◆ ◆
勢いのまま厨房へ飛びこむと、膝から力が抜けてしまった。準備もなしに走りだして急に止まったせいで、全身が激しく脈打っている。しゃがみこんだまま、嗚咽をもらすようにあえいでは、酸素を身体に送りこむ。
どんな顔をしてキャスターの前に立てばいいかわからなかった。勝手に恋心を抱いたのは私で、叶わなかったからといって、避けたりするのは理不尽だとわかっているのに、いくら理性を総動員しても、彼を前にしたらなんの役にもたたなかった。
ふるえる脚に力をこめて、立ち上がる。「……ティーカップ、探さなきゃ」口に出せば冷静になれる気がして、つぶやく。本当はこのままいなくなってしまいたいけれど、それはあまりにも露骨で不自然だろう。一杯だけ付き合って、後は適当に理由をつけて抜け出せばいいのだ。
呼吸を整えるために数度深呼吸をして、初めて足を踏み入れたエミヤの城をぐるりと見回す。大きな冷蔵庫、作業台、シンク。パッと見ただけでは、ティーカップをしまっている場所の検討がつかない。
「君ではティーカップの置き場所がわからないだろう」
「エミヤさん……」
声に振り向くと、エミヤが呆れた顔で立っていた。厨房に逃げた私の後を追って来たらしい。
「厨房を片っ端から探すつもりだったのか? 非効率過ぎるぞ。せっかくの紅茶も冷めてしまう」
「すみません……」
うつむいた私の横を、エミヤがすっと通り過ぎる。私は一体なにをやっているんだ、という自己嫌悪が広がっていく。空回っているのがわかるのに、どうしたらいいのかはわからない。ささいな軋みのせいで、まるで物事が上手くいかなくなっている。
「私はあの男と一緒にティータイムなど、出来ることなら遠慮したいのだが――」
厨房の奥から戻って来たエミヤが、うつむく私に手を差し出す。
「――君の本音はどうなんだ」
浅黒い肌色をした手には、ソーサーと伏せられたカップが乗っている。私とエミヤが使っていたティーカップとおそろいのものだ。カップを取り囲むように、青い小花が咲いている。青――キャスターの、彼の色。
二人しかいない厨房に、沈黙が満ちる。エミヤはティーカップセットを差し出したまま微動だにしない。私の返事を待っているのだ。
「……わたしは」
声が震えないように細心の注意をはらいながら、顔を上げる。
「一人より二人、二人より、三人のほうが、楽しいと思います」
精一杯とりつくろった笑顔を浮かべる私を、くすんだ金色の瞳がじっと見つめる。後ろめたさにそらしたくなる弱い心を叱咤して、その視線を真正面から受け止める。「本音」なんてどうせ見透かされている。それでも私はぎこちない笑みを浮かべるしかないのだ。
「……君がそう言うなら、それで良いがね」
ため息をつきながら、エミヤはしかたなさそうに目つきを和らげた。あきれているのだろうけれど、立ち入らず、踏みこまず、詮索しないでいてくれることがありがたかった。
「ありがとうございます、エミヤさん」
「何に対しての感謝なのかわからないな。ただ、老婆心ついでに言わせてもらうが――本音を隠しすぎるのは良くない、ということだけは忠告しておこう。その内、自分の本心を見失うぞ」
「……ありがとう、ございます。肝に銘じておきますね」
見失って無くせるものなら、むしろ無くしてしまいたかった。だれかに焦がれる気持ちも、それが決して叶うことがないという苦しみも、本音を隠すことで見失えるなら、どれだけ救われるだろう。
「カップ、ありがとうございます。持ちます――」
「――オイ」
「――……!」
エミヤからカップを受け取る瞬間だった。突然背後からかけられた低い声に驚き、指先が跳ねる。
「あ……!」
受け取り損ねたティーカップとソーサーが宙に投げ出され――がちゃん。繊細な青い小花が可憐だった陶器たちは、重力に逆らえず墜落し、私とエミヤの明日のあいだで無惨に割れてしまった。
「ご、ごめんなさい、エミヤさん……!」
「悪い、驚かせちまったか」
声の主は、罰が悪そうに青い髪の頭をかきながら、こちらへやって来る。
「クー・フーリン……貴様というやつは……」
「悪かったって。本当に驚かせるつもりはなかったんだよ。すまんな、嬢ちゃん」
横に並んだキャスターが、私の頭に手をのせる。一瞬で頬も耳も、首まで燃えるように熱くなるのがわかった。大きな手のひらに触れられていることを意識すると、はずかしくて、その何倍も何十倍も、何百倍もうれしくて、鼻の奥がつんと痛む。
「す、すぐに片づけますエミヤさん!」
「待て、危ないから触っては――」
「いッ――」
頭をなでる手のひらから逃げるようにしゃがみこみ、割れたカップに触れた瞬間だった。指先に鋭い痛みが走り、赤い血が滲み出していた。
「割れた食器を素手で触る者がいるか。そうなるに決まっているだろう」
「ご、ごめんなさいエミヤさん、わたし――」
「いいから先に手当てだ。片づけも私がやる。君はこれ以上触らないでくれよ」
エミヤの硬い声に、私はほとんど泣きだしそうだった。割ってしまっただけでも申し訳なかったというのに、ますます手間を増やしている。こういうのを「泣きっ面に蜂」と言うのだろう。
「ごめんなさい、エミヤさん……」
「何度も謝らなくていい。次からは気をつけてくれればな。私は救急箱を持って来る――いいか。くれぐれも破片には触れないでくれたまえよ」
「はい、ごめんなさい……」
「クー・フーリン。君は彼女がそれに触らないよう見張っていろ。まさかとは思うが、君も触るような真似はしないでくれよ。余計な仕事が増えてしまう」
私とキャスターに厳しく釘を刺すと、エミヤは足早に厨房の出口へ向かっていってしまった。
「……あー、ほんと悪いな、嬢ちゃん。元はオレのせいだってのに、アンタが怒られちまった」
「い、いえ……エミヤさんの言うとおり、私の不注意です……」
割れたカップたちを前にうずくまる私の横で、監視のために残された彼もしゃがみこむ。
「傷、見せてくれ」
「え、え……?」
嫌だ、とは言えず、口ごもる。本当は逃げだしたいくらいなのだ。なにせ、一緒になってしゃがんでいる彼との距離が近すぎる。額と額がぶつかってもおかしくないような、まつげの一本一本が数えられそうなこの状況は、私の心臓を締めつける。
「ほら、早くしろ」
真面目な顔と、言い聞かせるような声で催促されたら、抗えない。半分神である光の御子に強く逆らえるほど、私の精神力は強くない。彼は、自分の一挙手一投足がどう映るのかわかっているのだろうか。わかっているのだとしたらずるいし、わかっていないのだとしたら、それはとてもたちが悪い。
渋々ながら、指先をキャスターに差し出す。よく確かめるように引き寄せられた瞬間、細くつないでいた息が止まった。一回り大きい彼の手のひらに私の手が包まれている。
やさしくしないでほしい。視界が潤むのをこらえて、唇をきつく噛む。なんの意図がないとしても――なんの意図もないことくらいわかってはいるけれど――こんな風に簡単に触れたりしないでほしかった。まだ捨てられない意地汚い私の恋心が、ばかみたいに喜んでしまうから。
「ああ、こりゃ思ったよりパックリいってそうだな。痛えだろ? 指の先は神経が集中してるからな」
「へいき、です……」
人差し指の先にできた切り傷からは、もれだした赤い血が筋を引いている。ズキズキとした鋭い痛みはあるけれど、それよりももっと痛い場所があるのだ。それに比べたら、こんなの痛むうちには入らない。
「見た目より、痛くないですよ。大丈夫です」
「強がんなって。治してやるよ。弓兵には悪いが、救急箱なんざ要らねえっての。この程度、オレのルーン魔術で一瞬だ」
「――え?」
治す――ルーン、で――?
顏を上げると、キャスターの指先が空中にルーン文字を引こうとしていた。
「だ、だめです!」
「おっとォ!?」
私はあわてて彼の手をつかんで、ルーン魔術を中断させる。
「あッぶねえなあ! 何んすだよ嬢ちゃん、違う文字になるとこだったぞ!?」
キャスターの手をにぎりしめたまま、私は何度も首を横にふる。
「だめです、こんなことに魔力を使ったりしちゃ、だめです。絶対に、だめです」
「仮にもキャスターを甘く見るんじゃねえよ。そのくらいの傷を治す程度なら、魔力を使ったうちにも入らねえっての」
「それでもです! それでも……絶対に、だめです」
どんなことであっても、私なんかのために使われていい英霊の魔力はない。彼の魔力はカルデアから供給されていて、その力は世界を救うために――藤丸立香を助けるために、使われるべきものなのだ。
「エミヤさんが救急箱を持って来てくれますし、大丈夫です。ありがとうございます、キャスターさん」
「いや、んなこと言われても、オレが気まずいだろ。言っちゃあなんだか、その怪我も元を辿ればオレのせいじゃねえか」
「違います。私の不注意です。素手で割れた食器に触るのは危ない。エミヤさんが言っていた通り、普通に考えたらわかることです」
絶対に譲らない、という気持ちをこめて、血と同じ色をした瞳を見つめる。ケルトの魔術師は、私と数秒視線を重ね合わせたあと、観念したように息をついた。
「嬢ちゃんも大概頑固だねェ……」
「すみません、でも、カルデアの魔力をムダにはしたくなくて……」
「ま、他にやりようがあるからいいけどな」
「……他?」
首をかしげた私に、キャスターが、再び手を貸せと催促する。魔力を使わずに怪我を治す方法など、あるのだろうか。
「そんな疑ぐるような目をしなくてもいいだろ。カルデアの魔力も、オレの魔力も使わねえよ」
「あ――薬草とかですか?」
森と大地の賢者であるケルトの魔術師なら、草木の知識も豊富なはずだ。彼が薬草を煎じたりする姿はほとんど見たことがないけれど、レイシフト先では何が起こるかわからないのだし、それこそ救急箱的に持ち歩いているのかもしれない。
「ハズレだな。薬草でもねえよ」
魔術でもなく、薬草でもないと言うのなら、他に何があるだろうか。首をひねって考えていると、キャスターの腕が伸びて、血の筋を引いている私の手を引き寄せた。
「アンタの魔力で治すんなら、問題ないだろ?」
――私の、魔力で――?
尋ねるよりも早く、私の指先はキャスターの舌に舐められていた。
「え、あ、きゃ、きゃすたー、さん……!」
頭の中が真っ白になる。状況はわかるのに、飲みこめない。キャスターは、筋を引いていた血を端から丁寧に舐めとり、パックリ開いているという傷口までたどりつくと、裂け目を確かめるように舌先でなぞった。
めまいがする。長いまつ毛を伏せた光の御子が、私の指先に舌を這わせているなんて、これほど悪い夢があるだろうか。
「い、いたい、いたいです、なんで、こんな――」
「いい子だから、もうちょい我慢しろ」
「――いや、おねがいです、きゃすたーさん――」
ほとんどぐずりながら手を引くけれど、がっちりと握られていてほどけない。それどころか、指先を口の中にふくまれ、ちゅうと音を立てて吸われる。傷口が刺激され今まで以上に痛みを訴えてくるけれど、全身を焼く羞恥心の熱の方がひどかった。
「待たせたな、遅くなっ――」
「え、えみや、さん……!」
救急箱を持って現れたエミヤは、私には救いの神に見えた。ほとんど泣きながら、目で彼に訴えてかける。――助けて。
「――トレース、オン」
「あ、まっ――」
「――うおッとォ!?」
察したエミヤが距離を詰め、投影した干将がクー・フーリンの頭があった位置をなぎ払うのは、ほんの一瞬のあいだの出来事だった。
「あッぶねえなあ! 矢避けの加護がなかったら死んでたぞ!?」
「殺すつもりだったんだ、命拾いができた自分のスキルを幸運に思うんだな。そして彼女から離れろ。今すぐにだ。両手を上げて後ろに下がれ。聞けないなら、次はないぞ」
「ま、待ってくださいエミヤさん! もう、もう大丈夫です!」
救急箱を置き、箒とちりとりのセットの代わりに干将・莫耶を握り直したエミヤを、あわてて止めに入る。
「事情くらい説明させてくれっての……呆れた短気だな」
「いいだろう。言い訳くらいは聞いてやる。精々上手く弁解するんだな」
「言い訳とか弁解とか、はなから話を聞く気ねえんじゃねえのか……オレは嬢ちゃんの傷を治そうとしてただけだっての」
「……治す、だと?」
訝しむように目を細めるエミヤに、キャスターがうなずく。
「血を元にした魔力供給だ。――ほらよ」
キャスターが、私の怪我に向かって指をさしながら、空中にルーン文字を引く。「ソウェル」と短い発声のあと、傷口がゆっくりとふさがっていく。
「な、治った……」
痛みもない。割れたカップで切ったはずの指先には、時間を巻き戻したように、元に戻っていた。怪我をしたという痕跡さえも残っていない。
「嬢ちゃんがここやオレの魔力を使いたくないって言うからよ、嬢ちゃん自身の魔力で治したってわけだ」
どうだ、とキャスターが胸を張る。たしかに、私の魔力で治すのなら、カルデアや彼の魔力を使うことにはならない。指先を舐めたのは、魔力をふくむ血を摂取するためだったのだ。
「……なるほど、事情はわかった。しかしそれは同意があってのことなのか?」
「同意ィ?」
「私の目には、彼女が嫌がっているように見えた。彼女は魔力供給に同意したのか」
「あー……それは、まあ……いいじゃねえか、綺麗さっぱり治ったんだから。な、嬢ちゃん。痕も残んねえから安心しろ」
「……と言っているが、君はどうなんだ。望むのなら、私はいくらでも力を貸そう」
険しい顔をしたまま、エミヤが私に目を向ける。嫌だった、と言おうものならその手に握られた剣は魔術師へ向かってふるわれるのだろう。……流れる血は、私のだけで充分だ。
「えっと……治してくれたのはキャスターさん厚意ですし、もう、大丈夫、です。むしろ、エミヤさんには手間を掛けさせて、すみません……。キャスターさんも、ちょっとびっくりしましたけど、ありがとうございます」
「おー、良いってことよ。狐の巫女風に言うなら、あんなの『朝ご飯前』だからな」
「……君が許すと言うなら、私もこれ以上の追及はしないことにしよう。だがクー・フーリン。君には言いたいことがある」
「良いことしたはずなのに、まだなんか言われんのかよ……」
厳しい顔つきをするエミヤに、キャスターはうんざりしたようにぼやいた。
「まず、二度と同じことはするな。確かに血は魔力供給源にはなるが、衛生観念を鑑みるに推奨されることではない。仮にもキャスター、魔術師のクラスなのだから、血液が感染症の恐れをはらんでいることくらい知っているだろう。知らないと言うのなら、ナイチンゲール女史から詳しく教わるといい。いや、知っていようが知っていまいが関係ないな。教われ。私から話をつけておこう」
「待て待て待て、それ説教されるヤツだよな? 下手したら検査されんじゃねえの? オソロシイんですけど!」
「知ったことか。隅々まで検査してもらうが良いさ。むしろ解剖でもしてもらえ。それから――」
「わかった、わかったよストップ。全面的にオレが悪かったんだろ、話は後で聞いてやるから、まずは片づけしたほうがいいんじゃねえの? 紅茶もとっくに冷めてるだろ」
放置された床を指さされ、ハッとする。割れたカップをいつまでもそのままにしておくのもよくないだろう。キャスターの言う通りだ。
「私、片づけします」
「いや、食器は私が片づける。君は触らないでくれ」
率先して名乗り出るも、ぴしゃりとエミヤに断られてしまう。前科があるために触らせたくないのだろうとは思うけれど、信用がないみたいで少し悲しくなる。
「……お前の口の悪さもなんとかならんのかねえ……」
「君のデリカシーの無さこそどうにかするべきだろう。致命的だぞ」
「本当に口が減らないヤツだな」
「……あの、私、救急箱戻してきますね。他に使う人が出てきたら困りますし。エミヤさんも、もうキャスターさんのこと怒らないでください。元々私のせいですし、キャスターさんは悪くないです」
このままでは延々と皮肉の応酬が続きそうな二人を仲裁するように、口をはさむ。
「ありがとな、嬢ちゃん。それもオレが戻してくるから、よこしな」
結局使うことのなかった救急箱が、キャスターに奪われる。
「え、でも……」
「こいつの役目を取ったのはオレだからな。戻すくらいはするっての」
「ほう、殊勝な心がけじゃあないか。だからといってすぐにデリカシーが身につくとも思えないがな」
「お前はもう黙ってろよ……」
「キャスターさん、あの」
「……いろいろ悪かったな、嬢ちゃん。今日のところは仕切り直すが、今度はオレとも飲もうぜ」
またな、と言うが早いか、クー・フーリンはひらりと手を振って出ていってしまった。
「……さて、こちらも片づけをするか」
言うが早いか、エミヤはてきぱきと割れたカップとソーサーを片付けていく。割れ物を包むために救急箱と一緒にもってきたらしい紙は、なにやらレシピが書いてあるようだった。エミヤが書き留めて、不要になったものなのかもしれない。
冷蔵庫にかけてあったホワイトボードのペンで「ワレモノ注意」と書けば、片づけはおしまいだった。
「ありがとうございます。結局、何から何までやらせてしまって……」
元をたどれば私のせいなのだから後始末をさせてほしかったというのに、結局エミヤとキャスターが片づけてしまった。情けなくてしかたがない。
「箒とちりとり、戻して来ます」
「ああ、これは気にしなくていい。投影したものだからな」
エミヤがそう言うと、確かにそこにあった掃除道具が、さらさらと崩れるようにして消えた。
「カルデアの清掃システムには、箒とちりとりのようなアナログなアイテムがないようでね。投影して作ったのさ。最先端の技術と知識が集まる施設だが、こういう時には不便なものだ」
「エミヤさんは、なんでもできますね……」
英霊としてここに喚び出されているくらいなのだ。なんでもできるのは当たり前だろう。わかってはいるけれど、大したこともできない私には、うらやましくてしかたがない。
「私の投影のことを言っているなら、君が思うほど優れた能力ではないよ。そもそも私の強化と投影は、魔術師とは到底名乗れない程レベルの低いものだったからね。今でこそ掃除やちりとりを創ることが可能だが、投影できる物にも制限があったのだから」
「そうなんですか? そうは見えないですけど」
英霊というものは、何か偉大なことを成し遂げた存在に与えられる資格だ。凡百の魔術師ではまず届かない。魔術師と言えなかった彼がこうしてここにいるということは、それに値するだけの力を持っているということだ。それが後天的なものならば、なおのこと尊敬に値する。努力の果てに、英雄へと至ったということなのだから。
「かつての私は愚直に鍛錬することしか能がなかったものでね。繰り返しているうちに、どうにか己のものにできたというだけの話さ。魔術師の才能や素質で見るならば、君の方が上だろう」
「……ありがとうございます。お世辞でも、うれしいです」
桑染が得意とする魔術は結界で、地味なものだ。それに加えて魔術師としてなんの実績もない私が桑染の代表としてカルデアにいるのも、能力の高さが認められたからというわけでもない。ここへの出資金によるものなのだ。
莫大な維持費がかかるカルデアへ、多額の――それだけが取り柄とも言える――お金を出している。その見返りにと、ねじこまれただけなのだ。言わば、裏口入学のようなもので、桑染の名前に箔をつけるためだけの道具として送りこまれて、私はここにいる。
「……お世辞のつもりはなかったのだがな。低すぎる自己評価もどうかと思うが、それが鍛錬、成長に繋がるのなら悪いものでもないのだろう。励むといい」
「はい。ありがとうございます。エミヤさんの話も、もっと聞かせてほしいです」
「語るほどのことはないよ。それより、キャスターを無事に追い払えたことだし、一息つこうと思うのだが君はどうかな? 冷めてしまった紅茶をアイスティーにしようかと考えているのだが」
ちらりとこちらをうかがう彼に、強張っていた心が少しゆるむ。皮肉めいた言葉づかいが多いけれど、それは本音を裏返しているのだ。少しずつだか、わかってきた。
「ありがとうございます。あらためまして、ぜひ」
脳裏をよぎった魔術師の姿をふり払うように、私はぺこりと頭を下げた。
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