夜だけが知っている

(爆豪)


「ね、ばくごーくん、ちゅーしよ……?」


……酔っ払ってここまで厄介になる人間を俺は他に知らない。俺の体に乗っかってぴとりと身を寄せたなまえが至近距離でにへら、と笑う。いつもは頑なに上に乗りたがらない癖によ。

唇をくっつけようとするなまえの口元を手のひらで押さえると「むぐぅ、」と間抜けな声を出しながら不満気に眉を寄せた。

「んー、」
「お前は酔っ払うと発情期に入ったんかって疑問に思うくらい、盛るよなァ」
「んむ、……酔ってないし、盛ってないもん。爆豪くんとちゅーしたいだけだもん」
「素面だったら絶対にンな事言わねェ癖に。……それと」
「?」
「シたいのはキスだけじゃないだろ、なまえチャン」


甘く蕩けた瞳が数回瞬いて、緩む。「うん、」と照れ臭そうに笑いながら、唇ではなく鼻にかぷりと噛み付かれた。何でだ。意味が分からねェ。


「おい」
「ふふ、がぶってしちゃったぁ」
「……ふざけてるとキスさせねェぞ」
「させないって言われてもするもん、」


今度は手で止める事はしなかった。やわっこい唇が押し当てられると、なまえの甘い匂いを間近に感じる。唇をくっつけたまま「んふふ、」となまえが嬉しそうに笑うから、唇をかぷりと食む事でその行動に俺なりの返答をする。


なまえの後頭部に手を回して、柔らかな髪を梳きながらくちゅくちゅと舌を絡めた。そういや今日、美容院行くとか言ってたな。いつもよりも触り心地の良い髪にも、キスにも簡単に夢中になっちまう。酒に酔ってるのはなまえだが、コイツに酔わされてんのは間違い無く俺だ。


「ん、ふぁ、」
「……したかったキスが出来て満足か?」
「……全然、足りない、」
「だろうな?その物足りなさそうな顔見りゃすぐ分かる、」
「じゃあ何でやめちゃうの……?」


俺が着ているTシャツの胸元をぎゅっと握り締めたまま見上げてくるなまえに「それは狙ってやってんのか?」と聞きたくなるのをグッと堪え、不満気に唇を尖らせるなまえの額を指先で軽く弾く。


「お前に翻弄されてる気がしてムカつく、」
「……?」
「……ったく、首を傾げンな」
「続き……」
「わぁったよ。……舌出せ、ほら」


素直に舌を出したなまえの舌を吸い上げてから自分の口内へと招き入れる。吸って、絡めて、また吸って。口端から溢れる唾液を掬って、今度はなまえの好きな上顎を舌で刺激してやる。徐々になまえの体から力が抜け始めて、俺は一つ笑みを漏らす。絶対にやめてやらねェ。そうして数分間キスを続けた後、押さえ付けていた後頭部をゆっくり解放してやるとなまえは息も絶え絶えになってぐったりと脱力していた。


「……ばく、ごぉ、くん……」
「ア?」
「何でそんなに余裕そうなの……?」
「どういう意味だよ、」
「……いつも不思議に思ってた……だってちゅーしてるのは一緒なのに、わたしばっかり……酸欠になる……」
「息すんのが下手なんだよ、お前」
「……ばくごーくんは上手?」
「フツー」


「普通かぁ……」納得したんだか納得してないんだか。なまえはとろんとした瞳を更に細めて「じゃあわたしはばくごーくんより上手になる!」と意味不明な事を言い始めた。マジで意味分かんね。


「何言ってんだか」
「今のわたしはばくごーくんよりちゅーが下手でしょー?で、ばくごーくんは普通なんでしょ?だったら、わたし上手になりたい」
「上手に、ねェ……お前には無理だな」
「やぁだ……」
「ん、……まだすんのか、キス」
「上手になるもん……」


力の入った唇がちゅう、と押し付けられて思わず笑ってしまう。キスが上手いヤツはな、こんな歯がぶつかりそうなキスしねェんだよ。


「下手くそ」
「ん、……少なく見積もっても百回以上ばくごーくんとキスしてると思うんだけど……どうして下手なんだろ?」
「千回の間違いじゃねェの」
「直すところ、そこ?」
「そこだ」
「んー、じゃあ、一万回くらいちゅうしたら、上手になるかなー」
「ハ、そん時には俺もお前もジジイとババアになってるだろうな、」
「ヨボヨボのお爺ちゃんとお婆ちゃんになっても、わたしとばくごーくんはちゅーするの!」
「−……」


−−この時うっかり泣きそうになったのは、俺だけの秘密だ。誰にもバレやしない。ちゃんと墓まで持って行く。俺は死んでもこの女の前では涙を見せないと、そう決めているのだ。


−−しかしまァ、なまえの思い描く未来に、爺さんと婆さんになった俺となまえが居んのか。ここから何十年後かの、誰にも分からない未来の話。この女が一体どんな想像をしているのかは分からねェが「ばくごーくんはきっとお爺ちゃんになっても格好良いから大丈夫だよー」そんな事を言って、へにゃりと笑うから気が抜ける。……ったく何が大丈夫なんだよ。


まァでもコイツがそう言うからには……きっと、大丈夫なのだろう。

「ひゃ、」

なまえを抱き締めた事に、特に意味は無い。ただ、この腕の中に閉じ込めたくなった。……それだけだ。そして柄にも無く『好きだ』とストレートな愛の言葉を口にしたくなった自分自身にむず痒くなり、口を噤む。


「……ばくごーくん、どうしたの?」
「どうも、しねェよ」


この腕の中からどうか零れ落ちないで欲しい。この世界から全てがなくなったとしても、お前さえ居れば、俺はそれでいい。それだけでいい。ヒーロー失格だと笑うか?ヒーローなんて辞めちまえと罵るか?


でもこれが爆心地じゃない、''爆豪勝己''の本音だ。自分の行動や言動に、拍手も称賛もいらない。これが俺という人間が辿り着いた、ただ一つの答えだった。


酒に弱いお前で良い。キスが下手なお前で良い。長風呂し過ぎて逆上せる様なお前で良い。臆病で、不器用で、泣き虫な−−そんなお前が、良いんだ。


「……やっぱお前、キス下手なままで良いわ」
「えー」
「良いだろ。俺以外にキスのテクニックを披露する機会なんてねェんだからよ」
「むぅ……ばくごーくんを満足させたいのにー……」
「…………必要ねェよ」


お前が居れば、俺はそれで。