も。普段は身につけないような、フリルが多めのちょっと可愛いやつ。な、何があるか分からないからね!?うん、備えあれば憂いなし!そうだよ、戦闘準備は整えておかなきゃ!

誰に言い訳をしているのか自分でも分からないけれど、そんなわけで今日は下ろしたての下着を身につけてきた。今まで男性と出掛ける経験が無かったから気にして来なかったけど、こういうのって大事な気が……する。髪の毛も前日からちょっとお高めなトリートメントをして、あまりやった事ないネイルにも挑戦してみた。き、気合い入りすぎかな……?でも少しでも焦凍くんに可愛い、って思われたいわたしがいる。彼の隣を歩くのに少しでも恥ずかしくない自分でいたい。


あの日焦凍くんと出会ってから、わたしの世界はがらりと変わった。割と自分の見た目に無頓着な自覚があったけれど、色んなことを気にするようになった。シャンプーを変えたり、体型を気にして甘いものを少し控えるようになったり、些細な事ばかりだけど……!でも働いてるカフェの後輩ちゃんにも『なまえさん、最近可愛くなりました!もしかして恋人でも出来たんですか!?』……なんて事を言われたし、周りから見ても少しだけ変わったのかもしれない。か、変わってるといいなあ。……焦凍くんにもちょっとでも良く思われたいなあ。


思考回路がまるで恋する乙女のよう。でも焦凍くんはわたしには高嶺の花だってことも分かっている。彼と連絡を取り合って分かったことがひとつ。焦凍くんは、本当にあの人気ヒーローの''ショート''だったのだ。うん……確かに見た目はどこからどう見てもショートと同じだったけど……!まさか、という気持ちが強すぎて中々信じる事が出来なかった。いや、信じたくなかったというのが正しいかもしれない。

だって、あのショートに自分が書いたえっちな小説を読まれているわたしって……!つ、辛すぎる。あの出来事のお陰で今日もこうして待ち合わせが出来ているのは分かってるんだけど、定期的に穴があったら入りたい衝動に襲われてしまう。あああ本当に恥ずかしい!


……ふう、と息を吐いてスマホで時間を確認する。まだ約束の時間まで30分以上あった。心の準備をする時間が必要だと思ったから早めに来たけど、正解だった。焦凍くんが来るまでに心を整えておかないと……!


「……なまえ、」
「ひゃっ!??」
「……悪ィ、驚かせたな」
「し、焦凍くん!は、早いね!?」
「それはこっちの台詞だ。……待たせたか?」
「ううんっわたしも今来たところだよ……!」


か、カップルのやり取りみたいだー!?というか焦凍くん、か、格好良すぎでは……!!あの目立つ髪の毛は帽子ですっぽりと隠れているし、顔もあまり見えてないけれど。それでも人の視線を惹きつけるオーラがあるというか、スタイルが良いというか……。うう、イケメンオーラが半端ない。圧倒されてしまう……!


「……し、焦凍くん、じーっと見てどうしたの……わたし何か変かな……」
「いや……」


家を出る前に念入りにチェックしたつもりだったんだけど、もしかして顔に何か付いてる?髪の毛跳ねてたりする?慌てて手で自分の髪を撫でつけようとすると、その手を焦凍くんにがしりと掴まれてしまった。掴まれた腕越しの焦凍くんの顔は、暑さのせいか少しだけ赤く見えた。


「…………すげえ可愛い」
「っ……あ、ありがとう、ございます」
「なまえって、照れると片言になるよな。そんなところも可愛い」
「か、可愛いとか言われ慣れて、ないから……!」
「ふ……じゃあ、これからは慣れねえとな」


これだからイケメンは……!出会って五秒で即翻弄されてる感がつらい。焦凍くんの言葉で熱くなった顔を冷ましてる間に、気付いたら掴まれてるのが腕じゃなくて手になっていた。焦凍くんの左手で握られたわたしの右手。それを呆然と見つめていると、握り方が絡まるものに変わった。


これは、恋人繋ぎというやつでは……!?


「予定より早いけど向かうか」
「あ、あのっ、焦凍くん、手、手がっ……」
「……繋ぎたくねえのか?」
「万が一焦凍くんがショートだってバレた時、その、手繋いでたら流石に誤解されちゃうんじゃないかな……!?」
「?何が駄目なんだ」
「そうなると困るのは焦凍くんだと思うんだけど……っ」
「俺は別に気にしねえ。ま、要するにバレなきゃいいんだろ?」
「う……」
「じゃあ平気だ。なまえが嫌じゃないなら、このままな」


こ、断れない。焦凍くんって何だかすごいなあ。いつもこんな感じなのかな。ちら、と焦凍くんを見ると満足気な表情を浮かべていた。……まあ、いっか。焦凍くんがいいって言ってるんだもん。それに、実は手を繋いでお出掛けするのって憧れのひとつだったんだよね。

……えへへ、叶っちゃった。

−あの日から続いている夢のような時間。実際わたしは夢を見ているのかもしれない。でも、この夢のような時間が続いて欲しいと願ってしまう。

二十四時に解けるはずだった魔法は、解けないまま。わたしは彼の選ぶたった一人のお姫様にはなれないけれど、それでもいい。……いつか後悔する日が来るかもしれない。深入りしてしまう前に離れておくべきだったって、涙する日はきっと来てしまうだろう。……それでも、焦凍くんがわたしの為に時間を作ってくれる今は。今だけは。彼に飽きられてしまうその日までは、お姫様の一人でいさせて欲しい。……なあんて。


……ぎゅっと、手を握り返した。


***


焦凍くんからどこに行くのか全く聞かされてなかったから、連れて来られた場所がまさかの水族館でびっくりした。チケットも事前に買っておいてくれたみたいで、慌てて「払う!」って言ったのに頑なに受け取ってくれなかった。思い返せばこの前のカフェ代も焦凍くんが出してくれたし、奢られっぱなしだ。お昼代は何を言われても絶対にわたしが払う。今決めた。

最近出来たばかりのこの水族館は、大きな水槽と色々な種類のペンギンが目玉らしい。ペンギンと聞いた瞬間、表に出さないように頑張ったけどわたしのテンションはそれはもう爆上がりだった。何を隠そう、わたしは海の生き物の中でも群を抜いてペンギンが好きなのだ……!あの歩き方!見た目!愛らしさ!全てにおいてパーフェクトな生き物だ。そのペンギンを沢山見れるなんて、素晴らしすぎる水族館だと思う。


「……本当に大っきい水槽だね……!」
「すげえな、」
「あっ、焦凍くん見て!小ちゃい魚がお腹にくっついてる……」
「ああ、コバンザメか。あれって頭の吸盤でくっ付いてるんだよな」
「へえー、そうなんだ!詳しいね!」


大きな水槽を沢山の魚が泳いでいる。水族館に来たのなんていつ振りだろう……!行きたいと思っても中々来る機会がなかった場所だけに、興奮から一緒にいる焦凍くんに沢山話し掛けてしまう。それに焦凍くんが何でも知ってるからすごく楽しい……!わたしは心の中でひっそりと焦凍くんをお魚博士と呼ぶことにした。バレたら怒られそうだ。


「あっ、ペンギン!ペンギンだよ焦凍くん!!」
「思ってたより沢山居るんだな。あのベンチに座るか?ゆっくり見たいだろ」
「うん……!ひゃー可愛いなあ……」


焦凍くんに手を引かれてベンチに腰掛ける。か、可愛い!ペンギンがいっぱい居る!よちよち歩きの可愛さに悶絶だ。はああ、と思わず口から幸せな溜め息が漏れる。癒される……。

きっと焦凍くんもこの可愛さに夢中に違いない!と思ったわたしは「ペンギン可愛いねー!」と笑顔で焦凍くんの方を向いた。「ああ、すげえ可愛い」ん、ん?完全に顔こっちに向いてません?それ絶対ペンギン見えてないよね?……ま、まぁいっか。わたしが向いたのと同じタイミングでこっちを向いたに違いない。こういうのは考えたら負けなのだ。


「わたし、ペンギンすっごく好きなの……!もうずっとこの空間に居られる気がする!」
「ああ、知ってる」
「…………え?」
「なまえの本に書いてあった作者のイメージ絵みたいなやつ、ペンギンだったろ。あとSNSのアイコンも。好きなんだろうなと思ったから水族館にしたんだ」
「……そうだったの?」
「なまえが楽しそうで良かった。俺もすげえ楽しい」


微笑んだ焦凍くんに胸がきゅんと音を立てる。ずるいや、焦凍くん。わたしの為にこの場所に来たなんて言われたら、どうしたってときめいてしまう。ベンチに置いた手に手が重ねられて、焦凍くんの顔が見ていられなくなった。


−そこからの時間は本当にあっという間だった。ぐるっと水族館を一周して、最後に見たイルカのショーではびしょ濡れになった。あまり前の方で見ないようにしたのに二人とも想像以上に濡れたから、ショーが終わってから思わず顔を見合わせて笑ってしまった程だ。


「まだちょっと服湿ってるよう……」
「なまえは俺以上の量を頭から浴びてたからな」
「焦凍くんは帽子被ってて良かったね!でも、帰ったらちゃんと乾かさないと駄目だよ?」
「ああ、そうだな」
「……今日は誘ってくれてありがとう。本当に楽しかった!」
「それは俺の台詞だ。……なまえと来れて、良かった」


ガタンゴトン。電車が揺れる。席に座ったわたし達の手はしっかりと繋がっている。周りから見たら、恋人同士に見えているのだろうか。


「……なァなまえ」
「ん、なあに?」
「……まだ、帰したくねえ」


「 今日、泊まってくか 」