「ごめんね。ほんとに奢ってもらっちゃって」
「別に」
てっきりあの場を切り抜けるための方便だったと思っていたのだが、花宮は本当に名前と飲むつもりだったらしく、帰ろうとした名前を引き止めて近くの居酒屋に入った。2時間ほど他愛のない話をして店を出た2人は今住んでいる場所が道路を挟んで向かい合わせな事を知り、歩いて帰路についていた。
「送ってくれてありがとう」
「通り道だっただけだ」
「でも、ありがと」
「ああ」
「じゃあ、気をつけて帰ってね」
「ああ」
「…?花宮?」
自分の住むマンションの前で足を止めた名前に倣って花宮も足を止める。最初の方こそ会話をしていたが、徐々に花宮からの返事が相槌だけになっていく事に疑問を持った名前が頭一つ分ほど高い位置にある花宮の顔を見つめる。花宮もまた名前の顔をじっと見つめていて、逸らすに逸らせなくなってしまう。
「ねえ、どうしたの?」
「苗字、」
「なに、っ…!?」
花宮はどちらかと言えば、というより世間一般的にはかなり美人の部類に入る。その性格のせいで名前はあまり花宮を見てもイケメンだなんだと騒ぐことはなかったが、こうも黙って見つめられると花宮の顔がどれだけ整っているかを思い知らされるようで照れてしまう。
花宮にしては珍しいその行動に疑問の声を上げればそれに被せるように花宮の声が夜の通りにぽつりと響く。返事をしようと名前が口を開くのと同時に右手が引かれ、ぐらりと体が傾く。花宮の手が顎に触れて上を向かされ唇に熱が触れる。あまりの早業に名前は何が起きたのか全く分からず、ぽかんとしていた。
「じゃあな」
「へ…あ、うん…?」
そんな名前の顔を見てふっ、と笑った花宮は名前の頭をぽんと撫でて自分のマンションに足を向けた。花宮の姿が見えなくなってから、よろよろと名前も自分の部屋に向かい、玄関の扉を閉めて鍵をかけた所でその場に座り込んだ。
「…はなみや、きす、した…?」
何が何だか全くわからないが、唇に触れた熱と花宮との顔の距離を考えれば出る答えは一つしかない。それに加えて去り際の花宮の表情が名前の頭から離れない。花宮という男はあんなにも優しく笑う男だっただろうか。腰が抜けてしまったのか、名前は暫くの間そこから動くことが出来なかった。