灯り


教室は静かだ。校庭からは部活動に励む運動部の掛け声が聞こえる。丘の上にあるこの学校では窓を覗くとずいぶん遠くまで街を見渡せる。陽が落ちかけていてまぶしい。鮮やかなオレンジは直視できなかった。
もう教室に戻ってくる人もいないだろう。空いていた窓を閉める。3月とはいえ吹き込んできた風はまだ肌寒かった。
自分のカバンを肩にかけ、教卓の上に積まれたクラスメイト全員分の問題集をぐっと持ち上げる。重い。でも持てない重さではない。職員室はそんなに遠くない。ふっと息をつめて脇を締めて教室の出口を見た。

しまった。ドアを開けとけば良かった。

ぴっちりと閉まった引き戸の前で立ち竦んだ。一旦、問題集を教卓の上に戻すべきか、それとも腰や尻を駆使して無理やり開けるべきかと迷った時、タイミングを見計らったように引き戸が開いた。

「「あ」」

現れたのは衛宮くんだった。

「手伝うよ」

返事をする間もなくさっと抱えていた問題集を奪われた。気がつけば自分の手には3分の1程度しか残ってない。

「どこ持ってくんだ?職員室?」

当たり前のように聞いてくる衛宮くんに、大丈夫だから、と口を開くが、すぐ閉ざした。どれだけ言っても押し通されることは知っている。初めて会った時から変わってない。

「うん。職員室」

返事をすると衛宮くんは満足そうに笑った。





***





「失礼しました」

軽く頭を下げながら職員室を出る。すぐ側で衛宮くんが私と自分のカバンを持って待っていてくれた。自分のカバンを受け取って、わざとらしく大げさに頭を下げる。

「手伝ってくれてありがとうございます。衛宮くん」

「どういたしまして」

私に合わせて大げさに頭を下げてくれた衛宮くんが頭を上げてから、少しの間目を見合わせて同時に吹き出した。

衛宮くんとは中学から何度か同じクラスになったことがあって、その時から「頼めば何でもやってくれる」と有名だった。嫌と言えない気弱なタイプなのかなと最初は思っていたが自ら進んで周りの人を手伝っているのだと気づくのにそんなに時間はかからなかった。クラス委員の仕事や部活動での役職、果ては教師の雑務まで手伝っているのを見たときは驚いた。今日は誰の何を手伝っているんだろう、と目で追うようになっていた。気が付いたら衛宮くんのことばかり考えている自分がいた。それは恋だと友人に指摘されて、私は恋だと自覚した。

下駄箱で靴を取り出す。先ほど教室で眩しかった夕陽は沈んでいた。夕陽ってせっかちだと思う。昇降口の電灯はあまり明るくなかった。隣で同じように靴を取り出している衛宮くんの表情がよく見えない。

「西園寺」

呼ばれて衛宮くんを見るとラッピングされた包みを渡された。薄暗い昇降口でも分かるくらい丁寧にラッピングされている。多分、中身は彼お手製のクッキーだ。去年はチョコチップの入ったクッキーだったが、今年は何味のクッキーだろう。

「ありがとな。毎年バレンタインくれて」

「いえいえ。いつも助けてもらってるお礼なので」

お礼のお礼を今受け取ってしまったわけだが。

衛宮くんにバレンタインチョコをあげるのは中学2年生から毎年のことだった。中学上がって色付きだした同級生達に唆されて渡したのが始まりだった。毎年ホワイトデーに律儀にお礼をくれるのが嬉しくてずっと続けてきた。でもそれも今年で終わりだ。

「遠坂さん、怒ってなかった?」

衛宮くんには彼女ができた。それを知った時は本当に驚いた。彼を好いている女の子が居ないわけじゃなかった。中学の時から密かな人気はあった。告白されたという噂も何度か聞いた。それでも衛宮くんに彼女ができたことは無かった。だからこの先もずっとそうなのだとばかり思っていた。遠坂凛が当然のように衛宮くんの隣を歩くようになるまでは。

「西園寺にお礼を渡すのに遠坂は関係ないだろ」

声だけでぶすっとしたのが分かる衛宮くんを見る。こんな衛宮くんを見るのは初めてだった。

「喧嘩でもしたの?」

「……まぁ、ちょっと」

「……私が原因だったりする?」

「え、いや原因ってわけじゃ……」

うっと詰まった衛宮くんを見て、思わず噴き出してしまった。

「笑うとこか?」

衛宮くんが拗ねたような声をして私を見る。隠し事が出来ない人だなぁ。そんなところまで愛おしいと思ってしまうのは末期かもしれない。
昇降口を出ると冷たい風が頬をなでた。
既に出ている月が明るくて衛宮くんの顔がよく見えた。

「そっかぁ。彼女を怒らせちゃったんじゃあ、衛宮くんにバレンタインチョコあげるのも今年で最後だね」

「かっ……彼女って!」

「あれ?違った?」

付き合ってるんじゃないの?とニヤけた顔で言えば、衛宮くんはぱくぱくと金魚みたいな顔をした。
衛宮くんって意外と表情豊かなんだなぁと感心すると同時に、それに何年も気付けなかった自分を悔いた。

「噂になってるよ。あの遠坂さんと衛宮くんが一緒に登下校してるって」

「う、うわさ……」

まいったな、と仄かに赤い顔をしながら頭を抱えている衛宮くんの姿は新鮮だ。いいなぁ遠坂さんは。こんな衛宮くんを独り占め出来るなんて。素直に羨ましかった。遠坂さんより私のほうがずっと付き合いが長いのに、私には衛宮くんのこんな表情を引き出すことはできなかった。せいぜい、バレンタインにチョコレートを送るのが精一杯だった。遠坂さんと衛宮くんの間で何があったかは知らないけれど、私と衛宮くんの数年間を優に超えるようなことが遠坂さんには出来たのだ。

校門まで来て衛宮くんに向き直る。彼とは家の方向が逆だ。

「じゃあね衛宮くん」

「えっ、ああ、うん。また明日な西園寺」

「ふふっ。またね」

まだ動揺が残っている衛宮くんにひらひらと手を振って別れを告げる。当然のようにまたな、と言ってくれるこの距離が心地よかった。だからずっとこの距離に甘んじてきた。嘘。怖くて踏み出せなかった。またなって言ってもらえなくなるならずっとこのままでいいと思っていた。遠坂さんはきっとそう思わないんだろう。


頭上の月はとても綺麗でとても遠かった。

2017.06.14
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