◆   ◆

 気の強い女が好き。
 そう聞いたとき、私の淡い淡い恋心は想いを告げる前に砕け散ってしまった。
 カルデアの真っ白な通路を歩きながら、ぼうっと外を眺める。標高六千メートルの雪山に位置する場所から見える景色もまた、建物内に劣らないほど白く塗りつぶされていた。万年吹雪のようなここから青空が見えたことはなかった。もっといえば、雪がやんでいる日を見たことさえない。
 立ち止まって、冷たいガラスに額をくっつける。ぼんやりしている頭が、ほんの少し明瞭さを取り戻したような気がした。細く息を吐くと吐息で窓がくもり、それもあっという間に消えていく。
 一人になるとどうしても気分が沈んでくるけれど、一人になりたかった。人類史を守るためやらなければならないことが山積みなのに、上手く気持ちを切り替えられない。そんな自分が不甲斐なくて、ますます気が滅入っていく。
「……――」
 ぐっと唇と拳に力をこめて、大きく大きく息を吸いこむ。私は「世界を守る」手助けをする使命があるのだから。
 肺いっぱいにためこんだ空気を、細く長く吐ききる。きつくまぶたを閉じ、数秒。ぱちりと目を開けると同時に、思いきり両頬をたたく。
「いっ――……!」
 熱のような痛みは予想以上のもので、涙がにじむ。我ながらもう少し加減をするべきだと思ったけれど、気を取り直すにはちょうどよかった。
「……よし! エミヤさんに紅茶でも入れてもらおう!」
 熱々の紅茶に砂糖をマシマシにして飲めば、きっと元気も出るはずだ。もしかしたら、お茶受けになにかおやつも出してもらえるかもしれない。
 落ちこむようなことではない。自分に言い聞かせる。たしかに初めての恋ではあったけれど、ほんのかすかなものだったのだ。むしろ、早めに散ってよかったのだろう。傷が深くなる前に身の程を知ることができたのは、考えようによっては幸運とも言える。
 ――嬢ちゃん。日向のような笑顔と落ち着いた声が脳裏をよぎる。彼へ抱いた淡い気持ちは、初恋の想い出にするにはぴったりすぎるほどではないか。紅茶と一緒に飲みこんで、大事な宝物へと昇華させよう。

◆   ◆

「エミヤさん、いますか?」
 カルデアスタッフ用のカフェテリア、キッチンの中に声をかける。
「いるぞ」
「よかった。こんにちは、エミヤさん」
「ああ、こんにちは」
 大きな冷蔵庫の陰から現れたエミヤは、厨房に立つ人らしくきっちりとエプロンを身につけていた。彼もサーヴァントの一人のはずなのに、料理スキルを買われるうちに、気がつけばカフェテリアのキッチンの主のようになってしまっている。レイシフトの予定がないときは大抵ここにいるのだから、ほとんど料理人の域だ。
「食事かな」
「いえ、紅茶を淹れてもらえませんか?」
「お安い御用だ。茶葉にこだわりはあるかな? オーソドックスなものなら揃っている。アッサム、ダージリン、アールグレイ。ディンブラとキーマンもあったはずだ」
「……あまりくわしくないので、エミヤさんのおすすめでお願いします」
 正直に言って、お茶はお茶でも麦茶や緑茶のほうが飲んだ回数が多い。アールグレイなどの名前は聞いたことがあるけれど、違いとなるとさっぱりわからないのだ。初心者は初心者らしく、素直におすすめを頼んだほうが確実だ。それに、彼が淹れたのであれば、きっとどれでもおいしくなる。
「それでは飲み方で決めよう。茶葉によって最適な飲み方が変わるのだよ」
「えっと、お砂糖をたっぷり入れて、熱々で飲みたいです」
「それならストレートティーだな。茶葉はダージリンにしようか。すぐに用意をする、掛けて待っていてくれ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
 カウンター越しにぺこりと頭を下げて、すぐ近くのダイニングテーブルに腰かける。十二人掛けのテーブルを一人占めするのは贅沢なことだけれど、カフェテリアにはカルデアのスタッフもいなければ、サーヴァントの姿も見えなかった。立香がレイシフトに出ているため、スタッフはフォローアップに、サーヴァントは帰還のお迎えを待ちにいっているのかもしれない。
 広いカフェテリアは一面窓になっていて、開放感がある。外はやはり雪で白いけれど、光を反射するからか明るい。
 雪に色をあげたのは、スノードロップだったっけ。昔読んだ本の話を思い出した。もともと雪には色がなかったのだという。自分にも色がほしかった雪は、さまざまな花たちにその鮮やかな色を分けてもらえないかと頼んだそうだ。しかしすげなく断られ続け、ようやく色を分けてくれたのがスノードロップだった。そんな話だったはずだ。
「――お待たせした」
「あ――ああ、ありがとうございます、エミヤさん」
 雪を見ながら、またぼんやりとしていたらしい。いつの間にか、ポットとカップ、お茶受けをのせたトレーを持つエミヤが立っていた。
「どうせなら豪華にフルティーにしようかとも思ったのだが、あいにくフルーツを切らしていてね。すまないが、今日のところは焼き菓子のみでも許してくれ。フルティーは次にしよう」
「そんな、十分ですよ。ありがとうございます」
「紅茶とクッキーは好きなだけおかわりをしてくれてかまわない。昨晩大量に焼いたもので、今なら食べ放題だ」
 フルティー、というものがなんなのかわからなかったけれど、紅茶とクッキーのおかわりが自由というだけでもう豪華だ。どちらもエミヤの手によるものというだけで文句をつける余地もない。
「さあ召し上がれ。口に合うといいのだが」
 カップに紅茶を注いでくれるところまでしてもらい、私はソーサーに指を伸ばす。要望通り熱々の紅茶からは、うっすらと白い湯気が立ち上っている。カップにたたえられた紅茶は透き通った淡いオレンジ色で、きれいだった。
「砂糖も好きなだけどうぞ」
「ありがとうございます」
 角砂糖の入った小瓶をしめされ、遠慮なく落としていく。一つ、二つ――三つ。カップの底で崩れて角を失ったシュガーをティースプーンでゆっくりとかき混ぜる。オレンジ色に溶けて消えていく砂糖を見ていると、私の恋心と似ている、と思ってしまった。
 伝えることすら叶わずに溶けてゆく初恋。初恋は実らない、と最初に言ったのは一体どこの誰なのだろう。その通りだと、思った。
「いいにおい……」
 カップを口元に近づけたところで、ふわりと鼻腔をかすめた紅茶に思わずつぶやいていた。広がりかけていた悲しみが押しやられて、少しだけ元気を取り戻す。
「調べてみたところセカンドフラッシュだったからな。ストレートティーで飲むにはちょうどいいはずだ」
「セカンドフラッシュ……」
「二番摘みと言われるやつだな。夏が来る前の五月から六月頃に摘んだ茶葉だ。味も香りもしっかりしていて、最高級品の茶葉になる。やや渋みも増すが、それだけ砂糖を入れればあまり関係はないのかもしれないな。――さあ、冷める前に飲みたまえ」
「はい、いただきます――」
 繊細なカップに唇をつけて、そっと紅茶を流し込む。淹れたての熱さが舌を焼くけれど、心地よかった。紅茶の深い香りを深く吸いこむと、肩の力が抜けるように息がもれた。
「……とってもおいしいです、エミヤさん」
「口にあったようならなによりだ」
 ふっと口元をゆるめて、エミヤは表情をやわらげた。
「迷惑でないのなら、ご相伴に預かっていいかな。私も久しぶりにゆっくりしたい」
「もちろんです。いつもお料理を作ってくださって、ありがとうございます」
「その気持ちだけで十分さ」
 カップを取って来る、そう言ってエミヤはキッチンの中に戻っていった。
 私はクッキーに手を伸ばす。シンプルな焼き菓子は、星の形に抜かれていた。昨晩大量に焼いたと言っていたけれど、エミヤがクッキーの型抜きをしてはオーブンにかけて焼いていたのかと思うと、少しおもしろい。
「――嬢ちゃんじゃねえか」
 星の角の一つを歯で折った時だった。背にしたカフェテリアの出入り口、少し遠いところから、その声は届いた。
 ――どうしよう。一瞬ためらって、仕方なく振り向く。私に声を掛けた彼は、もうカフェテリアに入って来ていて、まっすぐこちらへ向かっている。口の中にあるクッキーをあわててかみ砕く。せっかくエミヤが焼いてくれたお菓子だというのに、味はよくわからなかった。
「キャスター、さん」
「ああ。なんだ、お茶してんのか」
「はい」
「いい香りだ。嬢ちゃんが淹れたのか? オレもご相伴に預かってもいいか、うまそうだ」
「えっと」
「淹れたのは私だ」
 すぐ隣、腕を伸ばせば届く距離からテーブルをのぞきこまれてどうしようと焦っていると、硬さのある声が代わりに答えた。カップを手にしたエミヤだった。身につけていたエプロンも厨房で脱いで、戻ってきたところきたらしかった。
「へえ……お前さんがねえ。やるじゃねえか」
 目を細めたキャスターが、どこか挑発するような声音で言う。
「お褒めに預かり光栄だ」
「お手並みを拝見させてもらおうじゃねえか」
 私言うなり私の隣のイスを引くと、キャスターが腰かける。エミヤさんは私の前の席に腰をおちつけると、慣れた手つきでカップに紅茶をそそぎ――自分の口元に運んだ。
「おい弓兵。それはわざとか?」
 キャスターが頬を引きつらせるようにして笑う。口元だけの笑みだ。ルビー色の目は笑っていない。
「元より私が紅茶を飲むためのカップだ。貴方のためのものではない。彼女とのご相伴も私が先約だ」
「いい度胸じゃねえか」
 エミヤはキャスターと目も合わせず「クッキーの味はどうだったかな」とたずねてくる。キャスターには冷たいのに、私に掛ける声はいつも通り穏やかなもので戸惑う。
「え、えっと」
「嬢ちゃん、別に褒めなくていいからな、こんな意地の悪いヤツのことなんざ」
「君に話しかけてはいない。オレが話しているのは彼女だ。口を挟まないでくれないか」
「ホンットにムカつくヤツだな、お前」
 エミヤはキャスターに対してどこまでもそっけない。私はかじりかけのクッキーを手にしたまま、二人へ交互に視線を向ける。なぜ険悪な雰囲気になっているのかわからない。失恋の気まずさどころではなかった。
「あ、あの」
「ああ、嬢ちゃんは気にすんな。この弓兵は『オレ』のことが気にくわないのさ」
「キャスターさんの、ことが?」
 エミヤの方に顔を向ける。彼はまるでキャスターは存在していないかのように、すました顔で紅茶をたしなんでいる。まじめでストイックではあるけれど、エミヤが誰かに対してこのような態度を取るのは初めて見る。
「ああ、槍兵のオレと因縁があってね。『クー・フーリン』ってだけでこの態度だ。オレはキャスターのクラスだってのにな」
「クラスは違えど貴方はアイツなのだろう。あくまで別側面を強調されて現界した別人とはいえ、元を同じにする同一存在には違いあるまい。ならばクラスによる差など関係はない」
 自分で焼いたクッキーに手を伸ばしながら、エミヤはきっぱりとそう言った。ランサークラスのクー・フーリンと因縁がある、とのことだが、いったいなにがあったらここまで嫌われてしまうのだろう。
「ふん、器が狭いやつだな」
 鼻を鳴らして、キャスターがクッキーに手を伸ばした。皿はまだ私の手元近くにあり、彼――キャスターのクー・フーリン――との距離が詰まる。
「紅茶くらいケチケチする必要もないだろう、弓兵」
「何度も言わせないでくれないか。この紅茶は彼女のために淹れたものだ。貴方に飲ませるためではない」
「じゃあお前も飲むなよ。道理に合わねえ」
「オレは彼女の許可を得ている」
「ほう。ならオレも許可を得れば問題ないわけだ。――嬢ちゃん。オレもお茶会に混ぜてもらって構わないよな?」
 テーブルに肘をつき、キャスターが私の顔をのぞきこむ。彼の頭の動きに合わせて真っ青な長い髪が流れ、毛先がダイニングテーブルの上で渦を作っていた。
「……エミヤさんが、いいなら……」
 ずるい答えだと、思った。判断を他人に委ねる。あまりにも無責任だ。けれど、今の私には彼が隣にいるのはつらいものがあったし、かといって断るのもおかしい。私と彼の今までの関係は、一般的には「仲が良い」ものだったからだ。
 うかがうようにちらりとエミヤに視線を向ける。彼はカップをソーサーに戻すと、ため息をついた。
「貴方には注いでやらないぞ。それくらいは自分でやるんだな」
「こっちだって願い下げだ。嬢ちゃんに注いでもらうっての」
 うんざりしたように言うが早いか、キャスターは私の手元にあったソーサーを引き寄せると、カップの繊細なハンドルに指を掛けた。
「ま――」
 待って、と止めるより早く、彼はカップに唇をつけ紅茶をあおっていた。
「……へえ。ちと冷めてるのを抜きにしても、悪くないじゃねえか。まあ八割茶葉のおかげだな」
 首筋をあらわにさらし喉仏を大きく上下させて紅茶を飲み干した彼は、カップをソーサーに戻し、私の手元へ押しもどした。
「……デリカシーが足りてない上に、行儀が悪いぞ。キャスター」
「ああ?」
「――わ、わたし、もう一つカップ取ってきます」
「待て――」
 耳ざわりな音を立てながら立ち上がり、脇目も振らず一目散に厨房へ向かう。エミヤがなにかを言っていたけれどれど、耳には入ってこなかった。
 もう、あのカップは使えない。少し前の私ならむしろ、心臓をはねさせながらも喜んでいたのかもしれないけれど、今ではもう喜べない。――喜んでは、いけない。
 失恋が、こんなにつらいものだとは思わなかった。ほんの淡い恋心であったのに、望みがないと知った今、彼の一挙手一投足が胸の奥の奥の一番やわらかい部分に爪を立てる。彼は何の意図もなく今まで通りに接してきている。だから、この痛みは私が勝手に作りだして、私が勝手に苦しんでいるだけのものなのだ。
「ばかみたい……」
 想いを告げるつもりはなかった。ひっそりと芽生えた恋心を大事にしているだけで満足だった。それに嘘も偽りもない。
 ――けれど、身の丈にあわないのことをどこかで夢見ていたのだと思い知らされる。立香ならいざ知らず、私が彼とどうこうなるなんて、天地がびっくり返っても、このまま世界が滅亡しても無事に救われても、何があっても絶対に叶うわけがないことだというのに。
 私は、少しだけ魔術に詳しいだけの人間。彼は、神話に出てくる大英雄。本来であれば交わることなかったものが、世界滅亡の危機に瀕して、気まぐれのように重なっただけのことだ。
 私と彼をつなぐものはない。目に見えるものとしても、目に見えないものとしても、正真正銘、二人の間にはなにもない。

 私は彼のマスターではない。血筋と資金にものを言わせた親によって、人理継続保障機関フィニス・カルデアにねじ込まれただけの、魔術師見習いだ。本来ならば、こんな大層な機関に所属できるような人材ではない。
 オルガマリー所長と同じく――マスター適性を持っていないのだから。

 私の初恋の人。青い髪に赤い目を持つ、ルーン魔術師。キャスターとして現界した、ケルト神話を出自とする大英雄、クー・フーリン

 彼は、世界の救済者――藤丸立香のサーヴァント。


→next


自慰/手淫/オナニズム