(緑谷)
ふわりと石鹸のような心地良い香りが鼻腔をくすぐる。うわあ、いい匂い。無意識のうちにすん、と鼻を鳴らしてからその匂いが隣に立っている女の子のものだと気付いて思わず固まった。
僕は今、コンビニのお菓子コーナーの前にいる。発売したばかりのプロヒーローウエハース(1個100円でカードが1枚入っている!)の新弾を買いに来たところだ。狙いはオールマイトのカードで、今回のURカードが最高に格好良いのなんのって……!お小遣い的に沢山は買えないから、どれにしようか数分悩んでいたところだったのだ。
すっと僕の目の前に白い手が伸びて来て、ウエハースを掴む。あ、この子もプロヒーローウエハースを買いに来たんだ。なんて思いながらちらりと視線を向けると、目が合った。女の子と接する機会があまり無い僕だ。いい匂いのする女の子と''目が合った''という事実だけで「ひえ、」と思わず情けない声を漏らして勢い良く目を逸らしてしまった。泣きたい。最悪だ。絶対気持ち悪いって思われた!
じわりじわりと頬に熱が集まる。くすっと微かな笑い声が聞こえたのはそれと同時だった。恐る恐る彼女の方に目を向けると、ウエハースを片手にニコニコと笑っている。
「好きなんですか?ヒーロー」
「へっ、え!?ぼっ僕ですか!?」
「うん。凄く真剣な顔してどれにしようか悩んでたから」
思わず見ちゃってごめんなさい、と女の子が眉を下げて笑う。僕は赤くなった顔をブンブンと振った。いい匂いだなぁ、なんて考えて不躾に見てしまったのは僕の方だ!
「わたしも好きなんです、ヒーロー。このウエハースも第1弾からコツコツ集めてて!」
「ぼ、僕も……!昔から集めてる!発売日にどうしても買いたくって……それで……」
しどろもどろで返事をするどう見ても不審な僕に「良かったら一緒に開封しませんか?」と言ってくれる彼女は天使か何かだと思う。ウエハースと飲み物を買ってコンビニを出た。近くの公園で開けましょう!という提案に二つ返事で頷いて、二人並んで歩く。人生で初めての夢のような出来事にドキドキが止まらない。隣を歩く彼女から時折香るあの匂いがドキドキを加速させる。す、すごい……女の子と並んで歩いてるよ僕……!
「あ、わたしみょうじなまえっていいます。中学三年生で」
「!ぼ、僕も!同い年だったのか……あっ、緑谷出久です。よ、よろしくね」
「わぁ、同い年!ヒーロー好きだしなんか親近感湧いちゃうなあ……へへ。声掛けて良かった!」
うっ……ニコニコ笑うみょうじさんが眩しくて目が潰れそうだ。互いの学校のこととか他愛もない話をしている間に公園に着いて、丁度空いていたベンチに二人で腰掛ける。出会ってまだ一時間も経っていないけれど、みょうじさんの持つ独特の雰囲気というか親しみやすさがとても心地良くて。互いに好きな''ヒーロー''という共通の話題もあってか、僕たちはあっという間に仲良くなった。
「緑谷くんはやっぱり新弾もオールマイト狙いなの?」
「うん!絵柄が発表された時からぜっっったい手に入れる、って決めてたんだ!みょうじさんは?」
「わたしは緑谷くんみたいに特定の誰かの熱烈なフォロワーって訳じゃないからなあ。うーん……あ、でもベストジーニストは欲しいかも……エンデヴァーも格好良いし」
むむむ、と真剣に考える姿にくすりと笑みが溢れる。
「取り敢えず開けてみよっか?」
「そうだね!この瞬間が一番ドキドキする……!」
みょうじさんの隣で袋を破りながら、昔のことを思い出していた。幼い頃はかっちゃんと買いに行ったっけ。今じゃもう考えられないけど……。中学校に入って、このウエハースを開ける時はいつもひとりだった。ひとりでわくわくドキドキして……でも今はみょうじさんと一緒だ。胸がむずむずする感覚を抑えるように深呼吸して、カードを取り出す。
「わ、わーーー!見て!緑谷くん!」
「へ?わああ凄い!URオールマイト!?しかも箔押しサイン入り!??超プレミアじゃんか!!みょうじさん凄いよ!」
「箔押しってホントに存在したんだ……!す、すごい……キラキラしてる……!あっ緑谷くんは何だったの?」
「えっとね、僕は……あ、SRだけどベストジーニストだ!か、格好良い〜〜!」
二人でカード片手に、このポーズが良いとかこの表情が最高だとか熱く語り合う。にしても箔押しオールマイト……凄い……実物を拝める日が来るとは思わなかった……!みょうじさんとの出会いに感謝だ。もしまた会う機会があれば是非見せてもらいたい……!
「ね、緑谷くん緑谷くん」
「ん……?なあに?」
「わたしのオールマイトと緑谷くんのベストジーニスト、交換してもらえないかな?」
「え、……えええ!?何言ってるのみょうじさん!それは超激レアでもう二度とお目にかかれないかもしれないんだよ!?それに君だってオールマイトは好きだって言ってたじゃないか……」
「うん、確かにオールマイトは好きだよ。でも緑谷くんとお話ししてて、本当にオールマイトが好きなんだなって気持ち伝わって来たの。だからきっと、このカードは緑谷くんに持っててもらうのが一番だと思うの!」
それにわたし、ベストジーニスト狙いだったし交換してもらえたら嬉しい!とはにかむみょうじさんに何も言えなくなってしまう。だって、彼女は第一弾から集めてるかなりのコレクターの筈だ。UR、しかも箔押しサインのオールマイトを手放したい訳が無い。公園に向かいながらオールマイトについて熱く語った僕の為に言ってくれてるんだと思うと、嬉しさと申し訳なさがごちゃ混ぜになる。
「緑谷くんなら、わたしより凄く凄く大事にしてくれると思うし……ん〜〜何て言うのかな……二人の出会いの記念に!みたいな!」
「……本当にいいの?」
「うん!勿論!これはオールマイトが大好きな緑谷くんが持ってるべきだよ!」
ニコニコと笑う彼女から真っ直ぐな思いを感じて僕は少し涙目になった。あまり人の優しさに触れる機会が無いからだろうか。みょうじさんの裏のない笑顔にとても心が温まるのだ。ありがとう、と言いながらみょうじさんの手からカードを受け取る。そして僕もベストジーニストを彼女に渡した。
「ホントにホントにありがとうっ……!僕の宝物にするよ……!」
「そんなに喜んでもらえるとわたしまで嬉しくなっちゃうなあ。こちらこそありがとうっ」
「僕もみょうじさんに何かお返しが出来たらいいんだけど……」
「お返しなんて……あ、じゃあ!これからも偶にでいいからわたしと会ってくれる?折角ヒーロー好きの緑谷くんと知り合えたんだし、もっともっと仲良くなりたい!」
ぎゅうと力強く手を握られて、ぼぼぼと顔に熱が集まる。至近距離で見ると少し色素の薄い茶色の瞳と、長い睫毛がとても綺麗だ。それになんだか凄く、手が、熱い。
「わ、ごめん……無意識に手握っちゃった……!熱かったでしょう、わたしの手」
「う、うん。確かにちょっと熱い、かな……?」
「これね、わたしの個性。人より体温が高くて、手があったかいの」
別に炎とかが出るわけでもないし、しょーもないでしょ?と眉を下げる彼女に僕はぶんぶんと首を横に振った。''無個性''の僕からしたら個性があるというだけで羨ましいし、じんわりと温かい彼女の手は彼女の人柄を表しているようでこうして握っているだけで落ち着くというか安心するというか、不思議な力を感じる。
「とても素敵な個性だと僕は思うよ」
「……えへへ、ありがとう緑谷くん。わたしの幼馴染もね、なまえの手は癒しの手だ!自信持てーっていつも言ってくれるの」
「……いい、幼馴染だね」
「うん。あ、緑谷くんの個性はなあに?」
ぎくりとした。現代社会において個性を持っていないという事実は何よりも罪深い。''無個性''というだけで人の見る目は簡単に変わってしまうのだ。心優しいみょうじさんだって僕が無個性だと知ったらもう会わないと言うかもしれない。折角仲良くなれたのに。こんな素敵な女の子と知り合えたのに。嫌われたくない。でも彼女に嘘は吐きたくない。ごくりと生唾を飲み込んで、澄んだ瞳を見つめ返す。
「……僕、無個性なんだ」
心臓が破裂しそうだ。無個性だと告げて向けられるのは嘲笑か同情。どちらも沢山経験しているから慣れてはいるけれど、それでもやはり辛いものは辛い。ぐぐ、と唇を噛み締めた僕の手は再度温もりに包まれた。柔らかくて、あたたかな手だ。
「緑谷くん、そんな顔しないで」
「みょうじ、さん……」
「ごめんね。言わせちゃった。……でも、言ってくれてありがとう。優しいね緑谷くん」
顔を上げられなかった。同い年だとは思えない、落ち着いた声が降ってくる。同情や憐憫じゃない。柔らかな彼女の声に僕の涙腺が決壊するのは一瞬だった。
「どんな凄い個性を持ってたとしても、無個性だとしても……わたしは今日、真剣な顔をしてウエハースを選んでた緑谷くんに声を掛けたと思うよ。個性とか関係無く、わたしは緑谷くんと友達になりたいと思ったから」
だから何も変わらないよ、という言葉は心の柔らかい部分を包み込む。「泣かないで、」と彼女の指先が目尻から落ちた涙を掬い上げた。頬に触れた手の温もりが不思議と心を穏やかにしてくれる。彼女の手は本当に魔法の手なのかもしれない。
「あり、がとう……僕も、君と友達になれて嬉しい……すごく、すごく嬉しいよ」
−これが僕となまえちゃんの出会いだ。連絡先を交換した僕たちは定期的に会って色んな話をするようになった。出久くん、なまえちゃんと名前で呼び合うくらい仲良くなったし、今では友だちだけじゃなく、違う意味で僕にとってなまえちゃんは''トクベツ''な女の子だ。そんな彼女はなんと雄英高校を受験するらしい!ヒーロー科ではなく普通科を志望してると言ってたけれど、なまえちゃんはとても賢いしきっと、いや確実に受かるんじゃないかと思ってる。なまえちゃんの話に良く出てくる幼馴染の''えいちゃん''も雄英のヒーロー科を受験するそうだ。……僕は彼女と同じ学校に通うことが出来るのだろうか?
運命の日は、案外すぐそばに。