(Side:萩原)
「どういう事?」と首を傾げた俺に「…僕が聞きたいくらいですよ」と安室がため息を吐く。あの後、取り調べを受けた女は『安室さんにしか話さない』の一点張りでだんまりを決め込んでいるそうだ。
「その方とはポアロで数回お会いした程度ですし、特別な話をするような間柄では無いはずなんですが…困りましたね」と肩を竦めた安室に一つだけ、思い当たることがあった。あの事件の日、病院に向かう途中で香澄ちゃんが話していた『家族も友人も、大事な人を失って得た孤独で強くなる』という言葉。
「香澄ちゃんがあの女に言われたって言ってたんだけどさ、これ、お前のことなんじゃねぇの」と声を潜めて安室…と言うより降谷をジッと見る。コイツのことだから、俺の声色と視線で降谷に向けての言葉だと分かっているはず。
ほんの一瞬だけ動きを止めて「その、根拠は?」と俺を見た安室の目は、間違い無く降谷の顔で。あの日からずっと考えていた事を、俺はゆっくりと降谷に話す。俺は香澄ちゃんを助けたことで結果的に命を救われた。
あの日、あの場所で香澄ちゃんに出会わなければ、俺は確実に死んでいた。松田も、諸伏も、伊達も、全員が命の危険に晒される瞬間があって、全員が危機一髪で切り抜けている。
けれど、もし全員が切り抜けられていなかったとしたら。「お前は、一人になってただろ。あの女が言う通り『家族も友達も、誰もいない孤独』だ」と降谷を見れば、きゅっと眉間にシワが寄る。
それと、もう一つ。あの女がやたらと言っていた『原作通り』という言葉。俺と松田が死んでいなければいけない、ということは、あの女の中で俺と松田は死んでいることになっている。そして、その通りになっていない事に憤っている。
「夢と現実を混同させてるだけなのかもしれねぇけど、そうじゃなかったら?原作って言葉が本当にそのままの意味を示していたら?」と言葉を続ける俺に降谷の表情が険しくなる。
「随分と、回りくどい言い方をされますね。一体、何が言いたいんです?」と態とらしく肩を竦めた降谷が、俺の前にコーヒーカップを置く。俺だって、こんな突飛な話、有り得ねぇと思ってる。でも、そうとしか考えられない。
俺たちが登場する物語があるとしたら。その物語のシナリオ通りに進んでいない事に憤っていたのだとしたら。あの女の中の物語と同じ結末を迎えたいのだとしたら。たられば、で済めばそれでいい。あの女が作り出した荒唐無稽な物語なら、それでいい。
一つずつ、確かめるように言葉にして、真っ直ぐに降谷の目を見る。「本当なら知ってちゃいけないことを、あの女が知っていたら。マズいんじゃねぇの」と告げれば、降谷は小さく息を吐く。幸運にも店内には俺と降谷だけ。
スッと目を伏せた降谷が「その女が『家族も友人も、大事な人を失って得た孤独で強くなる』と言っていたのは、本当なんだよな?」と俺を見る。「ああ、香澄ちゃんがそう言われたって言ってたよ」と頷いてコーヒーにミルクを入れる。
詳しい事情は聞いていない。降谷にはこうしてポアロで会っているけれど、諸伏にはここ数年一度も会っていない。だからこそ、二人の状況はある程度察している。素性が知れることがマズイことなんだろうと察して、俺たちも必要以上に踏み込んだりはしない。
でも、俺たちが踏み込まずにいたラインを越えようとしている奴がいるのなら。それは、二人の命を今までよりもずっと危険に晒すことに他ならない。「俺は、香澄ちゃんも、お前らも、誰一人亡くしたくないよ」と降谷を見れば、泣きそうな顔でくしゃりと笑った降谷が「僕も、亡くすつもりなんて無いよ」と呟く。
もうこれ以上の言葉は不要だろうと、ミルクを入れて甘くなったコーヒーを一気に飲み干す。「進展あったら、ちゃぁんと教えてくれよな。安室ちゃん」とテーブルの上にお金を置いて立ち上がり、ひらひらと手を振ってポアロを出た俺に「ありがとうございました」と軽やかな安室の声が飛んできた。
それから数日後、ポアロを訪れた俺に「萩原さんの言った通りでした。やっぱり猫は室内で飼わないとダメですね」と安室が肩を竦める。
「だから言ったじゃん。目の届かない所で何かされる前に室内飼いにしなって」と笑いかけてカウンターに座れば「油断するとすぐに外に出ようとするので大変で大変で」と安室がクスクス笑うから、一緒にポアロに来ていた香澄ちゃんがキョトリと目を瞬かせる。
「安室さん、猫ちゃん飼い始めたんですか?」と首を傾げる香澄ちゃんに「偶然拾いまして。まだ飼うかどうかは分からないんですけど、一時的に保護してるんです」と安室が言うから「そうなんですね」と香澄ちゃんもふわりと笑う。
どこか楽しげな声に「もしかして香澄ちゃん猫好き?」と首を傾げれば「猫も好きですけど、わんちゃんの方が好きです」と楽しげな声が返ってくる。「じゃあ今度安室ちゃんちのワンちゃんに会わせてもらおうぜ」と笑いかければ「えっ、安室さんち、わんちゃんいるんですか!?」と香澄ちゃんの目がキラキラと輝く。
「香澄さんさえ良ければ是非。仲良くしてあげてください」と笑った安室に「わ、嬉しい…!楽しみにしてます!」と香澄ちゃんが花が咲くように笑う。あの女がどうなったのか、なんて香澄ちゃんは知らなくていい。
俺の隣でずっと笑っていてくれるのならそれでいい。髪の毛を梳くように頭を撫でれば、香澄ちゃんは恥ずかしそうに頬を染めた。