寝顔 *結婚後の小話 「は……?」 細い狐目を見開いたラックさんに見つめられて見つめ返す。 「ですから、クレアの寝顔です。見たことありますか?」 「そりゃあ、小さい頃は見ましたけど……」 「……そうですか」 思わず肩を落とした私にラックさんは少し呆気にとられたようだった。 「あいつの寝顔がどうしたんだよ」 暇そうに欠伸をしていたベルガさんが話に入ってくる。 マフィアって結構暇な職業なのだろうか。いや、暇なのは日頃から自分達の領地をきっちり統治しているからだろう。違法組織に「領地」や「きっちり」という表現は適切ではないかもしれないが。 「見たことないんです。一度も」 「……へーー」 「へーーって」 私の返答を聞いて明らかに興味を失ったベルガさんの生気返事に反応してしまう。 いや、しょうもないことを言っている自覚はあるがベルガさんが聞いたんじゃないか。 「だって一緒に暮らし始めて三か月経ってるんですよ!?この三か月ずっとクレアは私より遅く寝て私より早く起きるんです!どこの良妻ですか!」 アメリカでは「主人より遅く寝て主人より早く起きる」という妻を良妻と呼ぶのかは分からないが、この三ヶ月、クレア素晴らしい良妻ぶりを発揮していた。 ニューヨークに新しく買った私達の家は、庭の着いた一軒家だった。豪邸という訳ではないが、それなりに立派なファミリー向けの物件だ。 物件を選ぶときにクレアは「将来子供は何人欲しい?」という話から始めて最初は付き合って色々返事をしていたが、段々クレアの妄想が広がっていって収集がつかなくなった辺りから話を適当に受け流していたらその家に決まっていたのだ。 私としては賃貸マンションくらいを考えていたのだが、物件の契約を進めるクレアがあまりにも楽しそうなので、まぁいいか、と一軒家を受け入れた。 二人で住むには広過ぎる家は、実際に荷物や家具を運び入れても広過ぎた。掃除が大変そうだなと引っ越した当日はため息をついてしまった位だ。 しかし、私は引っ越してから自分の部屋くらいしかまともに掃除をしていない。何故かというとクレアが、おそらく毎日、家中を隅から隅まできっちり掃除をしているからだ。 私は基本的に平日朝出勤し、夕方に帰宅する。 「レムレース」の人達との仕事は基本的に会社勤めと同じような時間帯で動く。勿論、ベリアム議員から毎日依頼が有るわけではないので、隠れ蓑の役割も果たしている副業の為だ。 出勤先は「レムレース」の人達が共同生活をしているシェアハウスである。因みに、このシェアハウスは六人も住んでるのに私の住んでる家より小さい。正確には私の家がデカいのだが。 そんなわけで、女は結婚したら専業主婦が当たり前のこの時代で私は働き続け、家をよくあけている。 対するクレアはというと、「ヴィーノ」としても「フェリックス」としても毎日仕事があるわけではないので家にいることが圧倒的に多い。 その間に、広い家の掃除をし、洗濯をし、庭の手入れをし、私が帰る頃には手料理を用意して待っているという、まったくどっちが妻でどっちが夫か分からない状況が出来上がっている。 因みにクレアの料理はそこそこ美味しかった。 この時代の男性は料理を習うものだろうかと不思議に思って聞いたことがあるが、昔所属していたサーカスでは食事等生活に必要な仕事は当番制だったそうで大人数向けのごった煮系料理は得意だということだった。 そんな中、私が何かの拍子でフライング・プッシーフット号で食べた中華料理が美味しかったと話したら、いつの間にかクレアはファンさんに料理を習いに行っていた。 始めて手の込んだ中華料理を出された時は本当にびっくりした。 「仕事がないと暇だからな」と言っていたクレアを私は思わずべた褒めした。クレアのごった煮は美味しかったがやはりアメリカ料理の域を出ていなかった。そこにファンさん仕込みの中華料理が並べられたらアジア人として歓喜せざるを得ないというわけだ。 べた褒めされたことがとても嬉しかったらしく、クレアはここ三ヶ月でめきめきと中華料理の腕を上げていった。 最近ではファンさんが「殺し屋辞メテ料理人にナった方がいいんじゃないカ」とげっそりしながら言っている位だ。 これで「クレアの作った日本食が食べたい」と言ったらどうなるんだろうという好奇心がむくむくと湧いている最中なのだが、言ったら本当に日本まで飛んで行ってしまいそうなので必死に我慢している。 家庭内の役割分担に関して、アメリカでは日本ほど性差はないのかもしれないが、それにしても男のクレアに家事任せきりにさせて申し訳ないという話も一度したが「出来る方がやるのは当然だ」とあっさり返されてしまった。 私が生まれた時代でも家事を手伝わない夫が度々ニュースになっていた位なのに、クレアの良妻加減といったら世界中どころかこの先100年は自慢したい位だ。 話を戻そう。 そんな良妻ぶりを発揮するクレアは私と一緒にベッドに入りはするものの、私が寝付くまで起きている。そして朝、私が目覚めた時には朝食の準備を済ませている。 なので私はこのニューヨークでクレアと一緒に生活し始めてから一度もクレアの寝顔を見たことがないのである。 「特に何かあるわけではないのは分かってますけど、見れないと思うと見たくなるものじゃないですか」 「……まあ、その心理は分からないわけではありませんが」 ラックさんは少し困り顔だ。 「睡眠薬でも盛ってみたら見れますかね?」 「クレアさん相手なら、かなり念入りに準備しないと薬に気付きそうですがね」 「……確かに」 そもそも家での食事は基本的に良妻クレアが用意しているのだ。愚夫の私がどうやって気付かれずに薬を盛れるというのだろうか。 寝起きのコーヒーも寝る前のココアもクレアが入れてくれる。 いっそ口移しで飲ませてみようか? 「直接言ってみたらどうだ?『寝顔が見たい』って。お前の言う事ならきくだろ、あいつ」 ベルガさんは完全に投げやりだった。 いや、でも、確かにそれも、 「……それもありかもしれませんね」 クレアは私より何枚も上手なのだ。薬を盛ろうが口移ししようが、結局はクレアには勝てないだろう。 それなら初めから素直にお願いするのもアリかもしれない。 何より、クレアに何かお願いして断られた経験が私には一度たりとも無い。 「ちょっと今夜頼んでみます」 「おう、そうしろ」 それで駄目ならお前のその怪力で力一杯あいつの頭をぶん殴ってやれというベルガさんの言葉に、その手があったか、と手を打った。 *** 「俺の寝顔?」 クレアが枕元の灯りを消そうとしていた手を止めた。 「そんなもの見てどうするんだ」 「別にどうもしないけど、見たことないから見たいなって思ったの」 静止したままのクレアを見る。 クレアはしばらく考えてから灯りを消した。 「別にいいだろ、そんなの」 ごそごそとクレアが毛布を被る。 クレアが私のお願いを二つ返事で承諾しないのは珍しい。 クレアから被ったばかりの毛布をひっぺがす。 段々とムキになってる自分がいた。 「見られるの嫌?」 「嫌ってわけじゃあないが……。改めて言われると恥ずかしいものだろ」 恥ずかしい。クレアからそんな言葉が出てくるとは思わなかった。 「私ばっかり見られてフェアじゃなくない?」 クレアが毛布を私の手から軽く引っ張り、離せと主張しているが無視して問いかけた。 クレアが本気で引っ張れば私の腕力に勝てないわけではないが、その前に毛布が引きちぎれるのは明白だった。 「寝顔にフェアも何もないだろ」 「あるある」 毛布を離してクレアの柔らかい髪に指を通して頭を自分の胸に引き寄せる。 「子守唄とか歌ってあげようか?」 「……子供扱いするな」 むっとしたクレアの声に思わず頬がゆるむ。恥ずかしがるのもそうだが、クレアが子供っぽいところを私に見せてくれるのは珍しい。 実際クレアは私より年下だし、私との年の差を差し引いてもクレアは子供っぽいところが多々ある。未だにベルガさんとの喧嘩が絶えないのがいい証拠だ。 しかし、それはベルガさんに対して未だに甘えがあることを意味していた。 ベルガさんもラックさんも、勿論キースさんもクレアの寝顔は見たことあるのだろう。 幼い頃から共に過ごしてきた家族同然の幼なじみに対して嫉妬心を抱いてもしょうがないが、彼らは私の知らないクレアを知ってると思うとちょっと面白くない。 「ガンドールさん達はクレアの寝顔見たことあるのに私には見せてくれないの?」 「なんでそこであの三人が出てくるんだ?」 クレアが私の胸から顔をあげる。 今の自分の顔を見られるのが恥ずかしくてクレアの顔をもう一度胸に押し付ける。 「……私だって、クレアの家族なのに」 「嫉妬してたのか?あの三人に?」 拗ねたようなことを言う私にクレアの声が少し機嫌の良さが混じる。先程までの立場が逆転してしまった。 クレアの手が私の背中をさする。 「こんな風に一緒に寝るのはお前だけだぞ?」 前からも後ろからもクレアの温もりに包まれる。 確かにクレアの言う通り、この温もりを知っているのは私だけだ。 少しだけ優越感に浸りながら指先を動かすとクレアの柔らかい髪が絡まった。 ちゅんちゅんと外で雀が鳴いている。 カーテンが開け放たれた窓から日の光が差し込み部屋を照らしている。 まごう事なき朝である。 起き上がった私にコーヒーを差し出すクレアを見上げる。 「……いつか無理やりにでも睡眠薬を飲ませてやる」 それは怖いなと余裕綽々のクレアが肩をすくめた。 |