◆   ◆

 未来が視えるということは、よくもあればわるくもある。サイドエフェクトが教える、いくつかの未来の可能性。なれたはずのことなのに、いま見えたものにおれは頭をかかえたくなった。
 未来が視えるということは、ボーダーという立場において圧倒的に有利である。相手の攻撃――つぎにとる行動がわかれば、回避や防御にまわることができる。さらに、攻撃の芽をつぶすことだってできるし、隙をついて反撃にでることだって簡単になる。
 侵略せんと異世界からやってくるやつらと戦うには、有利すぎるほどの能力にちがいない。
 けれどそれにも、やはりデメリットがある。選択肢が多いということ、そのすすんださきで起こることがわかるのは、ときにためらいの足踏みをさせる。
 未来はひとつではない。いまいる場所から、いくつもの枝わかれをしてひろがっている。そしてそのさきで起こることは、選択によってまったくちがうものになっていく。
 それなのに、えらべる道は、ひとつしかないのだ。ある未来をえらぶということは、あったかもしれない未来への道を「すてる」ということだ。選択するという行為は言いかえてみれば、ゴミの分別とおなじだとも言える。
「迅さん?」
 手で目をおおったおれに、桑染がたずねるように名前を呼ぶ。いまさっき視た未来を思いだすと、本当に頭がいたくなるような気がしてきた。
「なんでもない。本部出向おつかれだったな。ぼんち揚げ、食うか?」
「わあ、いいんですか? いただきます!」
 ことわらず素直によろこぶ桑染は、いつもどおりとおなじ態度だ。おれのさしだしたぼんち揚げの袋に手をつっこんで、うれしそうにわらっている。
「迅さんからぼんち揚げをもらうと、玉狛にもどってきたんだな、ってかんじがします」
 本部、昔なじみの人もまだいてたのしかったですけど、やっぱり玉狛のほうが、好きです。
 そう言ってわらった顔が、いままでとはちがうものに見える。「好き」という、言葉も。
「そうか。小南と宇佐美に言ってみろ。よろこぶぜ。――じゃあ、おれはちょっとでかけてくるから」
「どこにいくんですか?」
 さり気なく桑染からはなれようと思ったというのに、つっこまれてわずかに動揺する。とがめるように聞こえたのは、おれにうしろめたさがあるからだ。桑染はただ単純に、行きさきをたずねただけで、おれのことをうたがっているわけではない。わかっている。
「そのへんのパトロールだよ」
「つまりサボりですね?」
「おいおい、そんな言いかたをしたら、おれがなまけものみたいだろう」
「ちがうんですか? でも、そうですね、そういうことにしておいてあげます」
 口止め料に、ぼんち揚げをもうひとつくれたら。
 そうわらう桑染の笑顔はいつもどおりだ。ふにゃふにゃとした、無害な笑み。あんな未来が視えなかったら、おれだっていつもどおりに接することができたというのに。
「やるよ」
「えっ……!」
「本部出向おつかれ、玉狛におかえり、の気持ちだ。素直にもらっとけって」
 手にもっていたぼんち揚げを袋ごとおしつけて歩きだすと「ありがとうございます! 気をつけてくださいね!」と声が追いかけてくる。ふりかえらずに背中をむけたまま手をあげて、おれは桑染から逃げだした。
 足早に玉狛支部からでると、おおきなため息がもれた。視界から追いはらったというのに、頭には桑染の顔がちらついている。いまさっき見た笑顔。そのまえに視た、未来の桑染の顔。
 おれとむきあって、顔に、耳に、首まで真っ赤にしたあの表情が意味することがわからないほど、おれの洞察力はにぶくはなかった。
「こまったな……」
 視えた未来。そこを分岐点に、いくつもの枝にわかれていく、可能性。どれを選択するかきめるのは、このおれ自身だった。
 未来が視えるということに、利点はある。おれがボーダーの実力派エリートでいられることは、このサイドエフェクトのおかげにまちがいない。
 ――けれど、欠点もある。
「おれ、あいつに告白されるのか……」
 不意打ちで知らされるだれかの秘密。それは、びっくり箱から動揺と混乱がとびだしてめちゃくちゃにおそいかかってくるようなものなのだ。

◆   ◆

 気のせい、ではないと思う。自意識過剰である可能性はゼロではないけれど、やっぱり、気のせいではないと思う。
 はあ、とちいさくため息をつく。それでも、肺を、のどをつまらせるものはなくなってくれなかった。扉のむこうへきえていった背中を思いだすと、ちくりと胸がいたんだ。今度はもっとふかく息をはいて、わたしはどさりとソファーに上半身をたおした。
「おつかれさまー。あれ、園希だけ?」
「しおりちゃん……」
 リビングをでていった迅さんと入れかわりでやってきたのは、栞ちゃんだった。
「陽ちゃんはね、友だちとあそんでくるんだって。あとでおむかえにいく約束してる」
「そっか。子守ありがとねー」
「ううん。今日非番だから」
 栞ちゃんはあいているソファーに鞄をおろすと、一旦リビングをでていった。うがいと手洗いだろう。玉狛支部にはお子さまがいる。風邪などをつれてこないように、外からきたらうがいと手洗いが暗黙のルールになっていた。
 わたしはのろのろとからだを起こす。思わずもれそうだったため息を、むりやり飲みこんだ。ゆうつつでからだがおもい。
「はあ……」
「どうしたの、おっきなため息」
「しおりちゃん……」
 もどってきたしおりちゃんが、キッチンの棚をあさりながら、たずねた。「おやつ、ないなあ」のんきな声が聞こえる。「迅さんのところからぼんち揚げとったらおこられるかなー」
 栞ちゃんがなにげなく口にした「迅さん」という名前に、また胸がいたむ。――わたしは、気がつかないうちに、なにかしてしまったのだろうか。
「こなみのおやつ食べたら、あの子おこるよね――って、どうしたの園希、元気ないな」
「――しおりちゃあん……!」
 オレンジジュースをそそいだグラスをもってリビングにもどってきたしおりちゃんに、わたしはなさけなくも泣きついた。
「どうしよう、迅さんにさけられてる……!」

 ず、と鼻をすすると「とりあえず、鼻水かみなよ」と箱ティッシュをさしだされた。受けとって、思いきりちーんと鼻をかむと、すこしだけ呼吸が楽になった。
「なるほどねえ……」
 わたしの話をすべて聞きおえた栞ちゃんは、腕を組んで眉間にしわをよせた。感情ばかりがたかぶってしまい、うまく事情を説明できたとは思えないけれど、おおよそのことはつたえられただろう。なぜだか迅さんにさけられている、という、かなしい事態を。
「しおりちゃんは、どうおもう……」
 すがるような気持ちでたずねると、しおりちゃんはむずかしそうな顔でうーんとうなった。
「考えすぎな気もするけど、園希はまちがいないと思うんだよね」
「……うん……」
 うなずくと、また、じわりと涙がうかんできた。どうしてこうなったのか、だれか教えてほしかった。
 違和感は、一週間ほどまえからになる。迅さんが、わたしをさけるようになったのだ。それは本当に微妙な変化で、最初のうちは、わたしも気のせいだと思っていた。けれど、どうにも、さりげなく視線をはずされる。普段より、会話がつづかない。おなじ場に、十分といたためしがない。
 気のせいと言われてしまいそうな些細な違和感でしかないけれど、栞ちゃんに話をしていくうちに、わたしのなかでは確信へと変わってしまった。たぶん、第三者では気がつかない変化だろうけれど、迅さんに関してはことさら過敏になるわたしの神経が、そうだといっているのだ。まちがいないといえるだろう。
「わたしなにかしちゃったのかなあ……」
「園希が迅さんの機嫌をそこなわせるようなことするとは思えないけど……心あたりはないの?」
「ないからこまってるの……どうしたらいい? どうしよう、しおりちゃん……!」
 泣くまいとこらえていたのに、ぼろ、と涙がこぼれおちる。きつくしめたはずだった涙腺は、どうやらこわれてしまっているようだ。みっともなく嗚咽をあげることだけはがまんして、ぐずぐずと鼻をすする。
 まいったなあ、と頭をかく栞ちゃんをこまらせていることはわかっているのだけれど、相談できる人が彼女しかいないのだ。――わたしが迅さんのことを好きだと知っているのは、彼女だけなのだから。
「ぼんち揚げ、勝手に食べちゃったとか」
「ううん……」
「だよねー、それくらいのことでおこんないだろうし。むしろ、ぼんち仲間が増えた! っておしつけてきそうだもん」
「わたしもね、いろいろかんがえたんだけど……でも、どうしてもわからなくて……。だって、いままでどおりだったんだよ? なにもかわったことしていないのに、それなのに、どうして……」
「うーん、一週間くらいまえからだっけ? とすると、園希が本部出向からもどってきたあたりからか」
「うん……でも、あの日は、ふつうに、たまこまにもどってきて、じ――じん、さんに、おかえりって、いわれて、ただいま、て、いって……」
 ――そういえば。チカッと記憶がまたたいた。
 あの日、わたしは二週間の本部出向から、ようやく玉狛へもどってきたのだった。もともと本部に在籍していたのもあってひさしぶりのボーダー本部はたのしかった。けれど、玉狛支部はもっと好きだったから、わくわくしながら帰ったことをおぼえている。
 ただいま、と声をかけたら迅さん以外は不在で拍子ぬけしてしまったけれど、ふたりきりだということに、どきどき、した。
 迅さんはいつもどおり「おかえり」って言ってわらって――すぐにはっとしたような顔になった。それから、目をかくすように手のひらでおおったのだった。まるで、見たくないもを見てしまったかのように。
 思えば、そのあとすぐにでていってしまった。ぼんち揚げを袋ごともらったのがうれしくてそのときは気にしていなかったけれど、まちがいない。迅さんにさけられるようになったのは、あの日からだ。
「なにか、みえたんだ……」
 けれど、どうしたらいいのだろう。もし、わたしが未来でなにかをするとしても、いまのわたしでは予想もつかない。迅さんとちがって、わたしに未来は見えないのだから。過去の失態でさけられているのならば、あやまることができる。でも、未来をさけられているのだとしたら、わたしに対処できることがあるのだろうか。
 ぼろぼろとこぼれる涙がとまらない。鼻がまたつまってきて、くるしい。
「あーあー、そんなに泣いたら目がはれちゃうぞ」
「し、しおり、ちゃん……」
 ぐりぐりとわたしの頭をなでた手は、あたたかい。また涙があふれて、わたしはとなりにすわる栞ちゃんにだきついた。くっついたところからつたわる体温が、いまのわたしにはひどくしみる。おない年なのに、栞ちゃんはずっとずっとおとなだ。
「おちついたら、今日は帰りなよ」
「で、でも、ようちゃんの……」
「陽太郎のむかえならアタシがいくからさ。そんな顔でむかえにいったら、陽太郎にわらわれるよ?」
 ね、と栞ちゃんがわらう。わたしのくらい不安をけすような、おひさまの笑顔。この、いつだってあかるい女の子が、大好きだと、あらためて思った。
「ひとまずさ、ふかく考えすぎないようにいこうよ。迅さんが園希をきらうなんて絶対ありえないから大丈夫だって」
「ぜったい……?」
「絶対! きっとなにか理由があるんだよ!」
 力いっぱい、自信たっぷりに言われて、ようやくわたしはうなずいた。迅さんにはさけられているけれど、栞ちゃんが言うように、なにか理由があるのだろう。
その理由がわからなくてこんなにも不安なのだけれど、わたしが知る迅さんは、意味のないことをしない人だ。わたしを遠ざけるのには、それだけのなにかがあるのだろう。
「ありがとう、しおりちゃん……」
「いーよいーよ。気にしなくて。それより、帰ったらちゃんと目、ひやすんだよ。ホットタオルと交互にするといいらしいから。じゃないと、目がパンパンにはれちゃうからね」
「……わかった、ちゃんとひやしてあっためるね。ほんとうに、ありがとう、しおりちゃん」
 最後に、ひときわ盛大に鼻をかむと、栞ちゃんがからからとわらった。しめっぽさをまったく気にしないあかるい空気に、わたしもようやく、すこしだけわらうことができた。

◆   ◆

 玉狛へもどると、すぐに宇佐美に呼びとめられた。理由はわかっている。こうなる未来は確定していたのだから。
「あ、迅さん。おかえりなさい。ちょうどよかった、話したいことがあるんだけど、いいかな?」
「ただいま。 時間ならあるからいいよ」
「よかった。じゃあ、お茶用意するから、ちょっと待ってて!」
「お、気がきくね。ありがとさん」
 ソファーに腰をおろして、さて、と考える。宇佐美の言う「話したいこと」の内容の予想はついている。問題は、どうごまかしてはぐらかして煙にまくかだ。
 ふう、とため息がもれてしまった。随分とこまったことになってきている。
「お待たせ。おやつはないんだけど、いいかな」
「いいよ。ぼんち揚げがあるし」
 わけてあげよう、と袋をあけると、あいかわらずだなあとわらわれた。
「――さて」
 ばり、とつまんだ好物にかじりついたところで、神妙な雰囲気をまとい宇佐美が口をひらいた。
「単刀直入にきくね。迅さん、最近園希のこと、さけてたり、する?」
「は、なんだそれ」
 ――完璧な、かえしだっただろう。間も、抑揚も、表情も、完璧に「なんのことだか知らない心あたりがない」という態度をつくれたはずだ。伊達に暗躍が趣味ではない。かくしごとは得意なのだ。
「桑染がそう言っていたのか」
 さぐるようにじっと見てくる宇佐美は、おれの腹を読むことはできないとあきらめたのか、眉を八の字にしてわらった。
「うん。今日、迅さんにさけられてる気がする、って相談されてさ。あ、迅さん本人に直接きいたことは、園希にないしょにしてね」
 知ってる、とは言わずに、そうか、とお茶をすする。桑染が宇佐美に泣きつくことは、最初からわかっていた。確定した未来として、すでに視えていたのだから。
 いれたての緑茶ののどを焼くようなあつさが、うしろめたさを責めたててくるようだった。実際に目にしたわけではないのに、桑染の涙の透明さや、ふるえる声が、なまなましく思いうかべられる。
 きっと、なやんでなやんで、くるしんだ末に宇佐美へ相談をしたのだろう。今日以外にも、泣いた日はあったのかもしれない。いや、きっと、何度も泣いたにきまっている。感情が素直にあらわれる桑染が、随分となついているらしいおれにさけられて、泣かないわけがないのだ。
 ――それでも。
「近頃いろいろとすることがあって、あんまりかまってやれなかったからだろうな」
 そしらぬ顔で、すっとぼける。宇佐美は「だよねえ」と脱力してソファーに背中をあずけた。
「第一、迅さんが園希をさける理由がないもんね」
「そうだな」
「園希には、気のせいだよって言っておくから、迅さんのほうからも、つぎ会ったときは声をかけあげてくれる?」
「了解した」
 おどけるように敬礼をすれば「それにしてもよかったー!」と宇佐美が安堵をもらした。随分と心配していたらしい。それもそうだろう。おなじ年なぶん、桑染と宇佐美と小南は、玉狛のなかでもとくにしたしくしている。宇佐美は面倒見がいいのもあって、桑染は随分とたよりにしているようだった。
「もう、園希ったら大泣きでさ、どうしようかと思ったよ。明日、目がはれていないといいけどなあ。ちゃんとひやしたか、あとでメールして確認しておかないと」
 そう言った宇佐美に、心の底から感謝をする。宇佐美のように、気にかけてなぐさめてはげましてくれるやつがいなかったら、桑染はただただ泣くだけだろう。
 泣かせている原因はおれなのだから、自分の罪悪感をかるくしたいだけでしかない。玉狛へもどってくるのも、桑染がでていって鉢あわせをしないタイミングを見はからった。おれがそういう行動をかさねるごとに、泣かせることになるのをわかっていながら。
 どんなにそらとぼけてもさけているのは事実なのだけれど、それでも、泣いてほしくないと思っていることは、うそではないのだ。
「迅さん、もうでかける予定ってない? アタシ桑染のかわりに陽介のおむかえにいくから、留守番をたのみたいんだけど……」
「いいよ。わるいな、たのむ」
 ついでに買いものもしておこう、とたちあがった宇佐美が、二階のほうへ姿をけした。背中が見えなくなって、ゆっくりと力をぬく。ソファーに身をしずめてまぶたをとじると、桑染の泣き顔がちらついた。
 泣き顔なら、実際に見たことがある。あれで案外負けずぎらいなところがあって、模擬戦で負けるとくやし泣きをする。つねに全力でいどんでいる真っ直ぐさからなのだろう。
 桑染はいつだって、感情がストレートなのだ。よろこんでいるとき、おこっているとき、かなしんでいるとき、たのしんでいるとき。どんな感情にも、裏表がない。そういう屈託のなさを、たしかに好意的に思って――思って、いた。
 すう、と目をあける。くすんだ天井から、自分が身をあずけるソファへと、視線をうつす。ほんの数十分まえ、ここには桑染がいた。桑染がいて、泣いていた。おれのせいで――おれのことを考えて――泣いていた。目を赤く充血させ、透きとおった涙をおしむことなくこぼしていたのだ。
「あー……」
 低くうなって、ソファーの背もたれにかけた腕に、顔をうずめる。未来予知がなんだというのだ。このさきに起こることがわかるからといって、最善の選択肢をまちがいなくえらべるわけではないのだ。選択肢のさきの未来が最善なのか最悪なのかを判断するのは、おれ自身でしかない。その判断主がめくらなのでは意味がないことだ。
 ――こまったことになった。ふかいため息をついて、そのままずるずるとソファーへたおれこむ。二階からおりてきた宇佐美が「迅さんおつかれ?」とたずねてくる。
「うーん……」
 あいまいにかえした反応は、都合よくとらえてもらえたようだった。そんなところで寝たら、つかれもとれないよ、と言う宇佐美の声をぼんやりと聞きながら、考えることはただ、桑染のことばかりだった。

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