葡萄酒と運命14_終


「アンタ、結婚すんのかよ」

「……まあ、一応」

「結婚に一応も何もないでしょう」

「……」

リズさんは言い方がきついのは私に対する評価が低いからとかじゃなくて、彼女の元来の性格なのかもしれない。そう思うようにした方がいいなと考え始めた。これからずっとこの調子は少しきつい。
おめでたいこった、と言ったスパイクさんは呆れているようにも見える。考え過ぎかな。お腹痛くなってきた。

「旦那さんってどんな人?やっぱ東洋人?」

「いえ、アメリカ人です。貴方達も会っていますよ。あの列車で」

「列車で?」

首を傾げたのはクロエさんだ。
リズさんはショートヘアの燃えるような赤い髪に彼女の性格を映したような真っ直ぐなストレートをしているのに対し、クロエさんのブラウンの髪はふんわりとカールしている。
二人とも同じ女性でありながら、タイプの違う外見をしていた。どちらも整っているという点は同じだが。

「真っ赤な血だらけの男性に会ったでしょう。あの人です」

「……あの人?」

クロエさんが眉間にしわを寄せる。
そりゃあ、私だって知人に血だらけの旦那を紹介されたらそうなる。

「あの血だらけの旦那さん何者なんですか」

「……車掌です」

「車掌?車掌が血だらけになるんですか」

「……副業で殺し屋やっているので」

「殺し屋?」

不審そうな顔をしたのはリアムさんという男性だ。金髪碧眼という、私の元いた日本でなら王子様キャラにされてそうな外見をしている。その王子様が明らかに警戒心を抱いた表情をしている。男女問わず美人の顔というのは迫力があるなとぼんやりと感じていた。
スパイクさんが、がしがしと頭をかいた。

「結婚するなら俺達のことやベリアムの元での仕事のことは旦那に話すのか?それともシャーネに対してと同様に隠し通す気なのか?同じ家に暮らして仕事を隠し通すってのはなかなかに難しいと思うぜ」

言われてみればその通りだ。何も考えてなかった。
予定外の事になんと返せば良いかが分からなくて思わず黙る。

「というか女は結婚したら家庭に入るものです。これから仕事を始めようという時期に結婚だなんて働く気はあるんですか?」

「……バリバリありますよ」

沈黙した私に追い打ちをかけるのようなリズさんの言葉になんとか返答をする。頭を抱えたくなった。

この時代、女は結婚したらイコール専業主婦なのか。そりゃそうか。私の親の代でもそれが一般的だったし、元の時代から見たら祖父母の世代だ。既婚の女が働くなんて驚かれる。勤務していた鉄道会社でも結婚の話をした途端、自然と会社を辞める方向で話が進んでいった。そういう時代なのだ。
クレアもそう思っているのだろうか。奥さんには家にいて欲しいとか、そういう願望があったりするのだろか。その類の話を今まで一切してこなかった。我ながら無計画な結婚だ。まあ、初対面でされたプロポーズを受けている時点で計画も何も無いのだが。

「え?ってか皆、旦那が殺し屋ってところ気になんないの」

「血だらけなのも気になるわよ」

リアムさんとクロエさんが顔を見合わせる。

「あの列車で俺達や白服を殺して回ってたのが旦那さんなんじゃないの?」

「……レヴィさん、正解です」

部屋の隅で座り込んで銃の手入れをしていたレヴィさんが銃から琥珀色の目を離さずに指摘する。
察しが良くて助かるなぁと笑っていると皆の目の色が変わった。

「どういうこと?私達の仲間を殺して周ってたのが旦那って何?」

クロエさんの目が警戒の色に染まった。
呑気にレヴィさんの言葉を肯定している場合じゃなかった。

あの列車でクレアが殺した人数は想像出来ないが、それでも「レムレース」を壊滅に追い込んだのは白服よりもクレアの存在が大きいだろう。「レムレース」はヒューイさんからの教えのおかげで死を恐れない軍隊に仕立て上げられていた。それでも仲間意識がないわけじゃない。仲間を殺されて怒るクロエさんは正しい。何も考えず肯定してしまったことを後悔した。

「……旦那には「レムレース」のことを一切話してませんでした。ヒューイさんのこともです。あの列車での段取りで、車掌を隠れ蓑にしていた「レムレース」の構成員がもう一人の車掌を殺す手筈だったでしょう。殺されそうになって怒ったんだと思います」

「怒ったから俺たちの仲間を片っ端から殺して周ったんですか?それ知ってて黙ってたんですか?仲間が殺されているのに自分の旦那を止めようと思わなかったんですか?」

「……止めましたよ」

シャーネだけは殺さないでって。そんなことは口が裂けても言えないが。
私がレヴィさんの言葉をうっかりとはいえ肯定してしまったのは偏に私が「レムレース」を″仲間″だと思っていなかったからだ。

ヒューイさんがいる間、私は「レムレース」とは極力接触しないようにしていたし、唯一定期的に接触があったグースは私のことを嫌っていた。私もグースのことは好きじゃなかったし、お互いあからさまに喧嘩をすることなどは無かったが、一定の距離を保っていた。
「レムレース」はヒューイさんの洗脳に近い教えに忠実ではあったが、それ以上にグースの部下という面が色濃かった。そのグースの部下達に対して、少なくとも列車を降りるまで、私は仲間意識なんてほとんどなかった。だから、クレアが「レムレース」の人達を殺していても、よほど目の前で惨殺された死体を見ない限りは、特に何の感情も湧かず、既知の物語の一部ぐらいにしか思っていなかった。

しかし、それは目の前の彼らは知りもしない私の事情だ。これから行動を共にするというのに、組織を壊滅状態にした者が身内にいる人間なんて信用出来るものも出来なくなるだろう。

「そういえば旦那さんのとこにはいつ戻るんですか?」という発言でこの話の発端を作ったルーカスさんことシャムは、部屋の隅で気まずそうな顔をしていた。目が合うと申し訳なさそうに頭を下げられた。どうやら自分の発言がこの状況を招いたと思っているらしい。発端は彼だが、その後の失言は私だ。彼に責任は無い。

この状況をどう収束しようかと焦って頭をフル回転させる。
その間に「レムレース」の人達はそれぞれ顔を見合わせた。しばらくの沈黙の後、皆の内心を代表してスパイクさんが口を開いた。

「瑞樹さんよお、アンタ、俺たちの味方か?それとも敵か?」






***






「瑞樹、今度は何を抱え込んでる?俺に話せないことか?どうして話せないんだ?お前は今何を考えている?」

ぐっとクレアに肩を掴まれる。
私の心を読んでいるんじゃないかと思うような察しの良いクレアから「何を考えている?」なんてそんな言葉が出てくるとは思わなかった。
それ程までにクレアが私のことで悩んでくれたのが驚きだった。

だけど、私はそのクレアにどんな言葉を返せばいいのか分からない。

私が今クレアに隠していることは、たくさんある。あり過ぎて何から話していいのかが分からない。
私が「レムレース」の人達とベリアム議員の元で働こうとしていること。
しかし、その「レムレース」の人達と上手くいっていないこと。
ヒューイさんの実験を阻止しようとしていること。
不完全だが不死者であること。
この時代の人間ではないこと。
クレアと出会う前からクレアのことを知っていたこと。
本当はシャーネと結ばれるはずだったことを知っていながらクレアのプロポーズを受け入れたこと。
私が、クレアの『家族』になることを躊躇していること。

私は何からクレアに話せばいい?
私はどこまでクレアに打ち明ければいい?

見上げるとクレア真っ直ぐ私を見ている。この瞳から逃げることは出来ないのは分かっている。

答えを、出さなくては。

「クレアは、」

声が擦れているのが分かった。

「クレアは、どうして私のことを好きになったの?」

質問に答えずに質問を返す私にクレアは口を開いた。

「運命だから?」

開いたクレアの口から答えが出るよりも先に私が遮る。
クレアが一度開いた口を閉じた。じっと私を見ている。心が見透かされそうだった。身体が震える。

「じゃあ、運命じゃなかったら?仕組まれたことだったら?」

「……どういうことだ?」

私の肩を掴んでいるクレアの力が強くなる。

「本当の運命では、他の人と結婚するはずだったら?」

運命なんて信じる質ではないけれど、もしそれが本当にあるのだとしたら、クレアの運命の相手はシャーネだ。私ではない。
本来なら、クレア・スタンフィールドはあのフライング・プッシーフット号でシャーネ・ラフォレットと出会い、プロポーズをして、列車を降りた後、口説き落としていたはずだ。

私はその未来を知っていながらクレアからのプロポーズを受けた。彼なら惚れた相手を全力で守ってくれると思ったからだ。その後の事なんて考えていなかった。私には関係ないと思っていたから。
私はフライング・プッシーフット号に乗り、そこでの争いではクレアに守られる。そうして私は無事にニューヨークに辿り着きマイザー・アヴァーロと接触し、ロニー・スキアートと対面する。それで終わり。私はこの時代から離れられるはずだった。
だから、その後のことなんてどうでも良かった。自分の目的が果たせるなら、知っている未来を変わろうが、興味はなかった。

だけど、

「クレアが結婚すべきなのは私じゃない」

私は後悔していた。
クレアからシャーネとの結婚の機会を奪ったことを。
シャーネからクレアを奪ったことを。
私は後悔していた。

この時代に未練なんて残さないと思っていた。そう自分を仕向けてきた。だから、限られた交友関係で必要以上の愛着を持たないようにしてきた。
だけど、それはクレアに壊されてしまった。
列車に乗るまで、と思っていたクレアとの関係は、継続しているうちにどんどん深くなっていって気が付いたらどうしようもなくクレアの事を好きになっている自分がいた。

そして、それと同時に私は、シャーネを家族のように、妹のように大切に思っていることに気付いてしまった。

クレアとシャーネ。この二人を愛したことによって、愛していることを自覚したことによって、私に襲ってきたのは猛烈な後悔だった。
二人の仲を引き裂いたことによる後悔。
大切なはずの二人の幸せを奪ってしまったことに対する後悔。

クレアが私を好きになった理由なんて大して無いはずだ。
クレアは少しでもいい女だと思ったら即座にプロポーズしていたし、私にプロポーズしたことも私がその場でハッキリと断っていたら諦めていただろう程度のものだ。

だから、きっと、まだ戻れる。
クレアとシャーネの正しい運命に戻れる。

私がクレアの『家族』になることを躊躇しているのは、私が相応しくないと思うからだ。
それでも私がそのことを今までクレアに話せなかったのは、今の私のポジションを誰にも譲りたくなかったからだ。
相応しくないと分かっていても、私以外の誰かがクレアと結婚するのは嫌だった。
例えそれが大切なシャーネであっても。

だけど、それももう終わりにしなければならない。

「それは違う」

はっきりと断言された否定に我に返る。

「俺が結婚するのは瑞樹だ。それ以外あり得ない」

「……違うよ。私じゃない」

「いいや。瑞樹だ」

「私は、クレアに相応しく、ないんだよ……」

自分で言ってて涙が出そうになる。声が尻つぼみになってしまって情けない。

「相応しくないってなんだ」

クレアの声に珍しく怒気が含まれた。
初めて聞く声色に身体が強張る。

「瑞樹が俺に相応しくない?そんなの誰が決めたんだ」

私の肩を掴んでいるクレアの手が痛い。
だけど、その痛みを訴えられる雰囲気では無かった。

「瑞樹、よく聞いてくれ。俺と結婚するのに瑞樹以上の相手はいない。瑞樹より美人で良い女はいないし、瑞樹より可愛い人もいない。瑞樹は思慮深くて、人が気付かないところまで気付いて真剣に考えてくれるし、考えすぎて一人で抱え込み過ぎてしまうところもあるが、そこが少し危うくて魅力的だ。それにその深い思慮から出す結論は大胆だし、それを実行する行動力もある。自分の事よりも人の事ばかり優先させるから職場では人種の隔たり無く人気だったし、仕事も出来たから上司からの信頼も厚かった。車掌の中にも隠れたファンがいたから手を出されないように色々根回しするのには苦労したし、列車のバーテンダーまでお前に色目使ってることに気付いた時は肝を冷やした。何より瑞樹自身が男に対して無防備過ぎるからな。それから……」

「ちょ、ちょちょちょっと待って!」

後半になんか初耳な情報があったんですけど!
バタバタと暴れるがクレアの手は解けない。

「そういうことじゃなくて!クレアにはもっと良い人がいるんだって!」

「そんなヤツいない」

きっぱりとした否定に抵抗をやめる。
私が暴れたことによって弱まったクレアの手に再度力が入る。

「好きだ。愛してる」

突然の告白に顔を上げるとクレアが相変わらず真っ直ぐ私の瞳を見ていた。

「今まで誰かをこんなにも愛しいと感じたことは無い。俺は結婚するのは瑞樹以外考えられない。相応しくないなんてことはあり得ない。瑞樹より良い相手なんていない。仕組まれたことだったらって言ったな。だったら俺は仕組んだヤツに礼を言いたい。瑞樹を出会えたことに。瑞樹と結婚出来ることに感謝したい。瑞樹、愛してる。この先もずっと一緒に生きていきたい。その為に俺は他ならぬ瑞樹と結婚したい。その気持ちを分かってくれ。それとも俺の想いが信じられないか?」

顔から火が出そうな程の愛の言葉を、クレアは真顔で目も逸らさずに私へ紡ぐ。そんなにも私の事を想ってくれているクレアを信じられないなんてそれこそあり得ない。だけど、その愛は、本来なら私ではない別の人に向けられるはずだったものだ。
信じられないのは、クレアではない。

「私は、」

せめて目を逸らさずに伝えたい。

「私は私を信じられない」

こんなにも私の事を愛してくれたクレアの想いに応えたい。
でも、それは私の役目じゃない。
それに、私にそんな資格は無い。例え、シャーネがいなくたって。

「私は私の価値が信じられない。私にクレアと結婚する価値があるとは思えない。私はクレアに愛してもらう程の人間じゃない」

「そんなこと……」

「分かってる!」

私の言葉を遮ろうとしたクレアを遮る。

「クレアが私の事を凄く高く評価してくれてるのも、沢山愛してくれてるのも分かってる!これは私自身の問題なの!私が私の価値を信じられないのは、クレアに出会うずっと前から!私は私を信じられない!そんな人間が、自分の事を信じられない人間が、結婚するなんて、誰かと『家族』になるなんて出来ない!」

「だったら俺を信じればいい」

視界が滲んでいる。クレアの顔がぼやけて見えないのに、クレアの力強い言葉だけでクレアのあの真っ直ぐな瞳がはっきりと伝わってきた。

「自分の事が信じられないなら、俺を信じてくれ。瑞樹の価値を信じる、俺を」

言われた言葉が理解できなくて混乱する。

「自分の事が信じられないならそのままでいい。だけど、俺の事は信じてくれているだろう。瑞樹の価値を信じている、俺の事なら信じられるだろう」

ゆっくりと私の肩を掴んでいたクレアの手が離れる。

「例え、例えばだぞ。例え、瑞樹に価値が無くても、瑞樹が俺と結婚するのに相応しくなくても、出会ったのが仕組まれたことだとしても、それでも俺は瑞樹がいい。もし瑞樹と出会ったのがあの木の下じゃなくても、他の場所で出会ったとしても俺は瑞樹を好きになる」

クレアの暖かい手がゆっくりと私の頬を撫でる。

「例え、運命じゃなくても、俺は瑞樹を選ぶ。絶対に」

瞳から抑えきれない涙が溢れた。






***







「運命っていうと、大層なものに聞こえますけど、多分そんなに大それたものじゃなくて。でも瞬間的なものでもなくて、それが起こった時はありふれた日常でも結果的にそうなっていくというか。自分の意思じゃどうにもならないものを運命って呼ぶらしいんですけど、自分の意思じゃどうにもならない愛おしさは運命なのかなって。……すみません、何が言いたいのか分かんないですよね。というか恥ずかしい事言ってすみません……」

「そうかい?言いたい事は伝わってるし、別に恥ずかしがることじゃないさ」

「……エルマーさんとヒューイさんの出会いも運命だと思います」

「そうかな?」

「200年も続く友情なんて、自分じゃどうにも出来ないものですよ」

「確かに。そうかもしれない」

「ふふ。でもびっくりしました。エルマーさんがガンドールの事務所にいるなんて。アイスピック・トンプソン……マークって男の子の件はもういいんですか?」

「ああ。あの子も笑ってくれたしね」

「……ニューヨークを出ていくんですか?」

「うん。俺は世界中の人を笑顔にしたいからね。ニューヨークもいい街だけど、ニューヨークにずっといたら他の場所に住んでる人達の笑顔が見れなくなる」

「残念です。ずっと居て欲しいくらいなんですが」

「いやあ、そう言ってもらえると嬉しいね。俺、あまり歓迎された経験がないからさ」

「私がいつでも歓迎しますから、たまにはニューヨークに来てくださいね」

「うん。そうするよ」

「マイザーさんには会っていかないんですか?」

「あいつの側にはちゃんとあいつを支えられるやつがいるからね。それに、」

「それに?」

「正直、マイザーよりも、君の事心配してたんだ。出会った時からずっと浮かない顔ばかりしていたからね。でも今の君はとってもいい顔をしているよ。とびっきりの笑顔だ!君の笑顔を引き出せるのは僕じゃなくて、その愛しい運命の人ってわけだね!!!」




2017.10.25
拍手
1章 完