(爆豪)
電車が遅延した所為で予定の時刻よりも大分帰るのが遅くなってしまった。もう少し早い時間に帰れる予定だったのに、時計を見れば日付が変わるギリギリの時間だ。電車に乗り込む前に送ったメッセージには既読が付いていたが、この時間じゃ寝てんだろうな、多分。
駅まで迎えに行きたい、と言っていたが断っておいて正解だった。そもそもこんな時間になまえを一人で出歩かせたくない。
家が近付くにつれ、なまえに会いたくて気持ちが逸る。自然と踏み出す一歩は大きくなり、駅から家までの過去最速タイムを叩き出してしまった。
鍵を挿し込み、なまえが眠っている事を考えて出来るだけ音を立てないようゆっくりとドアを開ける。リビングの明かりは点いていた。
ーーなまえはソファに座っていた。一瞬起きているのかと思ったが、俺が贈ったぬいぐるみを膝の上に乗せしっかりと抱き込んだ状態で、その頭に頬を寄せている。瞳は伏せられて、すう、すうと安らかな寝息を立てていた。
( 寝るならちゃんとベッドで寝ろっていつも言ってんのによ )
荷物を置いて、寝辛そうな体勢にも関わらず寝入っているなまえの前にしゃがみ込む。薄っすらと目の下に浮かんだ隈に思わず眉を顰めた。まともに寝てねえな、コイツ。その隈をなぞる様にそっと指で触れる。ぴく、と伏せられていた睫毛が揺れて、ゆっくりと開いた。
俺を視界に入れたなまえは「あれ……ばくごーくん……?」とまだ半開きの瞳を眠たそうに数回瞬かせ、そして状況を理解したのか一気に覚醒した。なまえの腕の中から落っこちたぬいぐるみを受け止め、はくはくと口を開いたり閉じたりしている間抜け面のなまえを眺めてみる。
「……なまえ、」
取り敢えず名前を呼んでみるとなまえの片目から溢れた涙が頬を伝ったので、それが流れ落ちる前に抱き締めておく。背中に回された腕が俺のシャツをしっかりと掴んだ。離さない、と言われてるようで喉のあたりがじんわりと熱くなる。そして腕の中のなまえから伝わる確かな体温に、柄にもなく俺まで泣きそうになった。
……あァ、帰って来たんだな。
「お、おかえりなさい……っ」
「おう、……ただいま」
「わたし気が付いたら寝ちゃってて……ちゃんとお迎えしたかったのに、」
「いいんだよ、そんな事は」
「っ……本物の爆豪くんだあ……」
偽物であってたまるか、と鼻で笑えばなまえがえぐえぐと子どものように泣きじゃくりながら必死で縋り付いてきた。片手で髪を梳く動作を何度も繰り返し、少しひんやりとした耳に口付けてやる。耳から瞼へ、そして頬、鼻先。辿り着いた唇を柔く食めば、涙の味がした。
俺に身を委ねているなまえの頬に手を添え、ここに居る事を確かめるみたいに触れるだけの口付けをする。何度も、何度も。
ゆっくり唇を離し、至近距離で涙で濡れた瞳を覗き込む。この隈がなきゃ最高だったな、なんて思いながらまた顔を傾けて唇を重ねた。
「……ん、爆豪くん、……」
「……あ?」
「無事に帰って来てくれて、嬉しい」
決して綺麗とは言い難い、涙でぐしゃぐしゃで下手くそな笑顔を世界一綺麗だ、と思った。そして同時にどうしようもなく愛おしく思った。この感情を上手く表す言葉が見つからない。ただ、愛おしさだけが募る。
涙で汚い顔を胸に押し付けると、なまえが戸惑いの声を上げた。悪いが今は顔を見せる訳にいかない。
「お前がいい子で待ってる限り、俺は絶対に無事に帰って来る。俺の心配は要らねェんだよ」
「うん、」
「寂しかったか、なまえ」
「……寂しかった」
「……そうか」
会わない間にまた一回り小さくなった気がする体を大切に抱き込んで、もう一度耳元で「ただいま」と囁いた。ひくりと震えた肩を宥めるようにそっと撫で、俺の腕の中で縮こまるなまえの名を呼ぶ。
「あのぬいぐるみに、ちゃんと悪い夢を喰ってもらったか?」
「バクタロー……?」
「あー、そういやそんな名前だったな」
「うん、いっぱい食べてもらった。バクタローのお腹、はち切れる寸前だと思う」
「……そりゃ、良かった」
あの貘のぬいぐるみの腹が満たされてるイコール、俺が居ない間なまえは悪夢に魘され続けてたって事になる。大分落ち着いたと思っていたが……駄目、なんだな。
なまえを抱き締める際に床に置いたぬいぐるみに視線を向ける。相変わらず可愛くねェ面。俺が居ない間位ちゃんとコイツの事守れや、クソ。
視線をぬいぐるみからなまえへと戻すと、「爆豪くん?」と上目遣いで俺の顔を見上げていた。意図せず涙で潤んだその表情に、車内で覚えたあの熱がぶり返しそうになるのを必死に堪える。……抱き潰すのは今日じゃねェ、明日だ。しっかり睡眠を取らせて、明日は一日中抱く。そうだ、まずはコイツの安眠第一。
溜まりかけた熱を散らすように息を吐く。
「よし、寝んぞなまえ」
「えっ……い、いきなりだね……?」
「寝落ちしかけてただろ?因みに俺もクソ眠ィ」
「……本当にお疲れ様、爆豪くん」
「ん」
「但し寝るのはここじゃなくベッドだ」と言えば、返事の代わりにこくこくと頷かれる。抱き着いたままのなまえの体を丁寧に横抱きにして、俺の胸にぎゅっとしがみ付くなまえの頭のてっぺんに口付けを落とした。
「……お前、軽くなったんじゃねェか?」
「そんな事ないと思うけど、」
「いや、絶対痩せた。明日以降、死ぬ程食わすから覚悟しとけ」
「せ、折角痩せたのに……?」
「ああそうだ、それで思い出したけどお前の好きなチーズケーキ買ってきた」
「え!チーズケーキ……」
ぱっと顔を上げたなまえにゲンキンな奴だ、と喉を鳴らして笑う。そう、お前は色気より食い気な位で丁度良い。明るい表情を見せた事に安堵して「お前が全部食って良いぜ」と言えば「それは流石に、」と頬を染めながら返された。
くだらない会話をしながら寝室へと向かう。なまえの体をベッドに下ろしその横に横たわると、たかが一週間離れていただけだと言うのに、こうしてなまえと同じ毛布を共有する事が酷く懐かしく感じられた。
「もっとこっち来い、」
「うん……えへへ、爆豪くんあったかい」
いつものように自身の腕を枕の代わりになまえの頭の下に敷き、しっかりと抱き込む。ーーよっぽど寝不足だったのだろう。数分と経たない内に健やかな寝息を立て始めたなまえの寝顔をじい、と見つめる。
「……なまえ」
確かに俺の腕の中にいる。温かい。消えていない。此処に、いる。
細く柔らかな髪を掬い上げて、その毛先にそっと唇を触れさせた。