熱2


からんからんとベルが鳴る。
いらっしゃいませ、と告げた店員が続けてお一人様ですか?と聞いてきたので首を横に振った。

「先に来てる人がいるんですけど……」

店内を見回すと店の最奥の席で片手を挙げている知人がいた。今日はおしゃぶりはしていない。
店員に会釈して程よくにぎやかな店内を奥に進む。知人と向かい合うように座った。

「ごめん。遅れて」

「いや、構わん。呼びつけてるのはこっちだしな。元気だったか?」

「まあ、それなりに」

水を持ってきた店員にオレンジジュースを注文する。
私の向かいに座っている知人コエンマは、霊界といういわゆる「あの世」ではかなりのお偉いさんらしい。何百年?何千年?と長く生きているそうだが、その外見はせいぜい20代後半だ。霊界では歳をとらないの?と聞いたことがあった。歳はとるが、お前達とはスピードが違うのだ。とのことだった。

「もうお前も高校生か」

この前まで小学生だったのにな。と私が着ているセーラー服を見てしみじみコエンマが言う。何年も前のことを「この前」だなんて、おっさんみたいだなと思う。実際はおっさんどころかじじぃなわけだが。

コエンマとは兄を通して知り合った。霊界探偵をしていた兄だ。強大な霊力と豊富な戦闘経験を持っていた兄は随分と霊界に貢献したらしい。元上司であるコエンマは未だに兄を気にかけていて、こうして度々私を訪ねてくる。兄の行方の手がかりを求めて。

仙水忍。それが私の兄の名前だった。

「もう高校生だし、もう2年生だよ」

「2年生かぁ。時が経つのは早いものだな。学校は楽しいか?」

「つまんない」

店員さんが運んできたオレンジジュースを目の前に置いてくれる。ストローさしてかき混ぜると氷がカラカラと音を立てた。

「只でさえ進学校で勉強漬けの毎日なのに、2年生になって特進クラスに入っちゃったから皆毎日勉強の話しかしない。お昼食べながら、さっきのはテストに出そうだの、どこの参考書は分かりやすいだのと、ご飯がまずくなる」

眉間に皺を寄せて吐き捨てるように言うとコエンマが苦笑いをした。

「お前は相変わらずはっきりものを言うな。中学で仲良かった子も同じ学校なんだろう?一緒じゃないのか?」

「あの子馬鹿だから特進クラスに入れなかった」

はっきり言い過ぎだとコエンマは笑って多分もうぬるいだろうブラックコーヒーをすすった。

中学から仲良かった友人の梓は2年になってクラスが分かれてしまった。勉強が苦手で盟王に入れたこと自体が奇跡なあの子は特進クラスに入れる訳がなかった。分かっていたといえ、残念ではあった。
一方で梓は私とクラスが分かれたことより、あの男とクラスが分かれたことを気にしていた。まったく友達甲斐のないやつだ。あの男、南野秀一が実は人間じゃないと知ったら梓はどうするんだろう。

そういえば、南野秀一のことをコエンマに話していなかった。

「クラスメイトにさ、妖怪がいるんだけど」

「は?」

「そいつがさ、妖怪のくせに成績トップで人当たりも良くておまけに顔も整ってるもんだから学校中でおモテでして」

「ちょちょちょ、ちょっと待て。クラスに妖怪がいるのか?」

「うん。1年の時から同じクラス」

「1年の時からぁ?」

素っ頓狂な声を出したコエンマを見る。

「私も入学式で見かけた時はびっくりしたんだけど、人間に危害を加える訳でもないし。むしろ私よりクラスに馴染んでてさ」

「お前協調性ないもんな」

余計なお世話だ。

「そいつがさ、春休み明けたら急に妖力が強くなってて」

「危なそうなのか?」

「いや、別に。元々そんなに強くないんだよね。今でもその気になればいつでも首飛ばせると思うし」

「物騒なこと言うな」

しかめっ面をしたコエンマを見て思わず苦笑いする。

「今更でしょ。物心ついた時から妖怪退治が日常だったし。そいつも妖力が強くなった以外は変わらずクラスに馴染んでるけどさ。馴染んでるとはいえ、妖怪だし。ちょっと気になってて、この前……」

オレンジジュースのグラスが結露した水分で濡れていく。指でふき取るようにグラスをなぞる。冷たい。

「この前、ちょっと絡んだら、目をつけられちゃって」

「なに!?」

コエンマが身を乗り出してきた。そのせいでほとんど中身のなくなったコーヒーカップががちゃん!と音を立てた。店内の視線が少しだけ集まった。

「目をつけられたってどういうことだ。絡んだってお前何したんだ」

「大したことしてないよ。ちょっと質問しただけ」

「質問って何を聞いたんだ」

「『どうして人間に紛れて暮らしてるの?』って」

「……向こうはなんて答えたんだ」

「『色々あってね』」

「……色々って何だ」

「さぁ」

私が肩を竦めると、コエンマが乗り出していた身を引いて背凭れに背中を預けた。

「目をつけられたって具体的に何かされてるのか」

「まぁ、」

ちょっとここでは言えないようなことを。

「別に襲われたとかではないよ」

いやある意味襲われたけど。なんだったらここに来る前も襲われてきましたけど。流石にそこまでは言えないしな。とストローでジュースをかき混ぜる。あの日からもう1ヵ月が経ったのか。コエンマじゃないけど時が経つのは早い。あの日のことがやけに印象深くて、昨日のことのように思い出せる。

「ん?ちょっと待てよ。瑞樹お前の高校って盟王学園高校だったか?」

「え?そうだけど」

「なんだ。じゃあその妖怪は蔵馬のことか?」

「くらま?」

「人間界での名前は『南野秀一』だったかな」

なるほど。だとしたら『色々あってね』にも納得がいくな。と1人で勝手に話を進めだしたコエンマを見ながら頭の中で今聞いたばかりの名前を反芻する。

くらま。くらま?みなみのしゅういちじゃなくて?

くらま。蔵馬。南野秀一ではなく蔵馬。

私の知らない

南野秀一。



今度は私が身を乗り出した。

「コエンマ、ちょっとその蔵馬について詳しく教えてくんない?」




***




「蔵馬」

そっと呼んだ名前に目の前の南野秀一がぱちくりなんて擬音がぴったりな瞬きをした。前から思ってたけどエメラルドグリーンの瞳が綺麗だな。

「っていうの。本当は」

「ええ。まぁ。……誰から聞いたんですか?」

「内緒」

にやっと笑って答える。多分悪戯が成功した子供のような顔をしていたと思う。この男の驚いた顔なんて新鮮だ。コエンマから色々聞き出しておいて良かった。
あの日から、妖怪を始末した日は南野秀一と行為に及ぶのが習慣になっていた。最初は抵抗したものの、南野秀一の強引とも言える用意周到さとその都度適当な相手を探してタイミングをみて声をかけるという手間が省かれたことによる楽さに負けて今は従順だ。あと、当たり前だが15年程度しか生きていない同級生達より千年生きてるこの妖怪の方がセックスがうまい。

「なんで内緒なんですか」

「それを言ったら言ったも同然だから内緒」

驚いた顔から少しむくれたような顔をする。意外と表情豊かだな。満足して立ち上がる。

「瑞樹」

腕を掴んで引き止められた。

「なに?」

「瑞樹は……」

押し黙った南野秀一を見る。

「言いたいことがないなら、離して。今日は用事あるから早く帰りたい」

「用事ってなんですか」

「久しぶりに兄に会うの」

「お兄さん?兄弟なんていたんですか」

「一緒には住んでないよ。父親が違うし、向こうは社会人で一人暮らししてる」

「そうですか……」

南野秀一が何か考えるようにじっと見上げてくる。

「今度、瑞樹のこと教えてください」

「私のこと?」

「家族のこととか。家で何してるかとか。何でも良いんです。瑞樹のことが知りたいんです」

「なに、急に」

「俺のことも教えますから」

「いいよ。もう色々聞いたし」

「……いったい誰に聞いたんですか」

腕を掴んでいた南野の手にぐっと力が入る。

「ちょっと、痛い離して」

「答えてください」

「痛いって!」

ぐっと引き寄せられて背中を強く打ちつけた。受け身はもちろん取っているが突然反転した視界に状況を把握するのが遅れる。

「瑞樹」

首筋に南野の顔が寄せられる。そのまま強く吸われる。先程整えたばかりの衣服が乱されそうになって流石に手を掴んで止める。

「南野」

名前を呼べば綺麗なエメラルドグリーンが射抜くように鋭く私の瞳を覗き込んできた。ぎくりと身体が強張る。飲みこまれてしまいそうだ。なんとかして、南野の気を逸らさなくては。
なんとかして……。

「前から聞きたかったんだけど、南野って私のこと好きなの?」

「……今更何言ってるんですか」

鋭かったグリーンが途端に柔和になった。少し驚いているようで、呆れてもいるようだ。ほっと息をつく。強張っていた身体から緊張が抜ける。

「だって、ちゃんと言われたことないし。『好きな子としかしたくないです』って初心なタイプでもないでしょ、南野は」

「俺をなんだと思ってるんですか」

「でも否定出来ないでしょ」

「……否定はしませんが」

はぁと溜息をついて南野の身体が私から離れる。離れる時にさり気なく乱した衣服を整えていく仕草が自然過ぎてこちらこそ溜息をつきたくなる。

「好きですよ、瑞樹のことが」

「……はあ」

なんですか、その気のない返事は。と不服そうな南野をぼんやり見ながら、改めて言われても全然実感が湧かないなぁと思わず頭をかく。

「好きだから瑞樹のことを知りたいですし、妖怪と戦った日は怪我とかしてないか心配になります」

「……南野がやたら身体を撫で回すのって、もしかして怪我がないかチェックしてたの?」

「そうです」

そうだったのか。いちいち撫で回す手に感じていたのが恥ずかしくなる。
赤面しそうな顔を隠すように目線を落とすと、南野の手がゆっくり私に近づいてくるのが見えた。そのまま頬を撫でられて髪を一束掬われて、その髪にキスを落とされた。笑っちゃうくらい気障な行為なのに南野だと似合っているから笑えない。引き寄せられて、しっかりと抱きしめられる。まるで大切なものを扱うかのように。されるがままに大人しく南野の腕の中に収まると彼の鼓動が伝わってきた。早い。私の鼓動よりも。

どうやら、私は随分と愛されていたらしい。
じわじわと顔に熱が上がっていくのが分かった。

「瑞樹?」

頬を包む南野の手がやたらと冷たい。違う。私の顔が熱いんだ。

「帰る」

ぐっと南野の胸板を押して逃れようとするが、それ以上の力で抑えられた。

「返事を聞いてません」

「は?」

「俺は瑞樹に好きだと言いました。その返事を聞いてません」

返事?何を言われてるかがとっさに理解出来なくて混乱する。熱くなった頭を必死でフル回転させた。

「じゅ、順番がおかしい」

「順番?」

「そう。順番がおかしいから」

おかしいから、返事はしない。だなんて自分でもズレたことを言っている自覚はあったが、とにかく今はこの場を離れたかった。しどろもどろに主張する。

「分かりました」

南野の腕がほどかれる。

「じゃあ、デートしましょうか」

にっこりと笑った南野がその辺の妖怪よりもずっと怖かった。

2017.07.20
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