Calm3


「他に好きな人が出来たから別れて欲しい」

正直過ぎる私の言葉に、私の雇用主でありハンター協会の副会長であり私の恋人でもあるパリストン・ヒルはようやく貼り付けていた笑顔を消した。
相変わらず趣味の悪い柄と色のスーツを着ている。柄のスーツに柄のシャツを合わせるセンスは秘書を何年やっても理解できなかった。

「だから、ハンター試験が終わり次第、秘書も辞めたいと?」

「いや、それとこれは微妙に別だけど」

「微妙に?」

「そう。微妙に」

『微妙』の内容を話す気のない私にパリストンが目を細めた。
あー、やばい。怒ってる。
ただでさえ面倒くさい人なのに怒らせたら酷い目に合うのは経験上身に染みて理解している。

厳密にいえば、この時期に秘書を辞めることは随分前から決めていた。
いや、秘書でなくても定職に就いてはいられないのだ。何せ、クラピカ達がヨークシンに行く日が近づいているのだから。
私はその場に居合わせなければいけない。いつまでもどっちつかずの蝙蝠はしてられない。

この件はクラピカが絡んでいるので全く関係ないとは言えない。が、クラピカとの出会いが無くてもきっとこの決意は変わらなかっただろうから『微妙に』が正しい。

そう、私が今好きなのは、クラピカなのだ。
自分でも驚くことに。

「どんな人なんですか?」

「へ?」

「貴女の好きな人です」

あー、そっち気になる?
元の貼り付けた笑顔に戻ったパリストンを見つめ返す。
正直に言ったらクラピカに手を出される事は明白だ。なんたって、この人は私を傷つけたくて仕方がなくて、私に憎まれたくて仕方がないのだから。

「貴方の様な金髪で、貴方の様に頭が良くて、貴方の様に有能で、貴方の様に一途で、貴方の様にかまってちゃんで」

『かまってちゃん』という言葉にちょっとパリストンの笑みが濃くなった気がするが無視する。

「それで、貴方とは似ても似つかない子です」

「……なるほど」

そうして、パリストンの指先で弄ばれていた私の退職届は、私の目の前で破り捨てられた。






***






クラピカの綺麗な顔が目の前にある。その後ろにはホテルの天井が見えた。照明がやけに凝っていてシャンデリアのような細やかな装飾が風もないのに揺れていた。

つまりは、今、私はクラピカにベッドの上で押し倒されている。

「瑞樹」

「はい」

名前を呼ばれて反射的に返事をする。顔の横にあった手が頬を撫でた。クラピカの顔が近付いてくる。ゆっくりと唇と唇が触れ合った。

「……」

抵抗せずにされるがままになっていると、何度か繰り返され、そのうち唇を軽く吸われ甘噛みされる。そっと唇を開くと、クラピカの舌がゆっくりと口内に入ってきた。

「……っ」

口内を愛撫されている間に頬に添えられていたクラピカの手がゆっくりと首を伝って胸を通り、腰まで下りてきた。着ていたシャツの裾をまくられてクラピカの手が直に私の脇腹を撫でた。

「んふふ」

脇腹を這う手がくすぐったくて声をもらしながら身を捩る。唇が離れたが、その間にシャツのボタンを外され胸の下着が露になったところでクラピカの手が止まった。

「……抵抗しないのか」

じっとクラピカが見つめてくる。

「抵抗して欲しかった?」

見上げるとクラピカは切なげに眉を寄せていた。
そんな表情をさせていることに心が痛む。
手を伸ばしてクラピカの頭を引き寄せて抱きしめる。

「クラピカがしたいならしていいし、クラピカにならされてもいいと思うよ」

嘘じゃない。本音だ。
だから、わざわざパリストンを振り切って来たのだ。

「それに、今日が最後だしね」

「最後?」

私の腕から離れようとしたクラピカをぐっと胸の中に押さえ込む。

この4年で身長も伸びたし筋肉もついた。声変わりもした。初めて会った時抱きしめた身体よりずっと大きく逞しくなった男の身体だ。
もう大丈夫だろう。私が側に居なくても。
もともとしっかりとした子だったし。クラピカは一人でも生きていける。

「さっきクラピカ念能力の鍛錬までって言ったけど、クラピカの念の習得に関しては私じゃなくて他の人に頼んであるから。私が今日クラピカに会いに来たのはお別れを言う為なの」

「……お別れ、だと?」

ゆっくりとクラピカが起き上がる。
琥珀色の瞳を覗き込むと吸い込まれそうになる。
この色があの鮮やかな緋色に変わる様を今まで何度見ただろう。

「……どうしてだ」

「クラピカの側にいるとつらいの」

「つらい?」

「そう」

じっと困惑の瞳で見つめてくるクラピカを腕と肩をつかんで自分の横に寝かせるようにして押し倒す。

「だからクラピカを念の先生のところに連れて行ったらお別れ。クラピカだってもう充分大人だしもう私が面倒みなくても大丈夫でしょう?」

クラピカから手を離してベッドに座った。

「何故私と居るとつらいんだ」

「色々考えちゃって」

「色々とはなんだ」

「色々はそうりゃもう色々だよ」

色々過ぎて、どう話して良いのか見当もつかない。
パリストンに退職届を渡した時もそうだったが、そもそも私の抱えている事情はややこし過ぎる。「生まれる前の記憶がある」だなんて人に言えるわけがない。ジン・フリークスという例外を除いて。

「クラピカ」

私の横に座ったクラピカの肩にもたれかかる。

「誤魔化してるわけじゃないの。本当に色々ありすぎて、何から話していいか分からない。その色々な事を考えているとどうしても悪い方向にばかり考えちゃって、気が滅入るの」

「…………………そうか」

クラピカの手がゆっくり伸びてきて、私の左眼を瞼の上から撫でる。
私の左眼はきっと見覚えのある緋色に変わっているだろう。この眼こそが、私がクルタの村に訪れる切っ掛けとなったものだった。もっと言えば、この瞳を私にくれた人が。

「結局、何も教えてはくれないのだな。この4年間。散々世話になったが瑞樹自身のことはこの瞳の事以外、ほとんど教えてくれなかった」

「ごめんね。クラピカが私にどういう感情を抱いていたか気付いてなかったわけじゃないよ。でもね、私の情報はクラピカが生きていくのに必要ないよ」

「必要あるかどうかは私自身が決めることだ」

「でも明らかに不要だと分かるものだってあるでしょう」

「好きな人のことを知りたいと思うのは不要なことか?」

「……不要でしょう。共に生きていく人ではないのなら」

「……そうか」

そっとクラピカの手が離れる。
その手を掴みたくなる衝動をぐっと抑えて、ベッドから立ち上がる。
ベッドの側に投げ捨ててあった鞄に手を突っ込み、用意していた書類を取り出す。

「これ、クルタの村がある山と4年間一緒に過ごした家とかの贈与書類諸々。細かいことは弁護士から聞いて。名刺入ってるから。私他のホテルで泊まるね。念の先生についてはメールで送っておく」

簡潔に用件を伝えて書類を差し出すが、ベッドに腰掛けて俯いたクラピカは顔を上げない。
そっとクラピカの横に書類を置いて、鞄を持ち部屋のドアノブを握った。

「……他のホテルでなくてもここにまだ空き部屋はある」

「……分かった」

背後からかけられたクラピカの言葉に頷いて、お別れの言葉を。

「さよなら。クラピカ」






***






雨が降っていた。

「瑞樹……」

目の前でクロロを捕らえたクラピカが私の名前を呼んでいる。ホテルの受付嬢の姿が良く似合っていた。写真を撮りたいくらいだ。こんな状況でなければ。

「リース」

「久しぶり、クロロ」

鎖で拘束されたクロロにひらひらと手を振る。
その名前で呼ばれるのは久しぶりの事だった。故郷の仲間しか知らない名前だ。
クラピカが息を飲んだ。

「どうしたクラピカ!」

レオリオがクラピカの後ろから叫ぶ。すぐに私に気付いて立ち止まった。じっと私とクロロの顔を見比べている。当然と言えば当然かもしれない。
なんたって、私とクロロの顔は瓜二つなのだから。

「早く行きなよ。追っ手が来るよ」

クラピカ達を促す。
しかし、クラピカは動かずじっとこちらを探るように見ていた。クロロからの視線も痛い。
うーん。下手にごまかしたらどちらの逆鱗にも触れそうだな。正直に言うのが吉だ。

「ゴンくんとキルアはさ、親と知り合いだから見殺しにするとちょっと都合が悪いんだよね。だから、とりあえず2人が殺されない方向で動くよ」

じゃあねと手を振ってクラピカ達の横を通り抜ける。
ホテルのエントランスに入ると懐かしい顔ぶれが揃っていた。







「おひさー」

わざと軽い調子で手を振るとその場にいた蜘蛛の面子が固まる。

「……リース?」

「お前、本当にリースか?」

マチとノブナガが大きく目を見開く。
次の瞬間にはパクノダに銃を向けられていた。

「えー、久しぶりに会ったのに酷いなぁ?」

「おかしいでしょ……」

「何が?」

「何もかもがよ……」

パクノダの銃を握る手は震えていた。多分怒りからだと思う。一応両手をあげて敵意が無いことを示す。

「……ずっと、ずっとアンタのこと探してた」

そう言ったマチの手から伸びる糸にはキルアとゴンが拘束されている。二人は困惑した表情をしていた。まあ、当たり前だけど。

「アンタが居なくなってから10年、ずっと探してた。私達も団長も。でもアンタは見つからなかった。手がかりすら掴めなかった。それなのに、このタイミングでアンタが私達の目の前に現れるなんておかしい。こんな、団長が、アンタの弟が攫われた瞬間なんて!」

ぐっとマチの糸を握る手に力が入る。キルアが窮屈そうに身じろぎをした。どうやって二人を逃がそうかなぁ。この場にいる5人を一度に相手にするのは流石に危険な賭けだ。

「リース」

ノブナガが私の目の前に立った。これでもかと言うほど殺気立っている。

「答えろ。団長はどこだ」

「知らない」

「あ?」

「だって攫ったの私じゃないもん」

ぶちっと音が鳴りそうな程しっかりとノブナガの額に青筋が立った。
その手が腰の刀にかかる。ばしばし飛んでくる殺気が痛い。

「そんな言い訳が通用すると思ってんのか」

「言い訳じゃなくて事実だよ。私は関与してない」

「だったらなんでこのタイミングでここに現れたのさ。団長はついさっき攫われたんだ。見てなかった訳じゃないでしょ?」

他の人より幾分か冷静なコルトピに聞かれる。多分このままノブナガと会話させてたら殺し合いになりそうだと見越して会話を遮ってくれたのだろう。
さて、なんと答えたものか。頭をかいた。下手に偽らない方がいい気がした。駆け引きとかは苦手だ。

「……そこの二人」

ゴン君とキルアを指さす。

「死んじゃったらあんまりよろしくないというか、ちょっと忍びないというか。後々めんどくさいというか。まあ、とりあえず殺さないで欲しいんだよね」

「……コイツらとどういう関係なわけ」

「その子らの親と知り合いなんだ」

肩を竦めて答えるとマチが糸を握り直した。まるで「死んでも逃がさない」と言わんばかりだ。正直に言わない方が良かったかな。

「つまりアンタは団長を攫った鎖野郎の仲間ってわけ?」

「ちが……あー、いや、確かに仲間というか、数年間一緒に暮らしてたけど、ここ数か月は連絡も取ってなかったよ」

「だから今回の件には関与してねえってか?」

「そうそう」

軽い調子で頷くと耳にちくりと痛みが走った。ノブナガの刀が抜かれている。痛む耳を触ると出血していた。

「今度巫山戯たこと抜かしたら、いくらお前でも容赦しねぇ」

「……随分と暴力的だね」

「あいつは、鎖野郎は、ウボォーギンを殺したんだ」

ぎちっと音がしそうな程、ノブナガが刀を強く握る。

「……知ってる」

「知ってんならっ」

「クラピカがウボォーを殺したのも知ってるし、今クロロを攫ったのも知ってる。だけど、さっきも言った通り、私はこの件に関与してない。だけど、その二人を殺されるのは困るの」

「随分と勝手だな」

「分かってる。だから、聞きたい。貴方達はこれからどうするの」






「リース」

パクノダから携帯を差し出される。
その携帯はクラピカと繋がっている。
私に変われと言われたのだろう。正直、今クラピカとは話したくなかったが、そういうわけにもいかない。
パクから携帯を受け取り蜘蛛の面子から離れたところに移動する。

「もしもし」

『……瑞樹か』

『うん』

『……答えてくれ』

クルタ語で話すクラピカの声はとても苦しそうだった。その声の原因が自分であることに目を背けたかった。

『瑞樹は知ってたのか?クルタの村を襲ったのが自分の故郷の仲間だと。そのリーダーが自分の弟だと』

『知ってたよ』

『知ってて、ずっと黙ってたのか』

『……うん』

『……そうか』

クラピカの声は暗い。
予想出来ていた事だ。この状況は。クラピカを引き取ると決めた時から。

クラピカに辛い想いをさせる事が分かっていながらそれを黙っている事は、明確な裏切りだと分かっていた。
だからクラピカと共に過ごした日々が穏やかであればあるほど、気が滅入った。

『瑞樹』

『なに?』

『お前は、私の敵か?それとも味方か?』

簡潔で明確な2択に分かっていたことだけど辛くなる。
ゆっくりと深呼吸をする。
私に悲しむ権利なんて無い。

『敵でも味方でもないよ。私は今回、ゴン君とキルアが死なないように動くつもりだけど、だからと言って蜘蛛の皆の意志をないがしろにするつもりはない』

どっちつかずの蝙蝠は終わりにしよう。今回を最後に。

『だから、私は……』

2018.02.08
拍手